[Vol.1]多様な立場からサービスを見直す
[Vol.2]技術と社会の相互作用、社会受容へのアプローチ
[Vol.3]デジタルサービスは真に民主的なものになり得るか
生物進化論を科学技術に応用する
佐倉さん:
「進化論を科学技術に適用する際に注意すべきことは何か」をテーマにお話ししますが、結論からいうと「進化の帰結は予想できないので、早めの対応が必要である」、「進化とは必ずしもいい帰結をもたらすとは限らない。だから自由競争メカニズムに任せるだけではだめ」の2点に集約されます。また、技術と社会は共進化しますが、生物の場合だと、共進化の帰結は、安定した平衡状態にある「共生」か、どちらも暴走して片方または両方が絶滅する「進化的軍拡競争」のどちらかである点に注意が必要です。
新しい技術が出現するたびに「技術で社会はどう変わるのか」が話題になります。最近であれば 「AIやロボットの登場によって、私たちの仕事のあり方がどう変わるか」といったテーマが話題を集めています。しかし、社会の側からも科学技術に働きかけがあるプロセスは珍しいことではありません。デジタル以前の技術の歴史から、デジタル技術と社会の関係についてどんな教訓が得られるか、見ていきましょう。
デジタル以前の技術と社会の関係史
最初にご紹介するのは「麻薬で人類は幸せにならなかった」という事例です。
イギリスの小説家オルダス・ハクスリーは、人工合成された麻薬「メスカリン」を服用して『知覚の扉(原題 The Doors of Perception)』という本を執筆しています。その中で「メスカリンを服用して人間の知覚の限界を解き放った者は、新たな境地に達することができる。そこから戻った時は大いなる力を手に入れていることだろう」と綴っています。
この本のヒットがきっかけとなり、サイケデリックムーブメントが広まりました。しかし、重篤な副作用や依存症などいくつもの問題が生じ、1970年代初頭には薬物使用そのものが国際条約で禁止され、国の厳重な監視下に置かれるまでになりました。
経験に裏打ちされ、厳格に制御されたごく少量の使用においては幸福をもたらしていたメスカリンが、経験が浅い人々が制限のない状態で使用した結果、依存性の強い危険な薬物になってしまったことがわかります。専門家によるさじ加減が必要不可欠だということを、メスカリンの事例は教えてくれているのです。
2つ目は電気洗濯機の話です。アメリカの技術史の研究者R. シュウォーツ=コーワンは著書『お母さんは忙しくなるばかり』の中で、自動洗濯機が導入されてお母さんの洗濯が楽になるだろうと思いきや、むしろ負担が増えたと述べています。
自動洗濯機の誕生により家庭での洗濯が頻回になり、「いつも清潔な服装をしていたい」という人々の希望が実現しました。しかし、干したり取り込んだりといった手作業は残ります。つまり「洗濯機の導入によって洗濯の回数が増え、その結果主婦の労働量が増えた」ことになるのです。
技術の進化は必ずしも人を幸せにしない
作業工程の一部が自動化されても、その他の工程が人力だと全体的な効率アップは望めません。すると、非効率な工程にはプレッシャーがかけられます。
社会全体で考えた時も同様です。分業で行われる作業A~GのうちBとCが自動化すればその担当者は楽になるかもしれません。しかし、その他の担当者はBとCに合わせるよう求められるため、プレッシャーがかかり、苦しくなります。こうしたプレッシャーのかかる作業を経済的、教育的に恵まれない弱者が担うことになり、新しい技術の導入がますます過酷な労働条件をもたらすかもしれないのです。
「社会的受容は技術のスペックだけでは決まらない」、「進化的経路は複雑で偶然の要素も大きい」、そして「進化は必ずしも人を幸せにしない」といえます 。そうならないためには、めざす方向性を定めて適度な人為的介入をデザインしていくことが必要です。
技術と社会に共生の道はあるか
原:
佐倉先生、ありがとうございました。参加者からいただいた質問をご紹介します。
