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アメリカやヨーロッパでは、スポーツ産業界にサステナビリティという新しいビジネスパラダイムが導入されて10年以上が経過しました。サステナビリティとは、変化のプロセス。それらの変化は、スポーツ・ベニュー(スタジアムなどの”会場”のこと)の収益源獲得方法、行政のベニューへの公的資金投入の要件、金融機関のベニューへの投融資資金提供方法、ファンへのアプローチ方法、新たな電源や交通インフラなどの不動産開発、求められる人材要件など具体的なイノベーションとして現れ始めており、ベニューを超えた街づくりにまで広がっています。本記事では、このような取り組みに造詣が深いグリーンスポーツアライアンスの澤田陽樹さんとDeNAの那須洋平さんを迎え、日本のスポーツ&サステナビリティの現状と未来について語り合います。ホストを務めるのは、研究開発グループ 基礎研究センタの神鳥明彦。ディスカッションを通して見えてきたのは、スポーツ&サステナビリティが起こすイノベーションの可能性でした。

[Vol.1]感動のなかで空間ごとサステナビリティを受け取る
[Vol.2]ハードとソフトの両面から考える意味ある価値の創出
[Vol.3]スポーツがはらむイノベーションの可能性

画像: 左から、DeNAのスポーツ・スマートシティ事業本部 川崎拠点開発室でサステナブル戦略を担当している那須洋平さんと、グリーンスポーツアライアンス 代表理事の澤田陽樹さん、日立製作所の神鳥明彦

左から、DeNAのスポーツ・スマートシティ事業本部 川崎拠点開発室でサステナブル戦略を担当している那須洋平さんと、グリーンスポーツアライアンス 代表理事の澤田陽樹さん、日立製作所の神鳥明彦

スポーツで味わうさまざまな感情が健康に寄与する

――工学と医学を専門とする研究者である神鳥さんが、スポーツに着目した経緯について教えてください。

神鳥:
私はこれまで、医療計測器などの研究開発を通して、認知症や心臓病、脳梗塞といった「疾患」から人間を理解することに取り組んできました。研究を通して知ったのは、病気の予防やリハビリに重要なのは運動だということ。スポーツへの興味はそこから生まれました。

ただ、人間というのは不思議なもので、スポーツや運動さえすれば元気になるというものでもありません。多くの患者さんを見て、身体の健康には“心”の状態が大いに関係していると感じたのです。たとえば、脳梗塞で倒れて入院したある高齢者は、もちろん身体はつらいわけですが、孫が毎日お見舞いに来てくれて、それがうれしいと。すると、ベッドの上でも一生懸命リハビリを頑張ったりして、すごく回復が早かったんです。そんなふうに、心の有りようやモチベーションによって身体の状態が大きく変わるというケースをたくさん見てきました。

心について知るために脳の研究もずっとやっていますが、心や感情を計測するのはなかなか難しい。しかし、脳の「島皮質」という部分があらゆる感覚を統合することで「感情」が生まれるということはわかってきています。傷口が痛いなどの皮膚感覚だけでなく、お腹が空いた、心臓がバクバクするなど、身体の内側の感覚も含めてです。

さまざまな感情を生み、島皮質を刺激することで、うつ病などの精神疾患にも効果があると言われています。スポーツは、その「さまざまな感情」を味わうという面でも大変重要なものだと思うんです。

島皮質をより刺激するためには、ずっと同じ感情でいるのではなく“差分”が必要です。たとえば2023年のWBC(World Baseball Classic)もそうでしたが、ボールの行方に熱狂したり、うれしくて全然知らない人と抱き合うといった、共感や感動。それだけでなく、一度劣勢になって、そこから逆転するなどのシーンで味わう“感情の波”がすごくいい刺激になるだろうと思っています。

画像: 「健康には、身体と心の両面からアプローチすることが大事なんです」と神鳥

「健康には、身体と心の両面からアプローチすることが大事なんです」と神鳥

サステナビリティは、“制約”を新たなイノベーションへ変える変化のプロセス

――スポーツ業界におけるサステナビリティに興味を持ったのは、どのようなきっかけがあったのでしょうか?

神鳥:
澤田さんにお誘いいただいて、2023年にシアトルで開催されたGreen Sports Allianceのサミットに参加したことがきっかけです。最初はすごく軽い気持ちだったんですよ。スポーツが好きだし、スポーツで人間の心を測るためになにかいいアイデアはないかな、というくらいの。ところが実際に参加してみると、頭を殴られたような衝撃がありました。

それまでは「サステナビリティってなんですか?」と聞かれたら、正しく答えられなかったと思います。でも、サミットを通してサステナビリティがどのようなものかを肌で感じて、腹落ちしました。日本ではよく、サステナビリティは環境やエコなどの言葉に置き換えられてしまいますが、まったく違うんですよね。アメリカでは、とにかくお金が動いています。一方ヨーロッパでは、「地域と一体になって社会をよくしようとしない企業」は好ましくないという風潮が共通認識になっていて、社会全体で同じ方向をめざして動いています。日本とはかなりギャップのある話をいろいろと聞いて、とても驚きました。

画像: Green Sports Allianceのサミットにて、発表会場の様子

Green Sports Allianceのサミットにて、発表会場の様子

――澤田さん、Green Sports Allianceが生まれたアメリカのスポーツ&サステナビリティについて詳しく聞かせていただけますか?

