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現代思想の観点から、デザインや技術の指向を考察する対談の最終回。DAOやweb3.0といった新たな分散型コミュニティへ、企業はどのように対峙していくべきなのでしょうか。また、既存の地域コミュニティに対しては企業がどこまで介入し、どのような価値を提案していくべきなのでしょう。その答えを探りながら、立命館大学大学院教授 千葉雅也教授と、株式会社インフォバーン デザイナー 木継則幸さん、川原光生さん、日立製作所研究開発グループ 社会イノベーション協創センタ 主管デザイナー 柴田吉隆の4人で語り合います。

[Vol.1] 現代思想から見る現代のサービス
[Vol.2] “知らない”という自由を尊重できるか
[Vol.3] 管理しない「余地」のある社会システム

シンプルな道具が掻き立てる想像力

柴田:
ちょっと話題を変えて、人と人の繋がりに関する話を伺いたいと思います。web3.0※の世界での分散型自律組織(DAO:Decentralized Autonomous Organization)と呼ばれる、何らかの活動を管理運営していくようなコミュニティが生まれています。

※Web3.0……分散型(非中央集権型)インターネットの総称。情報の改ざんを阻止するブロックチェーン技術などの活用により、人々はプラットフォーマーを介さずに、安心して情報をやりとりすることが可能となる。

千葉さん:
利益を出す企業体とは違う形の人の集まりということですね?

柴田:
そうです。

一方で、地方で人口が減ってきてインフラの維持ができなくなり、市民がその運営に関わっていく、自律分散型の仕組みが求められているような動きもあります。

この2つの動きが呼応しあってつながって、新しいパブリックのようなものを作ろうとしているように見えていますが、パブリックでの人のつながりについて、どんなことに注意していけば良いと思われますか?

千葉さん:
そういうつながりは、これからいろいろ試みられていくのでしょうね。そこに企業がどう関わって何をするかという話ですね。たとえばコミュニティのネットワーキングのためのツールを提供するというなら、関わりすぎずに、最小限のシンプルなツールを提供することが大事だと思います。こういうツールを導入してもっとしっかり履歴が残せますよとやると、管理を勧めることになるわけです。そうするとせっかく自発的に始まった動きに、いろんなガバナンスの問題が出てきて、コンプライアンスの問題が出てきて、会社と同じ問題が生じるようになっていきます。だから、素人の人たちが素人なりにやっているところを、変にセミプロ化させないような関わり、というのが大事だと思います。

画像: 素人をプロ化してしまわないことが重要、と語る千葉教授。

素人をプロ化してしまわないことが重要、と語る千葉教授。

柴田:
素人の人が、素人のままでいられるツールということですか?

千葉さん:
そうそう。モダニズム的な発想ですが、道具はシンプルであってほしいと思っているんですよ。シンプルな道具の周りに広がる想像力が大事だと思っています。日本の製品開発は、何でもかんでも先回りしていろいろくっつけるじゃないですか。先回りして準備して、機器のボタンがたくさん増えてしまうようなダサさと同じことを、非物質的なサービスにおいてもやってしまっていないかと。道具がシンプルであるほど人々の想像力を掻き立てるんだというのが、コミュニティデザインにおいても大事なところだと思います。

木継さん:
余白によって相互関係による創造性を生む。そこを侵食しないような設計が求められているということですね。

千葉さん:
設計という言葉が適切かどうかは分からないけれど、囲い込まないような環境を提供するという貢献の仕方があると思うんですよ。建築においても、空間の可塑性、そこに生じる多様性をどう考えるかが大事ですよね。

柴田:
埋めてはいけない余白に踏み込んでいるなということに、どうやって気づいていくことができるでしょうか。

千葉さん:
地方のコミュニティであれば、そこできちんと人と話さないといけないですよね。人をしっかり見て、そこで感じ取るということは省略できない。定量的に調べれば分かるというものではなくて、質的調査によってしか分からないことです。そして、それを感じ取ろうという人が、さまざまな教養的な背景を持っていなければ分からないことだと思います。

