※ 朝山絵美さんの講演の様子は、記事末尾のリンクから動画でもご覧いただけます。文字ではお伝えしきれないライブ感をお楽しみいただけると思いますので、ぜひご視聴ください。
[Vol.1]椅子作りを通して見つけたアイデア深化のキモ
[Vol.2] 五感に触れる言葉と造形でビジョンを語る
「経営戦略×アート」から生まれた気づきを伝えたい
丸山:
日立製作所 研究開発グループは、サイエンスとデザインの両輪でイノベーションに取り組んでいます。その中にいる研究者やデザイナーも、これからの社会における価値について、事業創出まで視野に入れて考えることが求められています。
そこで今回、アートをビジネスに応用する試みをされている朝山絵美さんをお招きした、武蔵野美術大学との共催というかたちのイベントを企画しました。朝山さんは、外資系のコンサルティングファームにて、人間中心の視点を大事にする経営戦略をご専門にされていますが、工学のバックグラウンドを持ちながら、武蔵野美術大学クリエイティブリーダーシップの修士を経て、2024年に造形構想学博士の学位を取得されています。
本日は、朝山さんに講演いただいた後に、日立製作所の花岡誠之を交えたトークセッションを行います。花岡は、ネットワークシステムやITプラットフォーム分野を専門領域とする研究者で、デジタルプラットフォーム関係の研究リーダーを歴任し、現在はデジタル領域の研究全般を統括しています。
そして、日立製作所の主管デザイン長と武蔵野美術大学教授という2足の草鞋を履いている私が、本日のナビゲーターを務めさせていただきます。
さて、今回の企画は花岡さんの熱烈なオファーから実現したんですよね。研究畑の花岡さんが、朝山さんの活動に惹かれたのは、どんな経緯があったんでしょうか。
花岡:
はい、そうなんです。朝山さんと初めてお会いしたのは、4月に開催された個展「Emi ASAYAMA展―美とタンジブルによるイノベーションの創出(博士後期課程研究発表展)」です。朝山さんが非常に苦労しながら探究していったことが伝わってくる内容で、研究者としても大きな学びを得ましたし、自らのあり方やものごとの進め方を見つめなおすきっかけにもつながりました。朝山さんの経験した美術大学院の修士課程、博士課程のプロセスが、実際のビジネスやイノベーションを起こすプロセスと極めて似ているという気づきを、私と同じような現場にいる皆さんにもぜひ伝えたいと思い、本日のイベント開催に至りました。ご参加の皆さんとさまざまな気づきを共有できる時間となることを願っています。
丸山:
なるほど、楽しみですね。では、はじめに、イノベーションを起こすプロセスへの気づきや、具体的な取り組みに向けたアイデアについて、朝山さんからお話いただきます。よろしくお願いいたします。
工学部卒の経営戦略のプロフェッショナル、美術系大学院へ行く!
朝山さん:
はじめまして、朝山絵美です。私は大学では理工学研究科に所属して人工知能に関する研究をしていましたが、毎日AIと向き合っているうちに、機械と向き合うことよりも人と対話する仕事のほうが好きだと気づき、卒業後はコンサルティング会社に入りました。直近の10年間は、人間中心に戦略を考えるということを専門に仕事を重ねていますが、あるときから
「なぜ、人は仕事になると人間らしくなくなってしまうんだろう」
という疑問を抱くようになりました。経営戦略においては科学的データを元にした意思決定が一般的ですが、それだけではどの企業も戦略が同質化してしまいます。企業にも、好奇心に基づき新しい価値を生み出すような、個性をもった戦略が必要なのではないかと考えるようになりました。
その後、デザイン思考やアート思考のような創造的な思考を社内に浸透させていく取り組みを主導し、10年間ビジネスに創造的な思考を応用するにはという問いと向き合ってきました。取り組みが進むにつれ、科学的思考と創造的な思考の行き来が必要だと考えるようになり、両者の関係性を言語化したいと思い、武蔵野美術大学クリエイティブリーダーシップの修士課程に進むことにしました。
タンジブル化とトリハダ美
美術大学院では、科学的思考と創造的思考の関係性を解き明かすために、想像力を高めながら革新的なサービスを生み出すためのリーダーはどのようなふるまいをするべきなのか、ということを「イノベーション研究」と「アートの制作」という2本柱で研究していました。その研究の過程で出会った大切な概念が「タンジブル化」でした。
タンジブルとは「手で触れられる実体があるもの」という意味です。研究を進めるうちに、手に触れられないようなインタンジブルな思考などを、手に触れられるカタチに造形言語化する、タンジブル化することの重要性が明らかになりました。
