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生成AIの登場で、知識の価値が揺らいでいます。圧倒的な情報処理能力を持つAIがパートナーになったとき、人間にしかできないことは何か。東京大学薬学部教授で脳研究者の池谷裕二さんと、日立製作所 研究開発グループで技術戦略室 室長を務める小池麻子が「AIと感性」をテーマに対談しました。Vol.1では、AIの影響で研究者に求められる能力が変わりつつある現状について考えます。
画像: 東京大学で脳とAIの研究を続けている池谷裕二さん(右)と、日立製作所で研究開発戦略の立案を担う小池麻子(左)

東京大学で脳とAIの研究を続けている池谷裕二さん(右)と、日立製作所で研究開発戦略の立案を担う小池麻子(左)

「ブレないAI」とは安心して議論ができる

小池:
生成AIの登場以降、研究開発の在り方が大きく変わってきたと感じています。私たち研究開発グループでも、各種調査、仮説生成から、プログラミング、設計・製造プロセス、オペレーション&メンテナンスに至るまで、さまざまな工程で生成AI、physical AIを活用するようになってきました。論文執筆や論文解釈においてもAIの利用が広がっていますし、従来の研究能力に加え「AIをいかに活用するのか」が新たに問われるようになっています。池谷先生の現場ではいかがでしょうか。

池谷さん:
AIの影響で、必要とされる能力や求められる人物像がシフトしているという実感があります。アイデアが豊富とか手先が器用とか、今でも大切な能力はありますが、プロセスの一部をAIに任せられるようになったことで、以前なら伸び悩んでいたような学生にもチャンスが広がっている感じがします。

私が脳とAIを融合するプロジェクトを始めた2018年のころは、まさかこんな時代が来るとは思っていませんでした。私自身が特に効果が大きいと感じているのは、ブレインストーミングのディスカッサント(議論参加者)にAIが加わったことです。

小池:
ディスカッションの相手としてのAI、ですか。

池谷さん:
そうですね。AIは人間と違って、ブレない。いつでも安定していて、視野も広い。だから、安心して議論ができるというか、心強いんですよね。

小池:
私たちも、自分たちのアイデア、戦略をブラッシュアップするための壁打ちにAIをよく使っています。ただ、学生の場合、AIに依存しすぎてしまうリスクはないでしょうか。

池谷さん:
そのリスクはあると思います。なんでもかんでもAIに聞いて、楽なほうに流れてしまう学生がすでに出てきています。以前なら伸びたタイプの学生が伸びなくなる。一方で、以前は難しかった学生が活躍できるようになる可能性も出てきた。ある種のカテゴリーシフトが起きている印象があります。ただ、私はそういう変化を必ずしも批判的に見ているわけではありません。

小池:
どういうことでしょう?

池谷さん:
1日に1本か2本だけ読むのが精一杯だった英語の論文も、AIを使えば100本に目を通せるようになります。それ自体は悪いことではないと思うんですね。ただ、それだけに頼ってしまうと、英語で論文を書く力や本質を見抜く目が養われないおそれがある。だから私は「AIをどんどん使いつつ、1日1本は英語の原著論文を実際に読みなさい」と学生に伝えています。

ただ、正直なところ、AIが主流になった時代にあって、今更まだそんなことを言っているようでは「老害だ」と批判される可能性もあると思っています。「50代の研究者は使い物にならない」と若者に思われているかもしれない、という視点を忘れないようにしているんです(笑)

小池:
自戒も込めて、ということですね(笑)

画像: ヘルスケア領域の研究開発の経験を持つ小池

ヘルスケア領域の研究開発の経験を持つ小池

ベテランこそ、AIを活用できる理由

小池:
論文の読み方に関連して思うのですが、人間の脳は何をどのように経験してきたかで発達の仕方が変わりますよね。ある程度、論文の読み書きの教育・訓練を受けた人が効率化をするためにAIの要約を読むのは有効だと思います。一方、そうした教育・訓練を受けていない人が最初から要約に頼ってしまうと、論文の読み書きの力が十分に身につかないのではないでしょうか。AIに過度に依存することで、思考力や創造性に関する脳の機能発達に影響が及ぶのではないでしょうか。特に、子供の頃からAIを頼りすぎると脳の発達に大きな影響を与えるかもしれず、「AIに依存した世代の思考力や創造性が低下している」という研究結果が、何年か後に出てきても不思議ではない、と思っています。

池谷さん:
私もそう思います。実は今年1月のサイエンス誌に、生成AIを使っているプログラマーは若い人ほど多いが、若い人が使っても思ったほど生産性が上がっていない、という調査報告があったんですよ。

小池:
興味深い調査ですね。

池谷さん:
面白いのは、年配者は逆の結果だったことです。それまでの経験が土台にあるから、生成AIを使うことで生産性がさらに上がっている。それだけでなく、新しい挑戦も増えているという結果が、数字として示されていました。

料理人に例えるなら、新しい食材が手に入ったとき、見習いよりも経験豊かなシェフのほうがうまく使いこなして、イノベーションを起こしやすいのと同じです。私自身、実感として、学生よりも私のほうが生成AIから得られるものは大きいだろう、と感じています。

小池:
その軸で見れば、ベテランのほうが有利、ということになりますね。

池谷さん:
あくまでも「その軸で見た場合」ですけどね。私は、昔の価値観を押し付けて、「最近の若者はAIに依存していてダメだ」とは言いたくないんです。むしろ「必要のない能力は削ぎ落として、他の能力にリソースを割いたほうがいい」と考えています。生成AIの普及が逆戻りすることはないですから。

