[Vol.1]最終的な判断は人間が担うべき
[Vol.2]知の継承がもたらす社会的インパクト
伝統知をAIが継承・伝達する
熊谷さん:
「ブッダボット」は、日本のあるお坊さんから「衰退気味の日本仏教を復興すべく、仏教とAIを組み合わせて何かできないか」と相談を受けたことがきっかけで開発されました。実は日本の仏教界では、仏教が国家宗教であった江戸時代頃に比べると、お坊さんの質が下がってきていることが課題になっています。それを緩和するようなことができないかということだったんです。とはいえ、ブッダボットは仏教界が賛同しなければ社会には出さない方針で進めていますので、日本ではまだ公開していません。
日本よりも先にブータン王国から導入したいという要望をいただいて、2025年2月に正式に調印し、国家的導入を進めています。しかし当初は、ブータンのお坊さんは公務員であり、知識レベルや修行の度合いが高いので、私自身、ブータンではブッダボットは不要だろうと考えていました。ところが現地で実際にお話をうかがうと、ブータンでも若者たちの興味が宗教よりも西洋や現代的な文化に向かっていて、伝統的なアジアやブータン文化に対する興味・関心、リスペクトが年々薄れつつあると。生身のお坊さんの力だけでは、この仏教離れは防げない状況にあるとのことでした。そこで、若者が興味を持ちやすいAIを活用することで、伝統的な仏教や文化にもっと関心を持ってもらえるのではないかと考えたそうなんです。

「仏教が盛んなブータン王国でも、お坊さんたちだけでは、若者たちの仏教離れを防げないというのは意外でした」と熊谷さん
影広:
海外のほうが先に動いたんですね。
熊谷さん:
そうなんです。まずはブータン王国の中央僧院のお坊さんに試験的に利用していただき、改善すべき点をフィードバックしていただきました。その後、責任者である中央僧院の事務次官クラスの方と議論してガイドライン作りや実装の方向について話を進めるという、安全性を重視した進め方をしています。ゆくゆくは世俗の在家の方々や学校などで使っていきたいという要望を受けています。
また、スリランカなどのアジア各国からも導入したいという声があがっています。
熟練者がいない現場で、AIが補う身体知
影広:
産業の現場のお客さまと話していると、利益を出す出さないの前に、人員が不足している問題が大きいと聞きます。そのために、熟練者が当たり前のように行っていた作業や知恵をナレッジとして蓄積してほしいという要望が多い。ただ、文章や図によるマニュアルはあっても、現場のコツや勘のような身体知は言語化できないというのが、大きな問題になっていました。
そこで私たちは、「Sense」「Think」「Act」のサイクルを回す試みを行っています。
具体的には、作業着に加速度とひずみを計測できるセンサーをつけ、それを着て作業してもらうことで、その方の挙動をデジタル化=センシングする(Sense)。そこで集積したデータをAI技術によってマルチモーダルにモデル化(Think)、Actの部分は、人がいませんからロボット化していこうというものです。

