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日立製作所 研究開発グループでは、未来を描くための「問い」として、人々の変化のきざしを捉え、「もしかしたら、将来、人々はこういう考え方や行動をとるようになるかもしれない」という観点でまとめています。(※)今回は、日本発のメタバースプラットフォーム「cluster」を立ち上げたクラスター株式会社の創業者・加藤直人さんにコミュニケーションのこれからについてお聞きします。

※詳しくは「きざしを捉える」を参照

画像1: 属性や顔が重要ではない世界へ。現実と代替不可な「住む」場としてのメタバース|きざしを捉える

加藤直人
クラスター株式会社 代表取締役CEO

京都大学理学部で、宇宙論と量子コンピュータを研究。同大学院を中退後、約3年間のひきこもり生活を過ごす。2015年にVR技術を駆使したスタートアップ「クラスター」を起業。2017年、大規模バーチャルイベントを開催することのできるVRプラットフォーム「cluster」を公開。clusterは現在、イベントだけでなく、好きなアバターで友人とコミュニケーションをとる、オンラインゲームを投稿して遊ぶといったことができるメタバースプラットフォームへと進化している。2018年、経済誌『Forbes JAPAN』の「世界を変える30歳未満30人の日本人」に選出。著書に『メタバース さよならアトムの時代』(集英社/2022年)。

コロナ禍によりオンラインでのコミュニケーションはより加速し、属性や居場所、顔を知らない人との会議も珍しいことではなくなりました。さらに、SNSをはじめとするさまざまな「場」において見た目や性格といった「顔」を使い分け、その結果、自己のアイデンティティが多面化することも一般的になりつつあります。自己との向き合い方や他者とのつながり方は確実に変化しているのです。

そうした潮流において世界的に注目されているのが、オンラインに構築された仮想空間で、自身の分身であるアバターを通じて身体性を伴った体験ができる「メタバース」。メタバースの普及は、コミュニケーションのあり方や私たちの社会をどう変えていくのでしょうか。メタバースプラットフォーム「cluster(以下、クラスター)」を運営するクラスター株式会社の代表取締役CEOである加藤直人さんにお聞きしました。

ユーザーがクリエイターにもなり、自由にコンテンツをつくることができる

――「Meta(超越した)」と「Universe(宇宙)」からの造語である「Metaverse(以下、メタバース)」は、1992年、ニール・スティーヴンスンの小説『スノウ・クラッシュ』で初めて使われたと伺いました。そのメタバースを加藤さんはどのように捉えていますか。

メタバースを理解するには複数の切り口があると考えています。1つ目はSFの世界観に基づいたメタバースです。それは、コンピューターが描いた世界のなかで人が生活しているような世界。ただ、今のところ実現する見通しは立っておらず、人類の夢のようなものですね。

2つ目は、社会実装としてのメタバースです。ゲームの3D技術などを応用してリアルな仮想空間をつくり、そのなかで自身の分身ともいえる「アバター」を動かせる世界です。また、ゲームは通常、コンテンツを制作・提供する側がつくる世界に終始しますが、メタバースはその殻を破ります。ユーザーがクリエイターとなり、仮想空間にコンテンツを自由につくって遊んだり活用したりすることができます。

最後は、経済的な切り口からのメタバースです。現在、ビジネスはたとえデジタルを手段として用いていたとしても、結局はフィジカルな消費が主体であり、「物理的なもの」に価値があります。フィジカルが「主」でデジタルが「従」という位置付けですね。しかし、例えば、現実の服よりもアバターの見た目により価値を見いだしている人や、お金を払って仮想空間のライブに参加するといった人が増えています。そのような生活の変遷による「フィジカルとデジタルの主従関係が逆転した世界」もメタバースを捉える1つの切り口だと考えています。

――お話しいただいた捉え方を踏まえると、今、どのようなメタバースのサービスが普及しているのでしょうか。

今、一般的にメタバースといわれるサービスは、ゲームを主体とした切り口から発展しているものがほとんどです。「仮想空間にコンテンツがつくれて、そのなかで集まれて、遊べる」という要素を持ったプラットフォームなどですね。例えば、弊社が提供しているクラスターもその1つで、ユーザーはクラスター内でライブを開催したり、カフェを利用したり、アバターを着替えたり、それらにかかる売買をしたりなど、さまざまな体験ができます。