澤田さん:
アメリカのGreen Sports Allianceはマイクロソフト共同創設者のポール・アレン氏が2010年に設立した非営利団体で、スポーツ団体やベニュー運営者、支援企業などとともに、未来に向けて意味のある新しいスポーツ・ベニューの在り方やクラブ経営・イベント運営の在り方を再構築することをめざしています。ポール・アレン氏はもともとスポーツ&エンターテインメント事業や不動産開発事業をしていて、プロの球団も持っていました。

彼が考えたのは、スポーツで得られる感動のなかで、サステナビリティに寄与する取り組みをベニューの空間や提供されている商品やサービスの中に当たり前のこととして落とし込むことができないかということです。たとえばスタジアムの設備や、販売されるフードの包装を環境に配慮したものにしたり。それらの取り組みを通してスポーツ・ベニュー運営の収益力向上もめざしました。そして、サステナビリティに関する知見や情報は個社に留めるのではなく、皆が当たり前のこととして実践できるように広く共有されるべきだと考えて、Green Sports Allianceが立ち上げられました。そして、現在もスポーツ団体やスタジアム・アリーナに関わる事業組織、大学などに対してサステナビリティに取り組む際に求められる知見を提供しています。

サステナビリティは、言葉で伝えても、教育という形で啓発しても、おそらくなかなか広まらない。だから、スタジアムの空間ごと受け取るというのが大切なところです。スポーツの感動のなかでサステナビリティに触れ、自然になじむようにする。それを10年も続けると、徐々に当たり前のようになってくるんです。

民間事業者視点で考えると、いわゆる環境配慮などというのは、ビジネスをするうえで新たに出てきた制約だと捉えられていませんでしょうか。「予算を達成するためにこれくらいのスポンサーシップが必要で、チケットはこれくらいで売らなければならない」という経済面でのさまざまな制約に直面しながら日々の事業を切り盛りすることに加えて、「温暖化防止やCO2の削減に努めなければならない」という環境面での制約が出てきたということです。これをビジネスチャンスだと考える人もいれば面倒だと考える人もいます。スポーツ&サステナビリティの分野では、この新たな制約をイノベーションに変えてビジネスに変えようと考える人が多いのかもしれません。「環境が大事だからサステナビリティに取り組もう」という所謂、環境配慮型の取り組みという範疇のものではなく、「事業の実利・実損を考慮の上、事業戦略に落とし込まれた状態になってきている」のが、スポーツ&サステナビリティの分野で積極的な組織の特徴です。

神鳥:
スポーツのいい点は、メディアを通して発信されることですよね。有名な選手が「ここは環境に配慮されたスタジアムです」と言ったり、アーティストが「環境に配慮したスタジアムじゃないと歌いません」と宣言したりする動きも出てきています。新しい考え方を世の中に浸透させることに、スポーツはすごく適しているんです。

画像: アメリカ・シアトルにあるClimate Pledge Arenaでは、雨水を溜めて再利用している。写真はその水で育てられたプランター

アメリカ・シアトルにあるClimate Pledge Arenaでは、雨水を溜めて再利用している。写真はその水で育てられたプランター

日本でスポーツ&サステナビリティが広まるには、もう少し時間が必要

――日本のスポーツ&サステナビリティの現状について教えてください。

澤田さん:
先ほど申し上げた通り、サステナビリティは新たな制約をイノベーションへ変える変化のプロセスです。じゃあなぜ日本でそれが進んでいないのかというと、言うのは簡単だがやるのは実はけっこう難しいものだからだと思います。海外から伝わるスポーツ&サステナビリティの先進事例が大型の複合不動産開発などの色合いが正直強いのも精神的ハードルを上げているのかも知れません。それも、マンションの分譲なんかを扱うような不動産開発ではなく、広範な街づくりを見据えたもの。ただ、建設費用の多寡は別にして、ベニューのみならずエネルギーや交通インフラ、廃棄物処理、カーボンオフセットのための炭素吸収・固定などなど新たなテクノロジーへの理解や他分野の知識など、スポーツクラブが年間の事業を運営していくだけではない、新たな素養を持つ人材が求められていることは確かだと思います。