「どのようなプロセスを辿ると進化的軍拡競争になるのでしょうか。それを防ぐことはできるのでしょうか。」
佐倉さん:
「共生」と「軍拡競争」があるなら、最初から共生したらいいじゃないか、ということですよね。それは生物進化の過程では、非常に難しいことです。生物進化の場合は、小さな初期条件の違いで拡散するか収束するかが決まってしまいます。外部からのかく乱要因が作用して共進化プロセスに入る場合もあり、初期状態だけでは決まらないのでなかなか思ったようにならないのが現状です。
原:
「自由競争メカニズム以外に、どんなメカニズムがあるとよいのでしょうか」とのご質問もいただいています。
佐倉さん:
生物の遺伝子はその場の最適を選択することしかできませんが、人類の脳は、未来を予測したり、過去から学んで問題を解消することができます。先を見通して考える、その力を発揮するのが私たちのできることではないでしょうか。
原:
続いて日立製作所研究開発グループの岩木から、デジタルサービスの社会受容を実現するためのアプローチについてご紹介いたします。
サービスの社会受容に向けたアプローチ
岩木:
「サービスの社会受容に向けたアプローチ案」と題して、デジタルサービスの社会受容実現のために、研究開発グループにて現在進めている研究をご紹介します。
デジタルサービスの社会実装に伴う課題発生リスクを見通すために、私たちは何をすればよいのでしょうか。社会と共生するデジタルサービスをデザインする上で、私たちは今、あえてその難題に向き合う必要があると考えています。
サービスの社会実装に伴う中長期的な課題リスクを考慮したサービスデザインを実現するためには、単にユーザーの経験価値をデザインするだけではなく、そのスコープを非ユーザーや社会全体を含めたサービスにまで拡張する必要があると考えます。
私たちがヒントとしたのは、テクノロジーアセスメント(技術の社会影響評価)です。テクノロジーアセスメントは、新規科学技術の発展が社会に与える影響を分析し、市民や政治家、行政に伝え、社会的な意思決定に役立てていく取り組みです。
私たちはこの考え方を、個別のデジタルサービスのデザインにおける影響評価に応用できるのではないかと考えました。
UXデザインのスコープを拡張する
サービスデザインの手法のひとつとして「ユーザーエクスペリエンスデザイン(以下UXデザイン)」と呼ばれる手法があります。これはユーザーの経験をより良いものにするようサービス設計するものです。利用中のユーザーの経験は、例えばお店であれば「来店前」、「オーダー時」、「商品の受け取り時」など、いくつかのフェーズに切り分けることができます。
ユーザーは各フェーズにおいて、「メニューを見る」、「オーダーをする」、「接客を受ける」といった行動と、それに付随する思考や感情を体験します。こうしたユーザー体験を予見・評価してタッチポイントや裏側の仕組みを検討していくのがUXデザインの考え方です。私たちはUXデザインのスコープを拡張することで、社会に受容されるサービスのデザインを実現できるのではないかと考えています。
UXデザインのスコープ拡張とはどんなものなのでしょうか。3つの観点をご紹介します。
1つ目は、サービスの利用を経た価値観変化の検討です。例えば、キャッシュレスサービスは支払額に合わせて紙幣や硬貨を出したり、釣りの受け渡しをすることなく決済を完了することができます。キャッシュレスサービスに慣れると、「手間がかかる現金決済には戻りたくない」と価値観を変化させるユーザーも少なくないでしょう。つまりサービスの仕様や提供価値が、ユーザーの価値観更新という中長期的影響を引き起こしているのです。 こうした影響をサービスデザインにおいて考慮するのが、1つめのスコープ拡張です。
2つ目は、サービスを利用しない人々への影響や価値観の変化を含めた検討です。