また、タンジブル化を進めるときには、自分が美しいと感じたり、「いいね!」と思ったりする主観的な感覚を元にすることが重要だと分かってきました。そして、そうした想像力が最大化されている状態の主観的な美の感覚を「トリハダ美」と名付けました。
トリハダ美を理解するための3つのポイントがあります。
1つ目は、トリハダ美は誰もが持つ感覚だということです。美意識や美的感性という言葉に近いのですが、それだとセンスがある特別な人間だけのものという響きがあって、皆さんサーッと離れてしまうんですね(笑)。そうではなく、美しいと思うものに触れて、思わず鳥肌が立ってしまう、誰にでもある感覚のことをさしています。
2つ目は、トリハダ美は目に見えないものにも存在するということです。数学者が数式に美しさを感じるのもトリハダ美です。
3つ目は、トリハダ美は主観を元に立ち上がるものである一方で、皆さんがトリハダ美を感じるものには何らかの共通性があるということです。
「美を知る」から「美が分かる」への岐路
武蔵野美術大学では思考法を理論で学んで学術的な研究をしようと思っていたのですが、周りの美大生がみな得体のしれないものを作っていました。それまでプレゼンテーションソフトのスライド資料ばかり作っていた私にとってはかなり刺激的で、「そうだ!私も椅子を作ろう」と思い立ってしまいました(笑)。自分で椅子を作りながら、その制作プロセスを学術的に分析していくことにしたのです。
2年後の修士修了制作展で発表した研究成果については、ありがたいことにいろいろな方からお褒めいただき、優秀論文賞もいただきました。ところが、自分でコンセプトを決めて作ったプロトタイプの椅子の展示については、誰も何も言ってくれません。
「一見面白そうに見えても、見てくれる人の心にはまったく刺さっていない。美が宿っていなかったんだ」
と、制作展の最終日に気づきました。本当は、きちんと人の心に刺さる美しい椅子を作るべきだったのに、椅子を作るというタンジブル化すること自体を目的としてしまっていたのです。いまのままでは本質にたどりつけないのかもしれないと思い、美しい椅子を作れるようになるために博士後期課程への出願を決めました。
これが美について概念的に捉えていた「美を知る」段階から、目の前にあるものが美しいのかどうかを感じ取る「美が分かる」段階への岐路となった出来事でした。
プロトタイプ自身が私に「やぼったい」と告げる
まずは自分で本物の椅子を作れるようになるために、木工の職人さんの工房に通うことにしました。工具の使い方からひとつずつ丁寧に教わりながら技術を身に着け、1年後に「そろそろ椅子を作ってみる?」と職人さんに声をかけていただき、ようやく椅子づくりがスタートしました。
それからは、自宅でデザインをし、工房で制作し、大学で先生に講評をいただく、ということを繰り返しながら、椅子を研いていきました。
そして完成したのがこの椅子です。
こうして見ているだけで愛が溢れすぎて、言いたいこともたくさんありますが、中でも私がこだわったのが、座面のアール(R/円弧)の部分です。
まず始めに、職人さんからは「朝山さんは技術がないので、背もたれのある椅子は作れません。スツールだったら作れます」と言われました。スツールという制約条件の下、形を半円形にしようと決めました。自分なりにもう少し可愛くしたいなと思って両サイドを削ったデザインを作り、5分の1スケールのプロトタイプに起こしてみることにしました。
ところが、そのプロトタイプがすごくやぼったいんです。自分がかわいいと思って生み出したプロトタイプ自身が、直接私に「やぼったい」と訴えかけてくるんです。これ、すごく落ち込むんですよね。
しかし、ここが実は、美を表現できるようになるための大きな岐路でした。それにはまず、自分の手で生みだしたモノとの対話が必要だったのです。
手指の感覚で美を研く
自分の手で生みだしたモノからの辛辣な声は、美しい椅子の姿とは何かという問いに向き直すきっかけとなり、また原点に戻ってアイデアを練り直す原動力となりました。さまざまな名作椅子を調査しているなか、デンマークにあるブランドWerner(ワーナー)で制作されているシューメーカーチェアという名作椅子と出会いました。実寸大の椅子のすべての箇所を計測してみたところ、一見半円に見える円弧が、実は少しだけ延長されていることに気づきました。この延長があるから美しいのではないかと感覚的に気づき、先生にお話したところ、「そうだよ、なぜか分かる?」と問われました。半円を少し延長することで、人間はその先を想像できるから安心感と美を感じるのだと教えていただいて腑に落ち、私も半円を少し延長した形の椅子を作ることに決めました。