人間はさまざまな否定性を抱えていて、否定だから嫌なわけじゃないんです。「苦いものが美味しい」みたいなことです。地域の人たちにトラブルがあっても、それを全部解決してしまったらやりすぎなのであって、多少のトラブルは抱えたままにしておくことが、このコミュニティにとって良いことだとか、そういう判断ができる人がデザインに関わらないといけない。そういう人材育成をする必要があると思います。

難しいのは、管理しないこと

柴田:
いままさに我々も地域の中に入っていって、直面している問題に触れながら、そこで人々が使いこなせる製品やサービスを開発していく、「リビングラボ」と呼ばれる活動に取り組んでいます。一定の商業的な意図を持った企業が地域に入っていくことで、もしかしたら僕らは問題を解決してしまうかもしれない、という危うさを感じました。

木継さん:
そうですね。「リビングラボ」は、基本的には生活の場のもう一つの実験場として、その地域の課題解決と新しい発想やビジネス創造を統合的に行っていくような活動だと思うのですが、そのもっと手前のところで、我々にとって重要な意味があります。デザイナーは人々のニーズという形で、その背景にある複雑な要求を簡略化してしまいがちなので、我々が生活の基盤に入ることによって複雑なもたれあいをつぶさに感じるための活動が「リビングラボ」なんです。

とはいっても、「リビングラボ」をやるからには変化を求めるので、そのためには何らかの外部性が必要なんですよね。

そこで我々が考えたのが「インターガバニング(動律)」という考え方です。トップダウン的なガバナンスで全体性をつくるのではなく、建築が空間におけるバラバラな個別性の存在を包含していくように、生活者の相互の関係の中でガバナンスを作り上げていくという考え方です。

画像: リビングラボの活動に必要な外部性を担保するため、木継さん自ら、独自の概念を提案し運用している。

リビングラボの活動に必要な外部性を担保するため、木継さん自ら、独自の概念を提案し運用している。

千葉さん:
それは理解できます。「インター」ということ、相互性ですね。どちらかということではなく、実際に現場に入っていったときに、複数の、2者間だけじゃない、もっと複数のエージェントがあって、その中で誰が誰をガバン(管理)するのかが多方向に展開するような関係ですよね。普段関わっていない地域に出ていって関わるというときには、何か異物を持ち込むことになるわけです。そのときに、どれだけその現場の状況を理解するかが重要になってくるわけですが、もちろん、理解はつねに不十分です。

問題解決といっても、そこで取り沙汰されるニーズは、単純化されたり、あるいは歪められたりしています。アイロニカルな言い方になりますが、そもそも、人は自分で自分のニーズを誤認しているものです。その中で非常に限定的な関わりが起きる。本当にそこでなされるべきことがなされるなんてことはないわけですよ。非常に制約された、もしかすると非常に勘違いしているかもしれないことが起きるわけです。

木継さん:
断片を見ていくことしかできないですからね。

千葉さん:
でもそれでいい。というか、そうするしかないですよね。ある場所に入っていって活動するというのは、有限な関わりをするわけで、それは万能な道具を持ち込むということではないわけです。何かが入ってきたことをきっかけに人々が考え始めて、自立的に何かを動かし始めたとしたら、触媒になったのだからそれでいいということだと思うんです。どうしたって中途半端にしか関われないということこそが、むしろそれ以上の関わり過ぎを抑止してくれる重要なサインなのかもしれません。

柴田:
先ほどの、維持という言葉に繋がるわけですね。

千葉さん:
頑張ろうとしすぎる善意が良くないんです。人間というのはとにかく管理したがります。ちゃんとしようとするんです。そしてこれは僕の哲学的テーゼとしてよく言うことですが、人は頑張ってちゃんとしようとすることを「偉い」とか「努力している」とか言うけれど、実は最も安易なのがそれだということです。

難しいのは、管理しないことです。人間は何か不安に対処しようとする際、とにかく儀式をやろう、ルーチンを定めようとします。朝起きたらこれをやる、これは食べない、服は必ず黒を着る、とか。いろんなことを決めて、そうすると安心する。考えないで済ませる=ルーチン化するというのが原則です。ただ、どんなことでも、一定の成果を出して目的を達成するためには、ある程度ルーチン化することがどうしても必要です。だけれど、それが全面化してしまうと、人間の生というのは非常に貧しくなる。必要なルーチン化とは何かを見極めながら、偶然性を大事にする。その両輪で考えるということが大切だと思います。