画像: クラスター内にあるカフェでは、ユーザーがそれぞれの楽しみ方で過ごす(© Cluster, Inc. All Rights Reserved)

クラスター内にあるカフェでは、ユーザーがそれぞれの楽しみ方で過ごす(© Cluster, Inc. All Rights Reserved)

そして、メタバースにとって最も重要な存在が「クリエイター」です。クリエイターが自由に創作し活躍できるプラットフォームでないと、ただの「ゲーム」として消費されて終わります。ユーザー自身がクリエイターになり、カフェのような「場所」をつくったり、ライブのような新しいコンテンツを生み出し続けるから、消費されて終わるような体験にならず、メタバースは「住む」場所として自己発展し続けていくのです。

さらに、経済性とゾーニングも重要です。インセンティブやリワードがないと創作活動を続けるのは本当に難しい。メタバースを住む場所にし、それを持続性あるものにするためには、メタバース空間内に経済圏をつくり出し、生活を成り立たせることが充分に可能な経済性を生み出す必要があります。

ゾーニングについては、よく「メタバースには国境がない」といわれますが、僕は「国境はなくともカルチャーによって分断が必要」と考えています。現実でも、宗教や思想など交わることが難しいものもありますよね。メタバースも同様で、カルチャーによってコミュニティがゾーニングされることによって心地よい空間になるのです。

自己の複層化はより加速する

――SNSでは、複数のアカウントを使って、それぞれで違った自分を表現する「自己のアイデンティティの多面化」は珍しくありません。メタバースにおいても同様のことは起きていますか。

まず、従来のSNSプラットフォーム側も「自己の複層化」は認識しているはずです。だからこそサービス内で簡単に複数のアカウントを切り替えられる仕様になっています。メタバースも同様で、その時々に応じて居心地よく感じるコミュニティは違い、それらを状況や気分に合わせて行き来するのが当たり前になると思います。

アバターを使えばコミュニティごとに外見を変えることも簡単にできます。現実ではそうはいきません。つまり、メタバースは自己が複層化しやすい環境であり、アイデンティティがそれぞれのアバターに依存しやすい、または依存させやすい環境といえます。

画像: クラスター内でアバターを作成できる「AvatarMaker」では簡単に顔のパーツや洋服をカスタマイズできる(© Cluster, Inc. All Rights Reserved) youtu.be

クラスター内でアバターを作成できる「AvatarMaker」では簡単に顔のパーツや洋服をカスタマイズできる(© Cluster, Inc. All Rights Reserved)

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――アバターをアイデンティティに合わせるのではなく、アイデンティティがアバターに合わせて変わっていくということですか?

はい。例えば、女性になりたいから女性のアバターを使うといったことはよくありますが、これはアバターをアイデンティティに合わせているといえますよね。一方、理由なく「たまたま」使いはじめたアバターであっても、愛着が湧いて、そのアバターにふさわしい動きをするようになることがあります。これは、アイデンティティがアバターに合わせて変わっていく表れではないでしょうか。

これがさらに進むと、ユーザー本人の年齢や性別、外見による区別や分断がない世界になると思います。クラスターにおいても10代と40代がお互い年齢や素性を知らずに仲良くなるということが珍しくありません。性別や外見も同様で、お互いそれらを知らずに恋愛している人たちもいます。むしろ、「メタバースでは、年齢や性別などを聞くことが失礼」という風潮が形成されていると捉えています。

――その一方で、年齢や性別、外見による区別ができない世界では、自己表現をしなければ他者から認識されなくなってしまう心配がありませんか。

それは正しくもあり間違ってもいます。インターネットサービスの歴史をみると、ある程度の文章量が必要なブログ、短文をメインとしたSNS、画像をメインとしたSNS、次は動画によるライブ配信へと、「自己表現」自体のハードルは下がってきています。

では、メタバースはどうかというと、自己表現のハードルはさらに下がり、ただそこにいるだけでも体を揺らすだけでも、視覚情報として相手に意味が伝わり、自己表現と認識されます。つまり、身体性があるがゆえに自己表現のハードルは現実に近いものになるので、他者から認識されるのはむしろ簡単になるんです。実際すでに、メタバースにおいて「無言勢」と呼ばれる、無言でコミュニティに溶け込み遊んでいる人たちが大勢います。