例えば今、キャッシュレスサービスが浸透し、現金を持ち歩かない人が増えています。すると、導入費用や手数料の問題でキャッシュレスサービスに対応していない事業者(非ユーザー)は、そうした人たちの来店機会を失ってしまうという形で、非ユーザーであるにも関わらずその影響を受けることになります。
3つ目は、ユーザー・非ユーザーの経験や価値観の変化が社会全体の大きな潮流に及ぼす影響の検討です。
例えばSNSなど情報発信ツールの普及は、情報発信のあり方を大きく変えました。これは、個人、公人、マスメディアの関係性におけるダイナミックな変動に対し、デジタルの情報発信ツールが強く影響していると捉えることができます。
また、このような変化を受けて、情報発信ツールに対する価値づけも「こうしたツールは非常に重要である」、「それゆえサービス提供者が負うべき責任も大きい」と変化しています。
こうした社会全体に対する影響や、社会全体から見たサービスの価値づけをサービスデザインのスコープに含めようとするのが、3つ目のスコープ拡張です。
サービス進化シナリオでステークホルダーの価値観変化を追う
スコープ拡張に向けたアプローチ案として、私たちはサービスと社会の相互進化のシナリオを検討するためのフレームワーク「※サービス進化シナリオ」を考えました。
※「サービス進化シナリオ」
サービスのユーザー、提供者、その他ステークホルダーのふるまいや考えの変化の相互影響を想定し、社会受容に向けてあるべき姿(ステークホルダーの価値観についてその変化の因果的連鎖)を議論・可視化するための検討フレームワーク。
このフレームワークでは、「サービス提供者」、「ユーザー」、「非ユーザー」、「社会全体」を縦軸に置き、各ステークホルダーの価値観変化のフェーズとして、「サービス提供以前の動向」、「サービスの利用や提供経験」、「経験の意味づけ」、「経験に対する意味づけを経た価値観の更新」を横軸に置きます。
そして、各フェーズにおけるステークホルダーの思考や行動を検討することで、サービスがユーザー、非ユーザー、社会全体に及ぼす影響を探り、課題やハレーションのリスクを洗い出してサービスデザインのプロセスにフィードバックしていこうとするのがこのアプローチの考え方です。
サービスの社会実装に向けた検討を進めていく上では、多様なユーザーを想定する必要があります。
サービスの提供側は、何かしらユーザー像を想定しています。想定から外れない「模範型」が多くを占めると、大きな問題が起こる可能性は最小限です。しかし中には、想定した ITリテラシーやスキルを持たない「利用困難型」のユーザー、リスクが気になる「リスク懸念型」のユーザー、さらには、本来の利用目的から外れて自分の利益を追求する「利得追求型」のユーザーもいるかもしれません。こうしたユーザーの多様性に注意を払うことがこのアプローチのひとつのポイントになります 。
また、非ユーザーも多様です。例えば、デジタルテクノロジーの社会実装を前向きに歓迎するような「デジタル歓迎層」、サービスによる課題解決に関心がある「課題関心層」、デジタルテクノロジーのリスクを警戒する「デジタル警戒層」、サービス提供側が不当に利益を得ようとしているのではないかと警戒する「不正警戒層」などが想定されます。サービスの社会実装を考える上ではそうした人々を広く見渡してデザインすることが重要です。
シナリオ検討による社会受容・倫理課題のリスク抽出
次にご紹介するのは、課題発生リスクの架空事例です。公共施設利用のレビューを投稿するとクーポンがもらえるアプリがあるとします。投稿者は電子クーポンを受け取ることができる、施設側は利用促進やサービス改善ができる、それぞれのメリットを狙っています。
ところが、ユーザーの中には「利用したいがアプリ操作が苦手」という方もいるかもしれません。配慮が十分でないと、アプリを使えないユーザーは置き去りにされる感覚を覚え、世の中の流れに不安を抱くかもしれません。また、こうしたデジタルデバイド※がサービスの受益格差の一例と位置づけられたり、世の中全体としてのデジタルサービスの逆風化に繋がることも懸念されます。さらに、そうした非ユーザーのサポートに回らなくてはならず、結果的に効率的な運用が困難になるなど、サービス提供者にとってのデメリットもあります。
