[Vol.1] 現代思想から見る現代のサービス
[Vol.2] “知らない”という自由を尊重できるか
[Vol.3] 管理しない「余地」のある社会システム
複雑な問題を複雑なままに扱う
柴田:
まずは、「現代思想」とはどんなものなのかというところから伺いたいと思います。
たとえば、私やインフォバーンのお二人が実践している「デザイン」は、基本的には複雑な問題をシンプルにすることでユーザーの行動を促す、ということをやってきました。ただ近年は、そのデザインがもたらした製品やサービスの分かりやすさが、人々が社会を理解しようとする活動を少し抑制してしまっているんじゃないかということも言われています。
一方、千葉さんの本の中には、現代思想とは「複雑なものを、より高い解像度で、複雑なまま理解することができるようになること」とあります。複雑なものを複雑なまま理解すると、日常生活にどんな違いをもたらしてくれるのでしょうか。
千葉さん:
これは現代思想というよりも、ものを考えること一般の話だとも言えます。特定の目的を果たすために効率的に道具を設計する場合、最もシンプルな設計で作るのは当然のことですよね。だけれど、人間関係を単純化したら問題でしょう?たとえば夫婦関係のように、互いをプラスと思ったりマイナスと思ったりすることは、その夫婦関係のいろんな側面であって、それを「最もシンプルに考えたら君、こうじゃないか!」って言ったら、関係は壊れてしまいますよね。
複雑なものを複雑なままに捉える必要があるというのは、たとえば、人と人の間の、それぞれの思惑がいろいろ複雑に絡み合っているような状況がそうで、人間関係は決して単純化できないわけです。それは2者間の関係でもそうですが、もっと複雑で大規模なものとしての社会においてコミュニケーションデザインを考えていくときに、シンプリファイするということがあまり強く働きすぎると、人間関係というものの難しさから目をそらすことになる。
あるいは、環境問題においても、クリーンエネルギーに全振りすれば良いと理念として言ってもできないし、クリーンエネルギーと化石燃料の関係はどうするのか、肉食と菜食主義はどうするのか、とか、そういう二項対立が問題になるときに、シンプルな答えは出せません。人々は、ある種のポーズとして極論を言ったりしますが、現実問題としてそうはいかない。ここでポイントになるのは、言葉というものの難しさです。複雑なことを明確な言葉で語れる人って、なかなかいないわけです。
柴田:
二項対立するものについての議論が難しい、ということでしょうか?
千葉さん:
ここには、何を主張するかというより、言語を使うことの難しさがあると思います。一つの文では一つのことを言うべき、などと言われますが、文を作ることが思考の単純化になってしまうことが往々にしてある。むしろ、複雑で長い文を話せるようになる、聞き取れるようになることが必要だと思います。これは非常に大事なことで、複雑で長い文が理解できないと、複雑な思考ができない。それには記憶力が必要です。言われたことを文字通りに、ある程度の時間、取っておく記憶力がないと、そもそも複雑な話ができないんです。そんな面倒くさいこと言っていられないから!って、すぐ単純な結論になるんですよ。
現代思想は、仮に2つの極を立てるとしても、その間で両極が相互依存するような状態、グレーゾーン、曖昧さ、多重決定性といった状況を考えようとするものです。「人間って割り切れないよね?」、「そんなこと、誰だって考えてますよね?」と言われたら、それはそうなのですが、その”割り切れない”ということ自体を、ある種の抽象的な理論として本格的に研究したところがフランス現代思想の特徴だと思います。
偶然性がもたらす喜びと、それを恐れる安全志向
柴田:
便利な道具を作っていく上で、必要な仕様を決めていくのはその通りで、問題なのは人間関係だ、と仰っていました。一方でウェルビーイングについて考えたときに、いまの世の中はスマートフォンのアプリケーションなどが特徴的だと思うのですが、かなりいろんなことができて、一瞬で難しい問題を解決できるようになってきていますよね。
世の中がどんどん便利になって、リスクがどんどんなくなってきている。リスクのない社会になっていくことに関して、私たちはこれからどのように製品やサービスに接していくのが良いと思われますか?