「Sense」「Think」「Act」のサイクルについて解説する影広
熊谷さん:
文献学で扱う古文書は、紙媒体ではありますが文書としては残っています。が、文字化されていない知は、一度失われてしまうと再現することができなくなるので、なくなる前に回収して文字化する必要がありますよね。
また、仏教には「聞・思・修(もん・し・しゅう)」という実践方法がありますが、これは、影広さんのおっしゃる「Sense」「Think」「Act」の発想と似ています。「聞」は聞く、つまりインフォメーションで、「思」は考える、「修」はプラクティスでアクションなんです。最初は「Sense」は「聞」とはまったく違うものだと思っていたんですが、よく考えると、「Sense」で集められるものはインフォメーションだと思うので、仏教とほぼ同じことを言っているなと思い、大変驚きました。仏教ではブッダの言葉である経典から、自分の状況に当てはまる情報を得て、自分自身で熟慮を重ねて実行に移すという流れになっています。
AI×ドメインナレッジが社会に与えるインパクトとは?
影広:
社会に対してのインパクトは、生成AIの登場以前と以後で変わりましたよね。以前はディープラーニングが大きなインパクトでしたが、教師データといって入力データと対になる正解のデータを学習しなければならなかったので、手間がかかっていました。生成AIが出たことによって、ウェブにある膨大なデータを学習することで基盤モデルが構築され、多様な用途に使えるようになり、前提条件が変わったんです。膨大なデータから大規模言語モデル(LLM)と呼ばれる基盤モデルをつくり、人間から自然言語で問い合わせをするとさまざまな用途に活用できる可能性が見えてきました。しかし、その汎用性とは裏腹に専門的な用途での活用には、信頼性が足りないという欠点が見えてきました。それを解決するために専門分野の知識、「ドメインナレッジ」を集めモデルに反映することが必要になってきています。そのため、今後はドメインナレッジをどう集めるのか、それをどうモデル化し、どう現場に使っていただく形にするかを、本気で考える必要があると思っています。熊谷先生はどのようにお考えでしょうか。

熊谷さん:
私たちのスタートアップで判断基準にしているのは、「今、世の中でできていないことをできるようにする」。つまりゼロをイチにするところでインパクトを出すことです。または、ゼロイチではなくても、AIの持つ非常に速いスピードで、空間的、時間的にこれまでにないインパクトを生み出すという点を意識しています。
そうしたうえで、今を生きている歴史化されたものではない伝統をどう残していくかという観点を持っています。私たちのもとには、職人さんが持つ言語化されていない知や、手書きのものをデジタル化したいというようなご要望が届きます。それにはまず文書化、そしてDX化、そしてAI化していくというプロセスが効果的なのではないでしょうか。いきなりAI化までいけなくても、最低限デジタル化さえしていれば、あとからAIと結び付けていくことはできますから。さらには、そのデジタル化の前に、まずは言語化されていない知をどう言語化するのかが重要ですね。
――次回はAIに専門知識を持たせることのおもしろさと難しさについて、さらにお話を伺っていきます。
![画像1: [Vol.2]知の継承がもたらす社会的インパクト|ドメインナレッジがかなえる、AIと人間による知の協創](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783605/rc/2026/02/12/75a4f8231ff20a9a786a56a72945e4df159004e9.jpg)
熊谷 誠慈
京都大学 人と社会の未来研究院 副院長・部門長・教授
仏教学・宗教情報学を専門とする研究者。仏教経典を中心とした宗教テキストのデジタル化やAIを活用した分析、情報技術との融合による新たな宗教の可能性を探求している。近年は生成AIを活用し、仏教経典に基づいて質問に答える「ブッダボット」の開発をリード。宗教知と先端テクノロジーの架け橋となり、人と社会の未来に新たな視点を提供する研究を推進している。
![画像2: [Vol.2]知の継承がもたらす社会的インパクト|ドメインナレッジがかなえる、AIと人間による知の協創](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783605/rc/2026/02/12/276e8524eab0a10a052423e195d44b9f9af1f247.jpg)
影広 達彦
日立製作所 研究開発グループ
Digital Innovation R&D先端AIイノベーションセンタ主管研究長
1994年 筑波大学大学院理工学研究科修士課程修了後、日立製作所入社。2005年 University of Surrey にて客員研究員。その後、中央研究所にて、映像監視システム、産業向けメディア処理技術の研究開発を取り纏め、2015年から社会イノベーション協創統括本部にて、ヒューマノイドロボットEMIEWの事業化に携わる。2017年にメディア知能処理研究部長、2020年人工知能イノベーションセンタ長 兼 Lumada Data Science Lab. ラボ長。2022年より現職。筑波大学大学院博士課程客員准教授、一般社団法人日本デジタル空間経済連盟理事、電子情報通信学会 情報・システムソサエティ副会長。博士(工学)。
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