※デジタルデバイドとは…IT技術の恩恵を受けられる人と受けられない人の間に生じる格差のこと。
一方、たとえば、サービス提供者はその対応に追われるだけでなく、不正警戒層から批判を受けることになるでしょう。さらに、社会全体の流れとして「デジタルサービス自体が不正の温床になる」とみなされる可能性もあります。こうした検討から、一部ユーザーが利得を追求したとしても適正な利用の範囲に収まることが、このサービスの新たな要件になります。
以上のように、サービス進化シナリオを活用することで、サービスが社会に与える中長期的影響と課題発生リスクを検討し、これを回避したりあらかじめ解決したりすることを要求仕様としてサービスデザインにフィードバックできるようになると考えています。
今後の課題としては、第1には「シナリオ発想の容易化」があります。課題事例を分類・体系化することで、誰もが容易に発想できるようなツール化を進めていきたいと考えています。
第2には、「対話ツールとしての運用」があります。サービスデザインの過程でこのフレームワークを使い、実際のユーザーや非ユーザーと対話するためのツールとして整備していくことで、サービスのあるべき姿を幅広いステークホルダーとともに探っていけるのではないかと期待しています。
第3には、「サービス開発プロセスへの組み込み」が求められます。抽出された課題発生リスクが適切にヘッジされるよう、開発プロセスの適切なフェーズに適切に取り込み可能な要求仕様をフィードバックしていける仕組みを作っていきます。
次回は、筑波大学人間系 原田悦子教授、静岡大学地域創造学環 須藤智准教授も交え、技術と社会の共生実現に向けた課題を議論します。
佐倉 統
東京大学大学院情報学環教授/理化学研究所革新知能統合研究センター チームリーダー
1960年東京生れ。京都大学大学院理学研究科博士課程修了。理学博士。もともとの専攻は霊長類学だが、現在は科学技術と社会の関係が専門領域。人工生命、脳神経科学、放射線リスク、AIやロボットなどさまざまな分野の社会的問題を渉猟しつつ、人類進化の観点から人類の科学技術を定位することが根本の関心。主な著書に、『科学とはなにか』(講談社ブルーバックス)、『人と「機械」をつなぐデザイン』(東京大学出版会)、『「便利」は人を不幸にする』(新潮選書)、『おはようからおやすみまでの科学』(ちくまプリマー新書)など。
岩木 穰
日立製作所 研究開発グループ 東京社会イノベーション協創センタ
サービス&ビジョンデザイン部 研究員( Senior Researcher)
2013年に日立製作所入社後、デザイン本部を経て現職。業務現場のエスノグラフィ調査などのユーザーリサーチを通じた人的観点でのソリューション創生・業務改革に取り組むとともに、そうした手法の組織的展開に向けた方法論研究に従事。近年は、デジタルソリューションが社会に広く長く受け入れられていくためにあるべき姿を探る研究にも取り組んでいる。
原 有希
研究開発グループ デジタルサービス研究統括本部 社会イノベーション協創センタ
サービス&ビジョンデザイン部 リーダ主管研究員(Unit Manager)
1998年、日立製作所入社。デザイン研究所、デザイン本部を経て、東京社会イノベーション協創センタにて現職。ユーザーリサーチを通じたHuman Centered Designによる製品・ソリューション開発や、業務現場のエスノグラフィ調査を通じたCSCW(Computer Supported Cooperative Work)の研究に従事。人的観点でのソリューション創生や業務改革を行っている。
[Vol.1]多様な立場からサービスを見直す
[Vol.2]技術と社会の相互作用、社会受容へのアプローチ
[Vol.3]デジタルサービスは真に民主的なものになり得るか