[Vol.1]VUCAの時代とレジリエンス・エンジニアリング
[Vol.2]失敗を減らすのではなく、成功を増やす
理念の浸透が「しなやかな現場力」を助ける
田中:
想定外の状況が起こったときに「しなやかな現場力」が機能するためにはなにが必要なのでしょうか。
芳賀さん:
津波警報が発令されるような大地震が発生して、走行中の電車が停まってしまうケースを考えてみましょう。電車から乗客を降ろして避難所へ誘導するのがよいのか、それとも、その場所が安全なのであれば留まっているのがよいのか。「時と場合による」としか言えません。乗客の人数はどのくらいか、お年寄りや足の不自由な人は乗っているのか、大雨や雪が降っていたらどうかなど、複数の条件を総合的に判断するしかなく、事前にマニュアルで決めておくことはできないのです。その場で考えて判断できるようになるためには、グループディスカッションなどの研修やイメージトレーニングのような準備が役立つでしょう。
難しい状況下での判断基準になるのは、会社組織の場合は「企業理念」だと思います。企業理念に書かれていることが従業員ひとりひとりに浸透しているかどうかがポイントになってくるでしょう。東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)では2012年に、社員の行動規範である「安全綱領」を一部改正しました。そこには「疑わしいときは、あわてず、自ら考えて、最も安全と認められるみちを採らなければならない。」と書かれています。
理念や原則にしたがって現場が判断したのであれば、仮にそれがマニュアルと反していたり、結果的に事故や失敗につながってしまったりしても、処罰せずに許容されるという文化を形成することも重要です。
中島さん:
学校の教室運営でも、いまの芳賀さんのお話と近いことを感じます。子どもたちのコミュニケーションがうまく取れている教室では、先生がルールを明確に示しているんです。ここでの「ルール」とは、芳賀さんのお話でいう「企業理念」のような存在でしょうか。「このクラスでは、こういうふうにするのがいいことだと先生は思う」というような提示があると、子どもたちはそのルールのなかで自分の力を発揮できる。なにがOKでなにがダメなのかを浸透させることが、クラスの雰囲気づくりにおいても大切だと考えています。
「安全」だけを区別してはいけない
田中:
日立グループでも、「安全と健康を守ることは全てに優先する」という安全衛生ポリシーを掲げています。おふたりの話をうかがっていて、理念やポリシーを単に守るべきルールとして捉えるのではなく、普段の仕事のなかに組み込んでいくことが大切なんだと思いました。安全を絶対的なものとして区別して考えるのではなく、日常や仕事にうまく取り入れられれば、自分にも仕事全体にもプラスに働くサイクルをつくれるように思います。
芳賀さん:
「安全」をそれだけで分けてはいけないんですよね。安全と生産とか、安全と教育とか、安全とサービスといったように「安全」だけを区別して守ればいいといった考え方は、決してうまくいきません。なんのために安全が必要なのかといえば、よい製品をつくるためであり、よいサービスを提供するためです。目的のために安全があるべきです。
安全だけに注目することは「失敗の確率を減らそう」という発想につながりますが、これは結果的に数値目標を管理する思考に陥ってしまいます。ミスや事故を防ぐ施策や発想では「しなやかな現場力」は育ちません。むしろ、足を引っ張ることになってしまうでしょうね。
失敗に注目するとモチベーションが下がる
芳賀さん:
Safety-Ⅱの考え方は、従来の「失敗を防ぐ」ことを否定しているわけではありません。鉄道や工場などでは小さな失敗がけがや死亡事故にも直結しますから、守るべきルールを厳密に守ることは当然とても重要です。重篤な事故につながりかねない場面ではチェックリストで管理するなど厳格さが求められます。Safety-ⅠとSafety-Ⅱは両立するものです。どこまでは厳密にマニュアルに従い、どこからは臨機応変で柔軟な創意工夫を認めていくのか。線を引く場面を判断するのは簡単ではないというのが正直なところですね。
田中:
Safety-Ⅱの考え方である「成功を増やす」ことに着目していくと、どんな効果があるでしょうか。
芳賀さん:
私がいろいろな企業でSafety-IIについての話をすると、安全担当ではない方が興味を示すことがよくありますよ。経営や教育の現場でも実感しやすい考え方なのではないでしょうか。
中島さん:
そうですね。ミスや間違いを防ぐようなアプローチだと、子どもたちのモチベーションは下がります。クリエイティビティにも影響が出るという研究結果もありますね。
田中:
クリエイティブという観点では、効率重視の働き方の弊害もよく指摘されます。コロナ禍を経てリモートワークが一般的になりましたよね。自分の仕事に集中しやすくなった反面、隙間時間に起きていた雑談などが減ったりして、アイデアが生まれにくくなった印象もあります。表面的には問題は起きていなくても、実は見えない問題が起こっているかもしれません。業務が回っていればOKという考え方ではなく、多少無駄があっても人が集まったり雑談したりといったことの効果も大切にしたいなと思います。
行動を可視化することで見えるもの
田中:
私はセンサーで人の行動を測定・解析する研究をしていて、これまでにトラックドライバーの方や、介護施設のスタッフの方、サッカー選手などの行動データを測定して分析してきました。
介護施設での行動データを分析してわかったのは、介護スタッフの方たちがさまざまな創意工夫をしていることです。お風呂やトイレでの介助行動は作業内容がはっきり識別できたはずなのですが、全体を見てみるとなんの作業をしているのか簡単に識別できない測定データがたくさん出てきました。実際には、スタッフの方は複合的に作業しているんです。たとえば、トイレでの作業をしながら次の移動を補助するというように、効率よく動いています。こうした創意工夫がたくさんあることは、行動データを可視化してみて初めてわかりました。
センサーで行動データを分析すると、業務の効率化という観点ばかりが注目されます。しかし、一見すると無駄に思える行動を分析するうちに、もっとおもしろいことがわかる可能性もあると思っています。理屈に合わないところや無駄に見えるところに工夫が隠れているんですね。
芳賀さん:
マニュアルで決められた作業手順のほかにも、人はいろんな行動をしているんですよね。そうしたマニュアル化されていない行動によって、現場はうまく回っている。でも、ときどき失敗して裏目に出ることがあると、「なんでそんなことをしたんだ」と怒られるわけです。すると、その人は決められた仕事だけしかしなくなってしまう。現場にとっては必ずしもよいことではなくて、全体のパフォーマンスを下げる結果になるかもしれません。
センサーやレコーダーなどで行動を分析することは、マニュアル化されていない作業がどんなふうにチームの役に立っていて、反対にどんな潜在的リスクがあるのかを知るきっかけになるはずです。マニュアルにない動きを容認するのか、とにかく作業を標準化するのか、これも現場によってどちらがいいのかは判断に迷う部分ですね。個人的には、現場の裁量や柔軟性をある程度認めたほうがうまくいくと思っています。
田中:
トラックドライバーの方の行動データを見ていくと、荷下ろしや積み込み作業の効率的なパターンは人によって異なることがわかります。自分に合う方法があるのなら、管理者が一律的な指導をするのは違うのかもしれませんね。
――次回は中島さんの教育現場での研究成果を中心に、コミュニケーションを可視化することでなにがわかるのか議論していきます。
関連リンク
芳賀 繁
立教大学 名誉教授 博士(文学)
株式会社社会安全研究所 技術顧問
京都大学大学院修士課程(心理学専攻)を修了。鉄道総合技術研究所、立教大学文学部心理学科、同現代心理学部心理学科などを経て2018年4月から現職。ヒューマンファクターズ、交通安全、安全マネジメント等に関する研究・学会活動のほか、運輸、建設、医療、消防等の企業や組織で安全、事故防止に関わるコンサルテーションや研修を行っている。
中島寿宏
北海道教育大学 教授
アメリカ・インディアナ大学大学院修士課程において修士号(教育学)、北海道大学大学院教育学院博士後期過程において博士号を取得。小学校、中学校、高等学校、大学での勤務を経て、2018年より北海道教育大学札幌校で准教授として務める。2023年より現職。
田中 毅
日立製作所 研究開発グループ デジタルサービス研究統括本部 ヘルスケアイノベーションセンタ デジタルヘルスケア研究部 リーダ主任研究員
2005年に北海道大学大学院 修士課程(電子情報工学専攻)を修了。同年、株式会社日立製作所に入社後、ウェアラブルデバイスや生体・行動データ分析技術の開発など、ヘルスケア/安全管理/スポーツ分野の研究に従事。
[Vol.1]VUCAの時代とレジリエンス・エンジニアリング
[Vol.2]失敗を減らすのではなく、成功を増やす