
嶺竜治
研究開発グループ Digital Innovation R&D AIトランスフォーメーション推進プロジェクト 主任研究員(Chief Researcher)
1995年日立製作所入社。新型郵便区分機、カメラ付き携帯電話向け文字認識、帳票認識システム、教育支援システムなどの研究開発に携わる。2016年より日立京大ラボにて、京大との文理融合の産学連携の研究に従事。京都大学 成長戦略本部 日立未来課題探索共同研究部門 特定准教授も兼任。2025年6月より現職。
その出会いは運命?郵便区分機の開発プロジェクト
大学時代に旅先の郵便局で貯金をして記帳する「旅行貯金」に熱中していた時期がありました。色々なものを観たり、食べたり、経験したりといった記憶に残る旅行も楽しいのですが、旅行貯金の記帳は、郵政省(当時)という公的な機関が、何年何月何日に、この場所に確かにいたということを証明してくれる感覚がありました。しかも無料。さらに、郵便局は全国の市町村にあるので、どんな旅先でも証明がもらえるのが魅力でした。
そんな学生時代を経て入社すると、最初に配属されたのが新型郵便区分機開発のプロジェクトでした。郵便区分機とは、郵便物に書かれた郵便番号や住所を読み取り、その情報をバーコード化して印字し、さらにそのバーコードを基に地域や配達順路ごとに自動的に並べる機械です。ちょうど郵政民営化に向けて郵便番号が5桁から7桁に切り替わる時期で、郵政省主導で進んだプロジェクトでした。僕は文字認識ソフトフェアの開発を担当し、日中は文字認識アルゴリズムを改良し、夜間に実証用の区分機がある郵便局で宛名読み取りの実験を日々繰り返していました。
趣味で全国の郵便局を巡っていた自分にとって、郵便局の内部を知る機会はかなりワクワクする体験でした。実は、郵便区分機の仕事がきっかけで、後に妻となる人とも出会いました。当時は忙しさに追われる毎日でしたが、振り返ると人生の大切な縁が詰まったプロジェクトだったと感じます。
もうひとつ印象深いのは、京都の郵便局用に開発した区分機の仕事です。京都市の住所表記は独特で、番地だけでなく、「四条河原町上ル(あがる)」のように「上ル」「下ル」「東入ル」「西入ル」といった通りの名前や方角を表す地名が使われます。同じ場所でも複数の表記が存在するため、郵便区分機に登録する地名データが膨大になるんです。それをいかにコンパクトにするかを研究していたのですが、その過程で京都出身の研究者に教わった「丸竹夷(まるたけえびす)」という地名を覚えるための数え歌が役立ったことも懐かしい思い出です。仕事中にその歌を口ずさむ自分に、ふと「何をやっているんだろう」と思うこともありました(笑)
学生時代に熱中していた「旅行貯金」と、社会人になってからの仕事。まさかこんな形で再会するとは思ってもみませんでした。人生の中で何がどうつながるかは予想がつかないものですね。

日立が郵便区分機の実証実験をした川越西郵便局に立てられている記念碑。
そうだ、京都で暮らそう。住んだから見えたこと
2016年に日立京大ラボの研究員として赴任して以来、9年ほど京都での生活を続けていましたが、観光で訪れる京都とはまた違った顔が見えてきます。京都では一年を通じてさまざまなイベントがあります。葵祭や祇園祭など全国的に有名なものだけでなく、観光ガイドブックには載らない地域密着型の行事も毎日のように開催されています。例えば、針供養や包丁供養といった生活道具をお祓いする神事など、あちこちの神社でさまざまな神事が頻繁に行われています。それも、一日で完結するものばかりではなく、前日に川で水を汲む、遠くの神社から馬で使者をお迎えする、という具合に数日間に渡るものも多いです。街を歩くたびに新たな発見があり、京都の奥深さを感じます。
住んでみて驚いたのは、正月より節分が盛り上がることです。節分とは本来「季節を分ける」ことを意味し、立春の前日が節分にあたります。一年の始まりを春と考えていた時代には、立春が現代の正月、節分が大晦日に相当する行事だったのでしょう。京大の近くにある吉田神社には50万人もの参拝者が訪れ、京大前の通りも歩行者天国となり、屋台がずらりと並ぶんです。節分に限らず、京都では、宮廷文化の影響を受けたさまざまな行事や独特な文化と、庶民の生活とが密接な関係にあり、四季折々のイベントを通じて、人間関係を円滑にするための細やかな心配りやしきたり(仕来たること)を大切にする街だと感じます。
京都に来てからは、街の様子をいたるところで撮影しています。街並みも特徴的ですし行事も多いので、被写体には事欠かないのですが、現場でしか出会えない一瞬を撮れたときには嬉しくなります。写真はフォトブックにまとめていて、気づけば90冊以上になっていました(笑)。写真を撮り始めたのは子どもが生まれたときでしたが、いまでは大事な趣味になっています。子どもは成長が早いので、同じ表情や仕草が二度と撮れないんですよね。「いまのこの瞬間を残しておきたい」という思いから、写真データは膨大な量になって、年末には大バックアップ大会を開催しています(笑)
京都大学の准教授として教育にも携わっていますが、学生相手に話すのは学会発表とはまったく違います。面白いと思って話したことに興味がないかもしれません。学生相手に話すようになってから、相手が何を聞きたいのかを意識しながら話すように心がけています。京大ラボでも同じですね。地域の方々と物事を決めるプロセスは、企業の意思決定とはまったく違うものです。異なる属性の人々が集まる場では、相手の立場や価値観を尊重することがより必要になります。僕が心がけているのは、説得することではなく、相手の話をとことん聞くことです。一番最後には責任者である僕が決めますが、言いたいことは言い尽くしてもらえるように留意しています。この「聞く姿勢」は、京都での生活を通じて学んだ大切な教訓のひとつです。
京都での暮らしも、まだまだ毎日が発見の連続です。
編集部より

黒歴史だからとはにかみつつもマニアックなお話を交えて語ってくださった嶺さんですが、実はケーキ作りの趣味もお持ちだそうで、その出来栄えでご自分の心身状態を客観視することができるのだとか。この記事の取材後に異動があり東京在勤となりましたが、京大准教授と日立京大ラボ長代行という二足の草鞋を履きこなしていた研究者のチカラの源は、たくさんの趣味や京都暮らしの日々からの学びに支えられていたのだと感じました。【編集C記】