[Vol.1] マーケティングの新たな潮流
[Vol.2]マーケティングを通じたイノベーションの実現
[Vol.3] マーケティングと「共感」
マーケティングの推進に必要なマインドセット
江川:
イノベーションやマーケティングを推進していく上で、どんなマインドセットが必要だとお考えですか。
黒岩さん:
いま私は、「デザイン態度」という概念と「ディシジョン態度」という概念の比較で説明しています。
ビジネススクールに来る人たちは、論理的にものを考えて、数値を根拠に経営していこうとする意識が強いので、ディシジョン態度が強いんです。授業でも発言に対して「なぜ?」と聞いて論理を磨いていきます。だけど、同じ私が、サービスデザインの授業になるとデザイン態度を強くするために「論理を離れなさい」と言うんです(笑)。
違うことをやるには違うマインドセットが必要になってきます。まずは違いを知って、それぞれが必要な場面で発揮できるような訓練をやっていきます。たとえばマーケターがデザイナーの発言を理解できなかったときにも、発言背景が分かれば理解につながると思うんですよね。
上垣:
私たちが所属している日立の研究開発グループの場合は同じ組織の中に研究者とデザイナーがいるので、言われてみると、なんとなく会話しながら使い分けている気もしますね。
演劇のメソッドを活用する
江川:
デザイン態度を身につけるためのアプローチとして、Vol.2で少し触れていただいた演劇を取り入れた授業のことをもう少し詳しく教えてください。
黒岩さん:
いまやっている演劇のトレーニングは、基本的には共感力を高めることが中心になっています。マーケティングの文脈で言うと、企業側ではなく、顧客側が自分たちをどう見て、どう感じているのかが分かるようになる、ということですね。
俳優は演じる役を理解するためのメソッドをもっています。歌舞伎のように大袈裟な型のあるものとは違い、日常の生活を舞台で演じるためには、人物がどんな感情をもっているのかを知らなくてなりません。それを理解するためのメソッドがあるんです。それにならって、顧客の人となりや活動の目的、活動に対する障害などを問うていくんですよね。そうするとだんだんその人の気持ちが分かってくる。身体性も大事なので、実際に顧客と同じところで同じ動きをやってみます。そうすると、「あ、そういうことか」と身体で分かると言うんです。
上垣:
デザイナーだとフィールド調査やインタビューを通じてユーザーの洞察をしますが、「役」というのは仮想上のものなんですか?
黒岩さん:
俳優さんに話を聞くと、たとえば「18世紀のベネツィアで働く農夫」という役が来たら、Google Earthでベネツィアを見に行ったり、実際に観察できないことでも資料に当たっているようです。現代の芝居ならば実際に見に行くんでしょうね。
以前、創業精神を浸透させるためのプログラムを演劇でやろう、という話があった際に、俳優でもあるプロジェクトメンバーが、創業者の故郷に行ったり、その人が乗っていたバイクにまたがってみたりしながら、だんだん創業者のようになっていったんです。すごく面白かったのが、依頼してきた企業の方と打ち合わせをしていると、そのメンバーが会話の途中に「そもそもうちの創業精神って何だと思ってるの?」と言い出して、完全に創業者そっくりになっちゃっていた(笑)。そのあたりは、デザイナーがしていることと似ていますね。
「腹落ち」の工夫
江川:
私たちは「腹落ち」という言葉をよく使いますが、これも、共感や身体性を伴った理解に近いんでしょうね。
一方で、たとえば経営者がパーパスを打ち出しても、従業員は「ああそうですか」と腹落ちせずに済ませてしまうことも起こり得るかと思います。パーパスを腹落ちして理解するにはどのようなアプローチがあるでしょうか。
黒岩さん:
まさにさっきの創業精神の話ですね。「お客さまは大切です」って書いてあっても「そりゃそうだよね」で終わっちゃうわけです。けれど、それを創業者がそう感じるに至ったエピソードを演じてみると、「あ、こういうことがあったから大事だと思ったんだな」と背景を理解することによって腹落ちして、言葉の意味が増してきますよね。
有名な話ですが、ある高級ホテルチェーンでは、たとえば「お客さまは大切です」というクレド(規範)に対し、「わたしにとって、お客さまが大切というのはこういう活動で表されています」と語る時間をもつのだそうです。それも結局、腹落ちするためのテクニックですよね。
江川:
ホテルの従業員の場合、顧客とコミュニケーションすることで「お客さまの役に立つってこういうことなんだ」と腹落ちする経験を重ねていると思うんですよね。Vol.1で顧客とコミュニケーションを取って関係を築いていくことが大事だというお話がありましたが、そういったところにもいまの話はつながっていくのかなと思います。
黒岩さん:
そうですね。そこでしっかり観察すれば、お客さまの気持ちもよく分かるでしょうし、関係も深くなっていくでしょう。
江川:
コミュニケーションを通じ、その人の役に立ちたい、その人が求めているものは何だろう、自分ができることって何だろう、とインサイトも段々と深まっていくのではないかと思います。私たちも普段からそういう意図で顧客や経営者のことを考えてみることが顧客を理解するための第一歩なのかもしれないですね。
黒岩さん:
そうやって、視点がシフトできると本当にいいんです。経営者はこう考えるだろうな、お客さまはこう考えるだろうな、株主はこう考えるだろうなとかね。
ケースメソッドで授業をやるときに、「あなたは社長です、意思決定をしてください」という設問を提示しますが、視点が第三者になって「この会社は、もうダメです。」とか言っちゃう人もいます。そうじゃなくて、あなたが社長なんだよ、と(笑)。
