[Vol.1]マスプロダクトの価値を問い直す
[Vol.2] コンヴィヴィアリティのための道具とは
[Vol.3]マスプロダクトの余白が、「ともに生きる喜び」を可能にする
現代のマスプロダクトが抱えうる問題
福丸:
これからのマスプロダクトの社会性を考える前に、現在のマスプロダクトの価値を測る主な指標に触れてみたいと思います。手ごろな価格で手に入る「経済性」、人の手間を減らす「利便性」、あこがれを叶える「権威性」。最近では、地球にやさしい「環境性」も台頭してきました。
いずれも、これまで社会が必要としてきた性質ですが、ときおり度を越した便利さが、人が自ら考えること、生活を営む力をつける機会などを奪ってしまいかねないなと思うことがあります。人とプロダクトが共により良く生きる関係を築くにはどうしたらいいのでしょう。
緒方さん:
自著の『コンヴィヴィアル・テクノロジー』で、道具の「行き過ぎ」について触れていますが、すべてのものに対して行き過ぎかどうかを分ける唯一絶対のラインはありません。それぞれの領域で、行き過ぎたら逆の方向へ向かうことを考えていくことが大事だと思っています。マスプロダクトには大量生産品として社会に多く普及するモノとしての役割と責任がありますから、その中で最適なマテリアルを考えたり、使い手との関係を調整したり、できることをやっていくのが大事なポイントでしょうね。
福丸:
そうですね。「行き過ぎた」と言っても、いきなり全てを手作りに戻して人に苦労してもらおうという話ではない。マスプロダクトは市場経済システムに則っていますが、私たちが安価に便利な生活を享受できたというのは、やはり良い仕組みだったと思うんです。
ただ、市場経済システムのループは強固なので、行き過ぎかどうかを問いにくく、そのループに依らずにマスプロダクトを作ることも難しいと感じています。やはり、イリイチが言う「二つの分水嶺※」のうちの、第二の分水嶺を越えていないかを問うていく必要はあるかなと思っています。
※二つの分水嶺……哲学者のイヴァン・イリイチが著書『コンヴィヴィアリティのための道具』で提唱した考え方。イリイチは、道具には人間の能力をエンパワーする「第一の分水嶺」と、行き過ぎて過剰になり、人間の力を奪う「第二の分水嶺」がある、とした。
そこで私たちは、マスプロダクトをあえて批評的に捉え、3つの問題点を見出しました。一つ目は、提供価値の過剰な広がりです。さまざまな人に合わせて機能を付加していくと、ユニバーサルである一方で、ほとんど使わない機能がたくさんついている状態になってしまいます。二つ目は、そのように機能を拡大していっても、どうしても取り残されてしまう人がいることです。経済力や身体的な制約により使えないというようなことがどうしても起きてしまいます。三つ目は、人がプロダクトに無理に合わせたり、考えずに付き従ってしまう状態です。たとえば、子ども用の左利き用のハサミは色が決まっていて、左利きの子どもは他の色が選べないことがあります。ハサミの例は小さな違和感かもしれませんが、プロダクトに自分自身を合わせてしまうようなことは、あちこちで起きていると思います。
ユーザーとプロダクトが対話する
森:
こうした問題に対して、緒方さんがご著書の執筆を通じて気づいたことがあれば教えていただけますか。
緒方さん:
そうですね。やはり、「ユーザー」という概念の登場が大きかったのではないかと思います。テクノロジー中心から人間中心、ユーザー中心になったこと自体は画期的なんですが、それが行き過ぎて、とにかくユーザーを困らせてはいけない、ということを過剰に意識し、さらにそれをマスプロダクトでやろうとすると、非常に広範囲のユーザーを絶対に困らせないように考えていかなくてはならなくなります。品質を均一に、たとえ間違った使い方をしても問題が起きないように設計していくと、人はただ何も考えずに使うだけになってしまいます。
そうではなく、ユーザーがプロダクトを使うことで価値が生まれるとすると、ユーザーとプロダクトとの関係性をコミュニケーションとして設計していくこともできるはずです。たとえば僕が以前買ったパソコンのケースは、薄いアルミの板を自分で組み立てて作る、という製品でした。アルミなので、一度間違って曲げてしまったらもう戻せない。これをユーザーにやらせるのは結構すごいことだなと思ったんですけれど、パッケージの中に「Think twice,bend once!(二回考え、一回曲げること) 」と書いてあって(笑)。そのコミュニケーションだけで、逆にファンになるんですよね。