デザインの際には、スペインの建築家、アントニ・ガウディの建築物からもインスピレーションを得ました。ガウディが自然や生物の造形美をベースにデザインしていたことをヒントに、クラゲを模した椅子をデザインすることにしました。その後もプロトタイプを作り直したり、もう一度設計に戻ったりしながら、ようやく実作に入りました。
椅子のカーブには反り鉋(かんな)という道具を使っていますが、最初に椅子を作ろうと思い立ってから2年が経過していたので、その頃にはもう道具と手が一体化している感覚になっていました。手指の感覚だけで刃先の位置を把握しながら木を削ることができるほどです。
ここまでお話ししてきたように、自分の生み出したモノと対話することや、手指の感覚などの身体活動によって、私のアイデアはどんどん研ぎ澄まされていきました。つまり、タンジブル化をする意味とは、トリハダ美が高まるようなアイデアをどんどん思いつくような再発見ができるという点にあったのです。
椅子作りを通じて発見したタンジブル化の価値。それは、会社組織においても有効であると、朝山さんは語ります。
次回は、イノベーティブな事業リーダーへのインタビューから浮かび上がったビジョン共有の手法について、引き続き朝山さんからお話を伺います。
動画:朝山絵美さん講演「 美とタンジブルによるイノベーション ~無形のアイデアを形にする力~ 」
朝山 絵美
Creative leadership coach /Human centric strategist
外資系コンサルティングファームにおいてマネジング・ディレクターを務め、人間中心の経営戦略を専門とする。同志社大学大学院工学研究科知識工学専攻(現:理工学研究科インテリジェント情報工学専攻)の修士課程を修了。カナダ バンクーバーにてCo-ActiveⓇ Training Institute(CTI)主催のコーアクティブ・コーチングのコアコースを通じてコーチングを修学。その後、外資系コンサルティングファームに入社し、現在に至る。公益社団法人、一般社団法人の理事や相談役を歴任、経営者を対象としたエグゼクティブコーチングの実績も多数ある。武蔵野美術大学大学院造形構想研究科クリエイティブリーダーシップコースの修士課程を2021年3月に修了。その後、同大学院博士後期課程において、ビジネスパーソンが人間らしくイキイキとイノベーションを創出するための研究と椅子の制作を中心としたアートワークを行い、2024年3月に学位を取得。
工学修士(Master of Engineering)、造形構想学修士・博士(Ph.D. of Creative Thinking for Social Innovation)
花岡 誠之
日立製作所 研究開発グループ デジタルサービス研究統括本部 統括本部長
1996年 大阪大学大学院 工学研究科 通信工学専攻 修士課程修了後、日立製作所 中央研究所 入社。次世代無線通信システム(3G、4G、5G、コグニティブ無線)の研究開発及び、3GPP、IEEE802等の国際標準化活動に従事した後、ネットワークシステム、コネクティビティ、ITプラットフォーム分野における研究開発及びそのマネジメントに従事。2018~2019年、本社 戦略企画本部 経営企画室 部長、2020年より研究開発グループ デジタルテクノロジーイノベーションセンタ長、2021年より同デジタルプラットフォームイノベーションセンタ長を経て、現職。
IEEE、電子情報通信学会(シニア) (IEICE)、情報処理学会(IPSJ)、各会員。博士 (工学)
丸山 幸伸
株式会社日立製作所 研究開発グループ デジタルサービス研究統括本部 デザインセンタ 主管デザイン長
武蔵野美術大学 クリエイティブイノベーション学科教授
日立製作所に入社後、プロダクトデザインを担当。2001年に日立ヒューマンインタラクションラボ(HHIL)、2010年にビジョンデザイン研究の分野を立ち上げ、2016年に英国オフィス Experience Design Lab.ラボ長。帰国後はロボット・AI、デジタルシティのサービスデザインを経て、日立グローバルライフソリューションズに出向しビジョン駆動型商品開発戦略の導入をリード。デザイン方法論開発、人財教育にも従事。2020年より現職。
関連リンク
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