千葉さん:
アルゴリズムで課題解決できるようになると言っても、大して難しいことを解決してないんじゃないかと思います。大体、さっき話した夫婦関係の問題はAIでは解決できないと思いますし(笑)。
柴田:
確かに(笑)。
千葉さん:
画像認識や非常に手間がかかる数え上げや、その中からの経路選択とか、そういうことができるようになっている、という話ですよね。それは、これまで単に労力がかかっていたことを機械に代替させるという意味では、過去に行われてきたオートメーションとそんなに変わっていないんじゃないかな、と思います。認知的な活動に関するオートメーションがさらに進んでいくのでしょう。
認知的な情報処理のミスは、機械に任せることで減るかもしれませんが、リスクがなくなるわけじゃない。たとえば画像の分類にしても、そこにある種の差別的な分類が入ってしまうことが問題になったりするわけです。人間が物事に意味を付与するときのコンテクストは非常に複雑です。コンテクストを大量に読み込ませればある程度はできるでしょう。それでも、リスクがなくなるわけではないと思います。
大きな社会論として言えば、そうしたテクノロジーの進歩につれて、人がいっそう偶然性を恐れるようになっていくという傾向はあると思うんです。予測して、未然にトラブルやミスを防ぐという傾向は強まっているし、実際、それで防げる部分も出てきている。しかしそのために、かえって、いつトラブルが起きるか分からないという不安が増大しているのかもしれません。
重要なのは、人間の生活は、予測不可能なものに開かれているからこそ、充実感があるんだ、ということです。つまり、何の問題もなく、希望やニーズが満たされ、タスクが処理され、目標が達成されていく人生が楽しい人生か?と言ったら、そんなことはないと思うんです。予想外のことが起きたり、不幸を乗り越えたりすることに、人生の喜びがある。少なくとも20世紀まで、人はそう思ってきたのではないでしょうか。ところがテクノロジーによる先回りが進むにつれて、そういう価値観に陰りが見えてきた感じがある。いまの若い人たちを見ても、安全志向が強くなってきていると思います。でも僕は、テクノロジーが人間における偶然性への感性を一掃するほどにまで発達するとも思えないんですよ。
不合理なことをする自由
木継さん:
私もノーリスクなんて妄想だと思っています。人は複雑な内面性を持っていて、その内面性をいかにお互いが許容し合いながら併存するのか、人間性を担保するのか。我々デザイナーが「こういったものが欲しいでしょう?」とニーズを仮定してデザインした製品やサービスを提供することによって、本来人間が内面に持っている側面を単純化してしまい、不安や悪といった微細な感覚や情動を置き去りにしてしまう。かえって、ニーズとかノーリスクをめざすことが、人々の生々しい心理生成を抑圧している状況を生んでいるんじゃないか?と。デザインが生み出した一つの均質な世界観の中で、デザインされたモノとそれを使う人が相互に均質化を進めてきた結果、こういう状況になっているのかな、という懸念もあるんですよね。
そこに対して、哲学という視点が、何らかの錯乱や撹乱を与えてくれるのではないか?という期待があります。デザイン活動において、哲学の視点をどう見たらいいのでしょうか。
千葉さん:
そうですね。たとえば、健康と不健康という対立でいうと、人はわざと不健康なものを食べたりするわけです。だって、とんこつ醤油ラーメンなんて、合理的に考えたら、もう一切食べない方が良いに決まっています(笑)。
人間が愚かなことをするのは、適切な客観的情報が十分与えられていないからであり、情報を十分与えられたならば、多くの愚かなことをしなくなるんだ、という考え方があります。でも僕は、それは間違っていると思っていて。たとえ情報を与えられたって、わざと愚かなことをする人はいる。それって、そのリスクを知らないからやっているわけじゃなくて、知っていてもやっているんですよ。
人間というのはそういうところがある。というか、それが人間の自由だ!というところがある。だから難しいですよね。特に企業とか公的な立場では、あくまでも表で言えることしか言えないわけです。そこは、ギリギリの言い方が重要になってくると思います。僕としては、技術によってリスクを先回りしすぎることは良くないとはっきりと思っています。やっぱり、余計なことをしすぎちゃいけないんです。
柴田:
そこのバランスが難しいんですよね。
次回は、データが残る世界における可能性とリスク、意思決定を誘導する「ナッジ」についての考え方など、人々の選択に対する企業の関わり方についてお聞きします。
千葉雅也
立命館大学大学院 先端総合学術研究科 教授
1978年、栃木県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。哲学者、作家。『動きすぎてはいけない——ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』で紀伊國屋書店じんぶん大賞2013、表象文化論学会賞を受賞。2019年、初の小説『デッドライン』で野間文芸新人賞を、2021年「マジックミラー」で川端康成文学賞を受賞。2023年、『現代思想入門』で新書大賞を受賞。その他の著書に『勉強の哲学——来たるべきバカのために』『意味がない無意味』『アメリカ紀行』『ツイッター哲学——別のしかたで』『オーバーヒート』など。
木継 則幸
株式会社インフォバーン
フェロー Co-Founder
コミュニケーションデザイン領域を主軸にアートディレクターとして活動後、現在は事業開発及びブランドコミュニケーションにおけるコンセプトメイクからクリエイティブディレクション、エクスペリエンスデザインまで一貫したプロセスデザインを通じ、多様なセクターの価値創出を支援。NY ADC Award、文化庁メディア芸術祭等受賞多数。SFMoMA、Milano Salone、Tokyo Design Week等国内外で作品発表。サンフランシスコ近代美術館にパーマネントコレクションとして作品所蔵。
川原 光生
株式会社インフォバーン IDL(INFOBAHN DESIGN LAB.)部門
デザインリサーチャー
京都大学経済学部にて文化を対象とするデザインの方法論を学び、2021年より現職。電機・自動車・不動産管理等の領域で、事業開発のための定性調査・分析を支援。インタビュー、エスノグラフィ、トランジションデザインのためのリサーチ等に取り組む。
柴田 吉隆
研究開発グループ デジタルサービス研究統括本部 社会イノベーション協創センタ サービス&ビジョンデザイン部 主管デザイナー(Chief Designer)
公共分野のプロダクトデザイン、デジタルサイネージやICカードを用いたサービス開発を担当後、2000年代後半より、顧客経験に着目したシステム開発手法の立上げ、サービスデザインに関する方法論研究と日立グループ内への普及に従事。現在は、これからのデザインの役割を「未来の社会について、ひとりひとりが意見を持ち、議論をする」ことを促すものとして、ビジョンデザインを中心に活動している。
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