とはいえ、毎日一緒に、ゲームをしたりライブに参加するくらい関係性が深まると、コミュニケーションの濃さの重要性が増してきます。好かれたり認めてもらったりするためには、より適切な自己表現は必要で、それは現実と変わりません。むしろ、外見がほぼ意味を成さない分、より純粋にコミュニケーション能力が求められるでしょう。見た目よりもメンタルがイケている「イケメンタル」が大切な世界観ですね。

メタバースの住人たちが持つ価値観が現実を変える

――「顔を知らない、属性も聞かない」というメタバースの特性から、コミュニケーションにはどういう影響がおよぶと考えますか。

大した変化や影響はないんじゃないか、というのが持論ですね。とりあえず考えられるのは、初対面から「デジタルで表現された世界でいい」「生身で会わなくていい」と考える人が増えるのは必然です。「コミュニケーションはリアルで顔を突き合わせることが大切」という言説が幻想になるということです。一方で、現実の振る舞いを、メタバースのコミュニケーションにおいて好まれやすい表情や振る舞いに補正するフィルターやプログラムがはやると思います。

例えば、すでに弊社のオンラインミーティングはアバターの人がほとんどで、顔を知らない人と一緒に働くことが当たり前になっています。話しているときの手振り、怒り、笑い、けげんな表情などが伝わりさえすれば、コミュニケーション上、特に問題はありません。顔を明らかにしない著名なアーティストもいますよね。今後、デジタルの姿が「主」であり、現実世界の姿はサポート役としての「従」でしかないという逆転現象も起こりうるでしょう。

画像: 産学連携で設立した「メタバース研究所」。東京大学稲見研究室、京都大学神谷研究室の協力のもとメタバースを再定義していくという。画像は社内会議の様子(© Cluster, Inc. All Rights Reserved)

産学連携で設立した「メタバース研究所」。東京大学稲見研究室、京都大学神谷研究室の協力のもとメタバースを再定義していくという。画像は社内会議の様子(© Cluster, Inc. All Rights Reserved)

――メタバースが普及していくと、現実はどうなっていくとお考えですか。

環境問題を念頭に置いた「リソース意識」を背景に、現実での消費活動が質素なものになり贅沢は仮想空間で、という時代が来ると考えています。仮想空間で旅行したり、服を買ったり、車に乗ったりする。それらは「情報」なので環境負荷は圧倒的に低いですよね。

とはいえ、物理的な消費はなくなりません。ただ、環境に悪いので「贅沢なもの」と捉えられていくでしょう。この「現実は贅沢品と捉えて仮想空間で生きる」状況はディストピア感がありますが、1日5〜6時間、学校や仕事以外はメタバースに入っているようなヘビーユーザーは、ここ数年で世界的に見ると数百万人規模にまで急増しています。つまり、現実より自己表現できる、より友人とつながっている感じがする、より物理に束縛されずに自由でいられるなど、メタバースのプラスの側面を評価し、メタバースでの生活を選択する人が増えているのです。

さらに僕は、学校や職場も徐々にメタバースに移っていくと予想しています。例えば、学校という場で学べる最も大切なことは、人とのコミュニケーションだと思います。メタバースは身体性を伴うコミュニケーションができるため、そうした学びを得る場としても相性がいいし、地域による格差がない分、むしろ優れた環境だといえるでしょう。

――今はゲームの延長線上にあるメタバースが、現実の世界とより密接にリンクしていくのですね。

そうですね。その潮流のなかで、僕は、日本はメタバースのようなデフォルメされた世界と相性がよいと思います。日本の代表的なカルチャーの1つである漫画やアニメは、デフォルメの極みです。例えば、あるアバターを使ったミーティングのサービスに対して、海外では「アバターを介してビジネスミーティングをすること」に抵抗感が示された一方で、日本では「アバターがかわいくない」といった反応が主でした。まさしく、アニメ文化のある日本らしい反応です。

また、アバターは年齢や性別だけでなく、見た目からくるコンプレックスも隠すことができるため、そもそもそうしたもの自体の意味を必要としない存在です。例えば、あるメタバースプラットフォームでは、アバターが現実の見た目を模しており、メタバースの従来からのコアユーザーから反感を買いました。彼らにとっては、見た目は単なる識別子であり、そこにわざわざユーザー自身が持つ現実を持ち込む必要はないんです。