柴田:
我々はインフラを作ったり、社会システムを成立させていくための制度を考えたりするのですが、どういうものを指向していったらいいのかな?というのが、いまの話を聞いていると悩ましく感じます。

千葉さん:
深く関わりすぎないことと、その地域のニーズに応えると言っても、応えきれないところで良しとする、ということでしょう。ここで重要なのは、公的な言説で「秩序を作ろう」とは言えるけれど「ランダマイズも必要だよね」とは言いにくいことです。「脱秩序化することが必要ですよね」とは普通言えない。なので、人は建前を言うしかなくなるんです。

大事なのは、建前を建前だと分かっている、ということです。表のところでは「こうするとより良いガバナンスができますよ」と言うけれど、会議室から出たら「とはいえ完璧にはできないですから、できないあたりが実は大事なんですよね」という話を、ちゃんとインフォーマルなところで共有できる、喋り分けができるような人間的能力を持った人。これを組織の中に育てることが大事です。建前社会が強まってきて、どうもこの二重性の意識が弱まっていると思うんです。建前育ちの人が増えてきて、本当にそれが良いことだと思っている人が増えてきていると感じます。

川原さん:
何かプロダクトをつくるときに、ユーザーのニーズが分からないとなると基本的に企画書は通らないですよね。企業自体が予測不可能性に全然開かれていなくて、ルーチンで動くようになっています。僕は会社の中では下っ端なのですが、どうしたらいいのかなと思います。

千葉さん:
組織の中で語られる言説は複数のレイヤーでできていて、そこを行き来するんだという理解が必要ですよね。この人はこのレイヤーではこういうことを言うけれど、あっちのレイヤーでは違うことを言う人だということをちゃんと意識したうえで、レイヤーのチャンネルを切り分けながら仕事をしないといけない。

川原さん:
でも、オンラインだとその切り替えが無いですよね?

千葉さん:
まさにそうなんです。オンラインはやりづらいんですよ。以前はそれが「会議室と廊下」とかで切り分けられていた。だから、上司が見ぬふりをするのも大事なんです。これがすべてトレースされるようになったら、組織がだめになってしまいますから。

企業は“管理社会批判”ができるか

柴田:
千葉さんの言われる、「複数のレイヤー」を持ったシステムを作っていこうとしたときに、何に注意して、何を指向していったら良いのでしょうか?

千葉さん:
難しいことだとは思いますが、「企業が自らに管理社会批判を実装することは可能か?」というのが課題だと思います。

画像: 企業は“管理社会批判”ができるか

柴田:
管理の塊ですからね…。

千葉さん:
無理じゃない?と思われるかもしれませんが、このほとんどパラドックスのような命題からギリギリ出てくるような何か。企業が管理社会批判というものを考えたときに、何が可能なのか?ということを考えてもらいたいなと思います。

柴田:
それを考えることで次に行けると?

千葉さん:
そうだと思います。企業が管理を強化することを、少なくとも僕みたいな論者は当然批判することになるわけですが、そうじゃないような遊びの部分や余地をどのようにサポートできるか。設計じゃなくてサポートするようなことが企業にできないかと思います。ただ、プレイルームとかメディテーションルームをつくるというのは、そういうこと自体を管理化してしまうわけです。余地や隙間風のようなことを可能にするというのは、そういうことではありません。

木継さん:
いまは余地的なものを設計してしまっている。不安をいかに許容するかということが大切ですね。

千葉さん:
そうです。不安を抑えるために秩序化するということが、易きに流れることだということです。

不安への対処は必要ですが、乗り越えることはできない。不安との曖昧な付き合いを続けるしかないということでしょうね。それを、しらみつぶしにつぶそうとしているというのが、いまの社会の傾向なのだと思います。

