[Vol.1]変わる「官」と「民」の役割。宇宙ビジネスの現在地
[Vol.2]地球の危機的な“負債”。異分野とのシナジーなしに解決はありえない
[Vol.3]2050年に向けて、いま取り組むべき宇宙分野とは何か
地球の危機的な“負債”をどう解消するか
舟根:
日立製作所の研究開発グループでは、宇宙分野での技術開発に取り組んでいます。その際、2050年の世界で起こりうる課題からバックキャストし、必要になる技術開発を考えて全方位電波観測技術や宇宙太陽光発電衛星システム(SSPS)などの基礎検討に取り組んでいます。
宇宙デブリやエネルギー問題といった宇宙と地球の環境維持にアプローチするため、再生可能エネルギーを宇宙空間でつくる技術や、宇宙環境、また宇宙から地球を観測しデータを蓄積するための研究にも取り組もうとしており、その起点には、気候変動や食料危機といった全地球的な課題に対して、宇宙領域の技術やソリューションからも可能性を探っていかなければならない局面にある、という思いがあります。
田部:
地球環境という観点で少し補足させていただくと、パーサ・ダスグプタ氏という経済学者による「生物多様性の経済学: ダスグプタ・レビュー 」という論文があります。そこでは経済学のなかに自然資本の考え方が導入されており、宇宙的な視点からみた生態系のストックや流れを理解することによって、持続可能な経済の構築ができる、と提唱されています。ビジネスだけでなく、生物多様性やサステナビリティといったイシューに対しても宇宙領域の情報が重要な役割を果たす。そのような世界に突入しようとしていますよね。
中須賀さん:
エコロジカル・フットプリント(人間が自然環境にどれだけ負荷を与えているのかを示した数値)によれば、いま地球上にいる人類の維持に必要なリソースは、地球がもっているリソースの1.75倍だといわれています。さらに、日本のような先進国が消費するペースで世界中がリソースを消費すると、2.95倍に膨れ上がる。この完全なる赤字状態を維持できるはずがなく、リソースはやがて尽きていく。そこにメスを入れていくには、まず、地球がどのようなダイナミクスで動いているかを宇宙からみることによって深く理解し、リソースを循環する技術を開発することが非常に重要になるはずです。
宮﨑さん:
そうした意味で、日立製作所でも基礎研究を進めている宇宙太陽光発電衛星システムもとても大切な試みですよね。
中須賀さん:
おっしゃる通り。というのも、太陽光は「エントロピー(混沌性・不規則性・不可逆性の程度を表す概念)」が非常に低い。つまり、役に立つエネルギーという観点で非常に重要で、地球のサステナビリティの鍵になるからです。
舟根:
エントロピーですか。
中須賀さん:
気候変動、マイクロプラスチック、放射性廃棄物の問題……これらはエントロピー公害だといえます。閉鎖環境である地球においては、どのような活動でもエントロピーが増えていくという熱力学の大法則がありますから、エントロピーを解消しようと行ったアクションによってエントロピーがさらに増大してしまうことが起きてしまう。これに対抗するには、地球自体を閉鎖系ではなく「開放系」にしていくことが宇宙開発の究極の鍵になると考えています。