今後、メタバースの普及により、こうした反応があったり、それを受けてサービスやユーザーが変化したりすることは多々あるだろうと思います。そういった変遷や価値観の変化は、当然、現実世界における価値観にもさまざまな影響をおよぼすはずです。そして、現実と仮想空間はより密接になり、それらを行き来して生活することが普通の社会となるのではないでしょうか。むしろ、仮想空間に重きが置かれる社会になる可能性もあると、僕は思っています。

編集後記

メタバースは、つくられたゲームを「消費」する場でも、現実世界の「不便を解消」する場でもなく、独自の価値観や所作によって形づくられる「住む」場所なのだということが発見でした。つまり、現実の世界にルールを寄せる必要もなければ、比較して評価されるいわれもない。そこでつくられた新しい文化を尊重して受け入れることで、初めてその価値を感じることができるのだろうと思いました。

リモートワークが定着し、一度も顔を見たことがないまま一緒に仕事を進めることも多くなりました。コミュニケーションのベースがリモート環境であり、誰かと同一の空間を共有しながら何かをすることは、旅行体験に近い非日常の領域に入っていると感じます。「現実は贅沢品と捉えて仮想空間で生きる世界になるかも」という仮説は、ここ数年で多くの人が納得できるものになっていると感じます。

メタバースの世界でもゾーニングが必要だというお話もありましたが、身体が1つしかない現実と違って、メタバースの世界では自分のなかにある人格や気持ちの分だけ、「住む」世界を選べるのが興味深いと感じた半面、増えていく「自分」というものをどうやって維持していけばよいのか不安になりました。おそらく、この不安がなくなったときが自分の価値観が変わったときなのでしょう。

コメントピックアップ

画像2: 属性や顔が重要ではない世界へ。現実と代替不可な「住む」場としてのメタバース|きざしを捉える

現実の学校や職場で心理的ストレスを抱えていたりする場合に、仮想世界は1つの救いになるかもしれないなと思いました。一方で、仮想空間を充実したものに感じるのは「現実での経験が脳内に記憶されている」からなのかな、と感じる部分もあります。例えば、オンライン旅行で実際に旅行に行った気分になれるのは、現実での経験が景色の広がりなどを自分の頭のなかに描いて、それを心で感じることができるからかなと。個人的にはフィジカルの経験があるからこそのデジタルだという思いが強いです。

画像3: 属性や顔が重要ではない世界へ。現実と代替不可な「住む」場としてのメタバース|きざしを捉える

コロナ禍で、一度も顔を合わせない相手と仕事をすることは当たり前になりましたが、孤独を感じる瞬間があるのも事実です(笑)。ただ、それはコミュニケーションツールの「解像度」の問題かもしれません。以前、VRゴーグルを使用してVR空間で初対面の人と語り合うイベントに参加したことがあります。「多分にパーソナルな内容を、初対面の人に語れるか?」がイベントの主旨だったのですが、相手の無意識的な身体の動き、うなずきやちょっとした手の動きまでアバターに反映されるからか、案外すんなりと話せました。ビデオ通話よりも抵抗は感じなかったように思います。

画像4: 属性や顔が重要ではない世界へ。現実と代替不可な「住む」場としてのメタバース|きざしを捉える

デジタルとフィジカル、どちらが主で従なのか、その議論自体はナンセンスな感じがします。僕は小学6年生でインターネットに触れて、中学生くらいまでは「ネット(デジタル)すげー!」となっていましたが、次第にデジタル、フィジカルといった二元論のような認識はなくなったように思っています。
会社員、大学講師、ゲーマー、イラストレーター……それぞれの活動で必要な「コミュニケーションツール」と「顔」があるというだけで、SNSやメタバースも「仮想」ではなく、デジタルで拡張された「現実」という感覚です。
ただ、アバターを通した身体性を伴う体験をゲーム以外でも日常的にするようになると、この感覚は変わってくる可能性があると思います。

画像5: 属性や顔が重要ではない世界へ。現実と代替不可な「住む」場としてのメタバース|きざしを捉える

仕事で長くロボットに関わってきましたが、ロボットの可能性はそのフィジカル性にどんな価値を持たせられるかというのが課題でした。一方でメタバースの世界では、ロボットのフィジカル性に当たる基準は何になるのでしょうか? 果たしてあるのか、なくてもよいのか? 少なくともフィジカルがもつ絶対的な制限がないメタバースが、技術的なボトルネックが解消して、純粋に思考がアバターに反映されるようになると、どんな世界観をもつのか興味があります。

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