福丸:
それは、いいやり取りですね(笑)。便利な機能、安定的な品質を提供することが行き過ぎると、そのようにモノが人と対話する機会を失わせているのかもしれません。
プロダクトとの対話を生む仕掛けづくり
福丸:
一方で、マスプロダクトを手掛けるメーカーには、安定的な品質を提供してきた長い歴史があります。そうなると、これまでのコミュニケーションの仕方を簡単には変えられないという気持ちもあって、ユーザーをどう捉え、どう信頼して委ねていくか、という点で障壁があるのかなとも感じています。
緒方さん:
それは確かにそうですね。やや技術的な視点に偏るかもしれませんが、AIが入ることでおそらくインターフェースがかなり変わるのかな、とも思います。以前は、いかにマニュアルを見ずに直感的に使わせるかを考えていたと思うんですが、今後は、マニュアルなしでは操作できないようなユーザーインターフェースであっても、AIがうまくカバーしてくれるようなプログラムがいろいろ出てくるのではないでしょうか。
福丸:
対話型インターフェースとしてAIを活用する事例はさまざまに出てきていますよね。まず「あなたは何が欲しいの?」と投げかけながら、在りたい体験を共に作る機会を提供する、ということでしょうか。
緒方さん:
それをまず、狭い範囲でやると良いのではないかと思います。いまある対話型インターフェースの多くは、少し応答範囲が広すぎる気がします。例えばいわゆるスマートスピーカーも「なんでも来い」という期待を一瞬ユーザーに抱かせるけれど、実際にやってくれることはまだまだ結構限定的で、時間を聞いたり、タイマーをかけたりすることぐらいしかできない。この先、新しいパラダイムでのAIの使われ方は、まずはもっと用途を限定したところへ向かうのではないかと思っています。
福丸:
なるほど、面白いですね。人に工夫や思考させることなしに何でも勝手にやってしまう技術をプロダクトに挿入するのではなく、プロダクトがユーザーのコンテキストや置かれている状況を知った上で、ともに良い結果を作るやり取りをする感じですかね。人とプロダクトが対話して「ちょうどよい」を作ることができる、心地よい関係性となりそうです。
次回予告
人とプロダクトが対話していった先に、どのような関係性が生まれてくるのでしょうか。
次回は、人と道具の新たな関係性について、現代産業社会批判で知られる哲学者のイヴァン・イリイチの提唱した「コンヴィヴィアリティのための道具」という新たな概念、そしてそれが現代のプロダクトにどんなメッセージを投げかけているのかについて、引き続き緒方さんと語り合います。
緒方壽人
Takram
デザインエンジニア/ディレクター
ソフトウェア、ハードウェアを問わず、デザイン、エンジニアリング、アート、サイエンスまで幅広く領域横断的な活動を行うデザインエンジニア。東京大学工学部卒業後、国際情報科学芸術アカデミー(IAMAS)、LEADING EDGE DESIGNを経て、ディレクターとしてTakramに参加。主なプロジェクトとして、「HAKUTO」月面探査ローバーの意匠コンセプト立案とスタイリング、NHK Eテレ「ミミクリーズ」のアートディレクション、紙とデジタルメディアを融合させたON THE FLYシステムの開発、21_21 DESIGN SIGHT「アスリート展」展覧会ディレクターなど。2004年グッドデザイン賞、2005年ドイツiFデザイン賞、2012年文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品など受賞多数。2015年よりグッドデザイン賞審査員を務める。
福丸 諒
日立製作所 研究開発グループ
デジタルサービス研究統括本部 デザインセンタ UXデザイン部
主任デザイナー
日立製作所入社後、鉄道情報サービスUI/UX設計を担当。2017年から未来洞察手法の研究と実践により中長期的な事業機会探索を行うビジョンデザインを推進。英国日立ヨーロッパ駐在を経て、現職。
森 真柊
日立製作所 研究開発グループ
デジタルサービス研究統括本部 デザインセンタ UXデザイン部
2023年に日立製作所に入社。プロダクトデザインの新領域探索と、社外向けDXプロジェクトのUI・UXデザインに従事。
関連リンク
[Vol.1]マスプロダクトの価値を問い直す
[Vol.2] コンヴィヴィアリティのための道具とは
[[Vol.3]マスプロダクトの余白が、「ともに生きる喜び」を可能にする](/_ct/1770116