エントロピーには熱力学エントロピー、物質的エントロピー、情報論的エントロピーがありますが、物質は宇宙に捨てずに地球のなかで処理しなければなりません。そこで鍵になるのは光合成です。光合成はその過程で光を利用し、二酸化炭素を酸素と炭水化物に変え、同時に熱放射を起こします。そこでは熱力学的エントロピーが増えるわけですが、放射熱は地表から宇宙に捨てられていく。つまり、熱力学的エントロピーは宇宙に捨てられるんです。その代わり、物質的エントロピーは下げられる。つまり、物質的エントロピーの増大を熱力学的エントロピーに転嫁して宇宙に捨てるわけで、この光合成を活性化することで地球という閉鎖系のエントロピー増大を防げるんです。また、光合成に用いられる光(太陽光)は非常にエントロピーが低く、使いでのあるエネルギーです。一つの方法として、エントロピーの低い太陽光発電のエネルギーを宇宙でつくり地球に送るということもありえます。これも開放系のアプローチのひとつですよね。この開放系のプロセスをアクセラレートするために、宇宙太陽光発電衛星システムも非常に重要になると思います。
舟根:
宇宙太陽光発電は、太陽光を受ける構造物の面積をいかに広げるかの技術がとても大事になってきます。そこで重要になるのが、中須賀先生が提唱したふろしき衛星(複数の衛星がふろしきのような膜構造物の四隅を保持することにより、大規模で軽量な膜面を宇宙空間で展開させる方式)や宮﨑先生の展開構造・伸展構造の研究技術です。
宮﨑さん:
宇宙太陽光発電は本当に巨大なシステムですので既存の展開構造では不可能だと考えていましたが、ふろしき衛星の技術を応用することで現実味を帯びてきました。いかに軽く、小さくしたうえで集光設備を宇宙で展開するか。これは打ち上げのコスト削減にもつながります。
いま、ロケット打ち上げのコストは飛躍的に下がっており、SpaceX社によるスターシップの打ち上げコストは従来の40分の1ともいわれています。さまざまな技術が出揃い始め、宇宙開発に追い風がきているとも感じます。このタイミングで取り組めば、世界の宇宙開発をリードすることも可能だと思っています。
過去の衛星による「宇宙デブリ」問題をどう解決するか?
舟根:
「宇宙環境の持続可能性」を維持するための課題については、どのように捉えていますか?
中須賀さん:
宇宙デブリは非常に大きな問題でしょう。これは、これから打ち上がる衛星にフォーカスされがちですが、一番の問題は過去に打ち上げられた衛星です。こちらのほうが大型で制御できないので遥かにリスクが高いんです。
宮﨑さん:
これからつくる衛星は、新しい技術によって燃え尽きさせることが可能になりますからね。
中須賀さん:
世界では数千の衛星が残っており、これらはもう制御しようがない。これらが衝突することで宇宙デブリがさらに自己増殖していく「ケスラーシンドローム」のリスクが高まると考えられています。
国際的な法律をつくったとしても、当時はそんな決め事はなかったわけですから、いまからそれらを回収しろといわれても各国が自腹を切って応じる可能性も低いでしょう。宇宙デブリにまつわる問題に対しては、各国の産業に悪影響を及ぼさないための個別最適化されたルールしか存在しません。いまのところ解決の糸口は見つかっていないのが現状ですが、そのなかでいかに「世界が協力をせざるを得ない状況」をつくり、国際的なコンセンサスをとっていくかにかかっています。
宮﨑さん:
そして、アクションを起こそうとしたときに、どのような技術を有しているかが大事ですよね。衛星自身が大気圏に突入して燃え尽きるようなデオービット技術だけでなく、故障した衛星を回収する技術、また、そもそもどこにデブリがあるのかを観測・特定する技術など、キーとなる技術を獲得して、いつでも使えるようにしておくことが大事だと思います。
中須賀さん:
宇宙デブリが好き放題放置されていると、宇宙は住めないところになってしまいますし、何か起こってしまってからではもう間に合わない。未来を先読みをして危機管理のための技術をいまからつくっておくことが非常に重要だと思います。
異分野とのシナジーがなければ、絶対に問題は解けない
田部:
宇宙的な視点から地球を捉えることがこれからより重要になるなかで、わたしたちのような一企業が果たせる役割とは何だと考えますか?