画像: 「自分が老害になっていないかと、ビクビクしながら教壇に立っている」と打ち明ける池谷さん

「自分が老害になっていないかと、ビクビクしながら教壇に立っている」と打ち明ける池谷さん

記憶力の低下は「退化」ではなく「進化」

池谷さん:
AIと似たような話として、ワードプロセッサ(ワープロ)があります。1980年代にワープロが広がってから、我々は漢字をどんどん書けなくなりましたよね。それを「悪いことだ」と言う人がいるけれど、私は腑に落ちない。本当に悪いことなのか、と。

小池:
テクノロジーへの適応、という捉え方ですね。

池谷さん:
私は、人類を最も変えた発明は「文字」だと思っています。文字が生まれる前、人間はすべてを暗記しなければならなかったけれど、文字の登場によって暗記の必要性が減って、記憶力が落ちました。でも、それは「退化」ではなく、新しいテクノロジーに適応した「進化」だと考えています。ワープロも同じですね。多少、漢字を書けなくなった代わりに、より速く文章を、しかも自在に編集可能な文章を書く能力を手に入れた。生成AIへの対応も、それと同じではないでしょうか。

小池:
そうですね。ただ、テクノロジーの進歩と人間の生物としての進化では、時間スケールが全く違いますよね。技術の進化によるリスクに人間の進化として適応することは難しいことが多いと思います。例えば、SNSでフェイクニュースが拡散しやすいのは、危険を仲間に知らせようとする、私たちの進化の過程で獲得した本能に訴えかける側面があると思います。そう考えると、新技術の進化がもたらすリスクにも備える必要があると感じています。

池谷さん:
その通りです。人間は古い脳のままで、それを使い回しているわけですから。物理的な空間や時間は、デジタルで歪ませることはできないにもかかわらず、遠くの情報が瞬時にわかったり、過去や未来のことまでわかったりする時代になっています。

小池:
人間の適応が追いついていない、ということですよね。

池谷さん:
一番効いてきてしまうのは、精神的なストレスですね。法律や政策で社会を整えたとしても、私たちの精神が受けるストレスについては、なかなかどうしようもない。今までなかったようなストレスが新しく生まれています。新しいテクノロジーのおかげで恩恵を受ける人がいる一方で、損をする人も生み出されているのが現実です。

小池:
革新的な技術が生まれても、それが社会にどのようなインパクトをもたらすかは、実際に影響が現れるまでに時間がかかることが多く、予想することは難しいと思います。先ほどのSNSの例でも、インターネットが普及してから、SNSが普及するまでに約10年かかっています。個人が意見を世界に発信できるというSNSの正の側面が注目される一方で、偏った情報獲得による社会の分断といった負の側面が現われるまでにも、さらに数年を要しました。

技術そのものの性質だけでなく、経済原理や多様なステークホルダーの思惑が複雑に絡まり、どう社会実装されていくのかで社会への影響は変わっていくと思います。その上での質問ですが、AIがさらに普及していくと、未来の社会はどうなると予想されていますか?

池谷さん:
私は、脳とAIを研究していますが、「これからAIがどうなるか教えてください」と聞かれても、正直なところ、わからないんですよ(笑)。わずか3年前ですら、今日の状況を予測できていませんでした。ましてや遠い未来のテクノロジーに対しては、研究者も素人だと思っています。たとえ新しいテクノロジーを開発することができても、社会に実装されたときに誰がどう活用するかまでは予測できない。だからこそ、楽しみでもあるわけですけどね。

──AIが研究者の「能力の定義」を静かに書き換えていく様子を追った今回の対談。では、人間は急速に進化するAIとどう向き合っていけばいいのでしょうか。次回は、感性の本質をテーマに、AIには持ちえないものをめぐる核心的な議論へと踏み込みます。

画像: 隅田川を望む部屋で「AIがもたらす未来」について語り合った

隅田川を望む部屋で「AIがもたらす未来」について語り合った

取材協力/VINOMONDO

画像1: [Vol.1] AIが問い直す「優秀な人財」の定義|AI時代に問う『感性』とは何か

池谷 裕二(いけがや・ゆうじ)
東京大学薬学部教授

1970年静岡県藤枝市生まれ。薬学博士。2002〜2005年のコロンビア大学(米ニューヨーク)留学をはさみ、2014年より現職。専門分野は神経生理学で、脳の健康について探究している。また、2018年よりERATO 脳AI融合プロジェクトの代表を務め、AIチップの脳移植によって新たな知能の開拓を目指している。文部科学大臣表彰 若手科学者賞(2008年)、日本学術振興会賞(2013年)、日本学士院学術奨励賞(2013年)などを受賞。『夢を叶えるために脳はある』(講談社)で小林秀雄賞受賞(2024年)。著書に『生成AIと脳』など多数。

画像2: [Vol.1] AIが問い直す「優秀な人財」の定義|AI時代に問う『感性』とは何か

小池 麻子(こいけ・あさこ)
日立製作所  理事 研究開発グループ 技術戦略室 室長

博士(理学)。1994年京都大学大学院理学研究科修士課程修了後、日立製作所入社。中央研究所にて医学生物系学知識処理技術・ゲノム解析技術の開発と実用化に従事後、医用系診断・治療機器の技術開発と製品化に従事。公共システム事業部、未来投資本部、ヘルスケア事業本部CTOを経て、2024年より現職にて研究開発の戦略立案に従事。アカデミア活動として、2003〜2005年東京大学大学院情報理工学系研究科客員助教授、2014〜2018年東北大学客員教授。米国臨床腫瘍学会会員。

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