アメリカやヨーロッパはスポーツのマーケットが大きく、クラブチームが資金力を持っているので、そういう素養を持った人材を採用し始めています。そういうことを日本でもできるかというと、難しいところなんです。ただ、ヨーロッパでも全部の国ができているわけではないので、日本が遅れているというよりは、いまが変化の最中なのだと思います。将来的には必ずそっちの方向に進むと思うのですが、おそらく時間がかかるんじゃないかなというのが私の感覚ですね。

画像: 澤田さん(右)は「アメリカのスポーツ&サステナビリティが盛んであるとはいえ、日本がそれを真似する必要はありません。日本に合った独自の方法を探していくのがいい」と話す

澤田さん(右)は「アメリカのスポーツ&サステナビリティが盛んであるとはいえ、日本がそれを真似する必要はありません。日本に合った独自の方法を探していくのがいい」と話す

神鳥:
日本ではサステナビリティ=CSR(社会貢献)活動という考え方を多く見受けますが、本当は、社会貢献活動をしたら企業の評価が上がるとか、そういう小さなことではないんですよね。そこには大きなビジネスチャンスもあるし、イノベーションのチャンスもあるのに、そのことに気づいていないことが一番大きな課題だと思っています。

那須さん:
私も、そこが課題のひとつではと感じております。サステナビリティの活動を一定事業として成立させなくては、その活動はサステナブルじゃないと思いますし、貢献できることはもっとあるのにという思いはすごくありますね。

ただ、一方で、最近は同じような課題感を持つ人が増えているのかなとも感じています。そういう方向をめざしている企業も多いですし、サステナビリティについてアンテナを張っている人にはどんどん広まっていくのだろうと感じています。最終的には社会のなかに自然と染み込んでいき、当たり前になっていくのだろうとは思いますが、日本がそうなるまでには、私ももう少し時間がかかるのかもしれないと思います。

――次回はDeNAが取り組んできたスポーツ事業や、まさにいま進めているスポーツを起点にした街づくりについて伺います。

画像1: [Vol.1]感動のなかで空間ごとサステナビリティを受け取る|スタジアムから周辺地域へ。スポーツ・ベニューを超えたサステナブルな街づくり

澤田陽樹
一般財団法人グリーンスポーツアライアンス 代表理事

2002年、京都大学経済学部を卒業し、三菱商事に入社。国内での化学品事業を経験後、台湾三菱商事、ドイツ三菱商事等、世界の化学品事業で活躍。2017年に同社退後、LUKOILへの勤務を経て、一般財団法人グリーンスポーツアライアンスを設立。2024年3月三重大学生物資源学研究科博士課程単位取得満期退学。German Sustainable Building Council(DGNB)インターナショナル認定取得。

画像2: [Vol.1]感動のなかで空間ごとサステナビリティを受け取る|スタジアムから周辺地域へ。スポーツ・ベニューを超えたサステナブルな街づくり

那須洋平
株式会社ディー・エヌ・エー
スポーツ・スマートシティ事業本部 川崎拠点開発室

2006年、武蔵工業大学大学院(現:東京都市大学)環境情報学修士課程を終了後、(株)岩村アトリエに入社、建築・街づくりの環境デザインに関する計画、設計業務に従事。2014年に退社後、ソーラーフロンティア株式会社にて太陽光発電システムの開発、再生可能エネルギーに関する事業企画等の業務に従事。2022年に株式会社ディー・エヌ・エーに入社し、現在「川崎新!アリーナシティ・プロジェクト」の開発、アリーナシティにおけるサステナビリティに関する取り組みの実現に向けた企画に従事。

画像3: [Vol.1]感動のなかで空間ごとサステナビリティを受け取る|スタジアムから周辺地域へ。スポーツ・ベニューを超えたサステナブルな街づくり

神鳥明彦
日立製作所 研究開発グループ 基礎研究センタ 主管研究長

1990年、上智大学理工学研究科博士前期課程を卒業し、(株)日立製作所中央研究所に入社。その後、同社基礎研究所と中央研究所との転属を経て、現在は同社基礎研究所の主管研究長。主に磁気計測などを使った医療機器の基礎研究から薬事承認までの研究開発と、生体計測による心臓、脳などの臨床応用研究に従事。1997年には上智大学理工学部より工学博士の学位取得、2003年には筑波大学医学研究科より医学博士の学位取得し、2005年には十大新製品賞(にっぽんぷらんど賞)受賞、2013年には文部科学大臣賞を受賞、2020年にはIEEE Fellowを受賞。

[Vol.1]感動のなかで空間ごとサステナビリティを受け取る
[Vol.2]ハードとソフトの両面から考える意味ある価値の創出
[Vol.3]スポーツがはらむイノベーションの可能性

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