演劇のプロジェクトでは疑似体験ができるので、似たような場面で対応ができます。疑似体験すると、文字では表せない暗黙的な情報が入るじゃないですか。だから、疑似体験をすると、少し異なる状況でも「こういうときはこうすればいいな」というのがある程度分かってくる。マニュアルでは対応できませんね。
生成AIにどう向き合うべきか
江川:
生成AIをマーケティング、イノベーションという文脈で使いこなすためにどのように向き合っていけばよいのか、アドバイスをいただけるでしょうか。
黒岩さん:
はっきり言うと、分からないですね。私の知人で株式会社プラグ 代表取締役社長の小川亮さんは、早くからAIをマーケティングで活かしていました。パッケージデザインの評価AIを作って、たくさんの案の中から選ばせていたのですが、それがすごく面白いなと思ったんですよね。消費者がどうみているのか、調査しなくてもある程度選択肢を狭められます。最近では、パッケージデザインの生成にも活用しているようです。いまの時期は、AIをどんどん使ったらいいと思いますよ。
新しいテクノロジーが出てくると、最初はそれを持っている人が強いフェーズがあり、次にうまく使う人に強いフェーズがあって、その後は当たり前になってしまいます。いまは使い方の上手な人が勝つフェーズだから、使い方をいろいろ工夫してやってみることが重要だと思います。それが当たり前になったら、今度はそれを前提とした違う強みが必要になってくると思いますね。
黒岩さん:
別の知人で、AIの研究者であり株式会社オンギガンツの代表取締役の松田雄馬さんは、人間じゃないとできないのは「共感」だと言うんですよね。そこで、AIと演劇手法を組み合わせて、よりよいDXができるようなプログラムを共同で開発し始めました。
上垣・江川:
おお!すごいですね。
江川:
人間が共感やコミュニケーションを通じて相手を理解することの重要性は変わらないけれど、その他のところはAIを使って効率化したり、より質の高いものを出していくということはできそうですね。そのあたりは私たちもまだ模索中です。
上垣:
対話の中で、これまで顕在化していなかったニーズが見えてくることはよくありますが、そこをAIが引っ張り出せるかと言うと、確かに難しそうですね。AIがそんなふうにうまく聞いてくれるかどうか。いまのAIは、どちらかというと答えてくれる存在のように思いますし。
黒岩さん:
そうですね。人間がAIとの対話の中で「あ、そういうことか」と気づくことはあるでしょうけど、AI側が「あ、そういうことか」って気づくかとなると、どうでしょうね。
マーケティングはみんなのもの
江川:
今日のお話を通して、たとえば私たちの研究テーマと紐づけて、「わたしたちのやっていることはこのようなマーケティングなんです」と言えるようになりたいと改めて思いました。デザイナーの活動も研究者の活動も、マーケティングと重なるところがあります。それが今までうまく表現できていなかったところもあるので、そこを考えるきっかけになりました。
上垣:
デザインワークとマーケティングがすごく近いんだと、改めて感じました。そのやり方や手段が組み合わさることでもっと面白いことができそうだと思ったので、改めて学びたいと思います。印象的だったのが、物流がもともとの発祥だというお話です。価値を届けるというところまでトータルで見ることがマーケティングだ、ということに腹落ちしました。
黒岩さん:
マーケティングを形態や役職で考えるよりは、マーケティングは機能だと思う方がいいと思います。機能だからみんながやっていい。部門を作るとその人たちだけがやることになりがちです。マーケティング部門がない会社の方がマーケティングが強い……というと言い過ぎかもしれませんけど(笑)。
江川:
価値を生み出して、届けるためには相手とのコミュニケーションが必要だという本筋は同じ。マーケティングはみんなのもの、ということですね。
取材協力/青山学院大学図書館、情報メディアセンター
黒岩健一郎
青山学院大学大学院 国際マネジメント研究科 教授
早稲田大学理工学部建築学科卒業。住友商事入社。慶應義塾大学大学院経営管理研究科修士課程修了(MBA)。同後期博士課程単位取得退学、博士(経営学)。武蔵大学経済学部専任講師、准教授、教授を経て2014年から現職。専門分野はサービスマーケティング。慶應義塾大学ビジネススクール認定ケースメソッドインストラクター。株式会社トビラボ顧問。
上垣映理子
株式会社日立製作所 研究開発グループ ストラテジックデザイン部 部長
2001年日立製作所入社。UI/UXデザイナーとして各種産業分野における業務改革に従事したのち、顧客協創を通じた課題解決手法「Exアプローチ」の確立に貢献。2017年から人の主体的な行動変容をデジタルの力で促す行動変容デザインの手法研究に従事。2022年から営業マーケティング戦略部にてMarketing & Sales Transformation活動に従事。2024年より現職にてステークホルダーの戦略的意思決定を促すデザインの実践と手法研究をリード。
江川陽
株式会社日立製作所 研究開発グループ ストラテジックデザイン部 主任研究員
東京大学大学院 工学系研究科 システム創成学専攻 博士後期課程修了。博士(工学)。2013年日立製作所入社。サービス工学、デザイン思考に基づく社内外のステークホルダーとの協創を通じた新事業創生・拡大に関する方法論の開発と実践に従事。特にデジタル事業のビジネスモデル設計に興味を持つ。2022年Stanford大学Visiting Scholar。2023年よりMarketing & Sales Transformation活動に参画、組織間連携によるマーケティング強化を通じた価値創生に挑戦中。
[Vol.1] マーケティングの新たな潮流
[Vol.2]マーケティングを通じたイノベーションの実現
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