柴田:
個人は、不安というものと比較的うまく付き合っているのかな?と思うのですが。

千葉さん:
そうでしょうか?今日では、個人レベルでの不安も、とにかくなくしたいという思いが強いと思います。これは社会的現象だと思います。いわば、人類が歳をとってきたのかもしれません。人間って若いときは無鉄砲なものですが、いままで気にならなかったことが気になるようになるのは、少なくとも個人レベルではあまり良くないことです。ところが社会においては良いことだと言われるんですよね。

柴田:
そうですね、そんな感じがします。

千葉さん:
このミクロとマクロのねじれって何だろう?といつも思うんですよね。

柴田:
維持というマインドセットをいかに獲得していくかということなのでしょうか。

千葉さん:
変に拡大しようとしないで、維持しつつ、インフラに関する改善をどう行っていくかということだと思います。より爆発的に利益を出していく方向に企業活動を展開する時代ではなくなっているので、何らかの意味で、インフラレベルでの改善が必要です。過剰な関わりで世の中が良くなるとは考えずに、むしろ引き算の思考でどうするかを考える。

柴田:
やりすぎたものを削っていくという引き算は、何を基準に判断したら良いですか?

千葉さん:
一概には言えないことですが、これまでの人類の歴史がどう進展してきたか、人が大切にしてきたものは何なのか、我々の生活において欠かせない標準になったものは何なのか。エッセンシャルなものを考え直すことだと思います。

画像1: [Vol.3] 管理しない「余地」のある社会システム│哲学者 千葉雅也さんと読み解く社会システムとウェルビーイング

千葉雅也
立命館大学大学院 先端総合学術研究科 教授

1978年、栃木県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。哲学者、作家。『動きすぎてはいけない——ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』で紀伊國屋書店じんぶん大賞2013、表象文化論学会賞を受賞。2019年、初の小説『デッドライン』で野間文芸新人賞を、2021年「マジックミラー」で川端康成文学賞を受賞。2023年、『現代思想入門』で新書大賞を受賞。その他の著書に『勉強の哲学——来たるべきバカのために』『意味がない無意味』『アメリカ紀行』『ツイッター哲学——別のしかたで』『オーバーヒート』など。

画像2: [Vol.3] 管理しない「余地」のある社会システム│哲学者 千葉雅也さんと読み解く社会システムとウェルビーイング

木継 則幸
株式会社インフォバーン
フェロー Co-Founder

コミュニケーションデザイン領域を主軸にアートディレクターとして活動後、現在は事業開発及びブランドコミュニケーションにおけるコンセプトメイクからクリエイティブディレクション、エクスペリエンスデザインまで一貫したプロセスデザインを通じ、多様なセクターの価値創出を支援。NY ADC Award、文化庁メディア芸術祭等受賞多数。SFMoMA、Milano Salone、Tokyo Design Week等国内外で作品発表。サンフランシスコ近代美術館にパーマネントコレクションとして作品所蔵。

画像3: [Vol.3] 管理しない「余地」のある社会システム│哲学者 千葉雅也さんと読み解く社会システムとウェルビーイング

川原 光生
株式会社インフォバーン IDL(INFOBAHN DESIGN LAB.)部門
デザインリサーチャー

京都大学経済学部にて文化を対象とするデザインの方法論を学び、2021年より現職。電機・自動車・不動産管理等の領域で、事業開発のための定性調査・分析を支援。インタビュー、エスノグラフィ、トランジションデザインのためのリサーチ等に取り組む。

画像4: [Vol.3] 管理しない「余地」のある社会システム│哲学者 千葉雅也さんと読み解く社会システムとウェルビーイング

柴田 吉隆
研究開発グループ デジタルサービス研究統括本部 社会イノベーション協創センタ サービス&ビジョンデザイン部 主管デザイナー(Chief Designer)

公共分野のプロダクトデザイン、デジタルサイネージやICカードを用いたサービス開発を担当後、2000年代後半より、顧客経験に着目したシステム開発手法の立上げ、サービスデザインに関する方法論研究と日立グループ内への普及に従事。現在は、これからのデザインの役割を「未来の社会について、ひとりひとりが意見を持ち、議論をする」ことを促すものとして、ビジョンデザインを中心に活動している。

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