中須賀さん:
異分野のシナジーだと思います。いま噴出している社会問題はひとつの技術分野だけでは絶対に解けない。さまざまな分野の知恵や技術、アイデアを組み合わせることではじめて、答えが出てくるはずです。とすると、やはりスタートアップだけでなく、日立製作所のような、本当にさまざまな分野の事業と技術アセットを保有している企業の強みが必要になってくるはずです。
田部:
わたしたちの研究開発グループにもこれまで宇宙とは異なる製品に携わってきた研究者が多くいますが、そうした人々と接続していく必要があると感じています。一方で多くの人たちが宇宙を遠く感じているとも思います。
しかし、宇宙と私たちの生活圏の距離が近づくに連れて、社会インフラや生活家電を扱っている人たちの力も必要になりますし、実際に宇宙に生かせる技術はかなりあると感じます。宇宙が私たちの経済圏のひとつであり、未来に必要不可欠な環境でもあることをもっと共有することで、一人ひとりの宇宙観を拡大し、異文化との融合を社内でも起こしていきたいと考えています。
中須賀さん:
これまでは、各分野の要求定義を個別に行って、問題解決に向けた製品や技術を開発してきたわけです。それらを組み合わせるために重要なのは、全体としての要求定義をすること。それをもとにローカルな部隊に分かれ、各分野ごとの要求定義にブレークダウンする。サブシステムの設計に落とし込む。そうしたプロセスをとることが求められます。
しかし、日本の企業は縦割りでさまざまな民生の技術がつながってこないという側面もある。それをどう変えていくかの議論も必要です。異なる領域の連携によるイノベーションというのは、普通の企業にはなかなかできることではありません。しかし、日立製作所のようなあらゆる分野で事業を展開している企業なら可能かもしれない。そう思うのです。
次回Vol.3のテーマは「2050年の未来に向けて、いま宇宙分野で取り組むべきこと」。宇宙環境よりも前に、地球をマネジメントする。宇宙のスケールでいまの地球の物事を捉えてみる。そして、これからの時代の工学者の役割まで、それぞれの目線から語った未来への展望とはいかなるものでしょうか。
取材協力/JAXA宇宙科学研究所 相模原キャンパス
関連リンク
中須賀真一
東京大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻教授
1988年東京大学大学院博士課程修了、工学博士(航空学専攻)。日本アイ・ビー・エム、東京大学講師、助教授を経て2004年より現職。主な研究分野は超小型衛星、航法誘導制御、宇宙機の知能化・自律化。超小型衛星CubeSat開発及び超小型衛星の宇宙活用の先駆者。2017年宇宙開発利用大賞 内閣総理大臣賞、2019年「電波の日」総務大臣表彰、2022年IAF Frank J. Malina Astronautics Medal受賞。2022年まで内閣府 宇宙政策委員会 委員。2024年度 日本航空宇宙学会会長、スペースICT推進フォーラム会長、一般社団法人クロスユー 理事長。
宮﨑康行
宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究所教授
1993年東京大学大学院博士課程修了、工学博士(航空学専攻)。日本大学助手、専任講師、助教授を経て2008年より日本大学理工学部航空宇宙工学科教授。2020年よりJAXA宇宙科学研究所教授。主な研究分野は柔軟多体動力学および展開大型宇宙構造物の構造動力学。2010年に世界初14 m四方ソーラー電力セイルIKAROSの成功の際、膜面展開のダイナミクスを予測する解析コードを開発。JAXA等の人工衛星や宇宙探査機の開発に参画。日本大学では2001年~2019年にかけてCubeSatを4機製作、打ち上げ・運用実施。2017年 日本機械学会120周年記念功労者表彰、2018年 日本機械学会宇宙工学部門功績賞受賞。
舟根司
日立製作所 研究開発グループ 基礎研究センタ プロジェクトリーダ主任研究員
2006年東京大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻修了(修士(工学))。2012年慶應義塾大学大学院理工学研究科修了(博士(工学))。2006年株式会社日立製作所入社。現在基礎研究センタプロジェクトリーダ主任研究員。2006年~2022年、近赤外分光法をベースとした光脳機能計測技術及び光生体計測等の研究開発に従事。2022年より宇宙情報活用及び宇宙エネルギ活用に関する基礎研究開発に従事。2015年日本生体医工学会新技術開発賞、2015年計測自動制御学会技術賞、2019年関東地方発明表彰文部科学大臣賞受賞。
田部洋祐
日立製作所 研究開発グループ 基礎研究センタ 主任研究員
2007年九州大学芸術工学府博士課程修了、芸術工学博士(芸術工学専攻)。2007年株式会社日立製作所入社。現在基礎研究センタ主任研究員。2007年~2022年、建設機械、自動車、鉄道車両等モビリティ製品の静音化及び音環境デザインに向けた高臨場感音響の収録再生に関する研究開発に従事。2022年より宇宙情報活用及び宇宙エネルギ活用に関する基礎研究開発に従事。2007年日本音響学会独創研究奨励賞板倉記念受賞。
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