関係者が納得する超長期の脱炭素ロードマップとは?
池ヶ谷:
近年、自治体関係者を含む多くの方々と、脱炭素に向けた課題を対話していますが、都市や地域におけるロードマップ策定には、大きく2つのむずかしさがあると考えています。
ひとつ目は、不確実性の高い状況で、超長期の未来を考える必要があることです。一般的に、企業などの組織は、人間が思いつく範囲内のシナリオ・プランニングに基づいて、超長期の戦略や計画を策定していると思います。しかしながら、不確実性の高い近年の状況下では、急激に変化する国際情勢や国際潮流などの外部要因をはじめ、Z世代の価値観変化など、実にさまざまな可能性を考慮しながら、臨機応変に戦略を練る必要があります。これまでは、首長や経営者、戦略部門などが属人的に持つ「人の経験値」に大きく依存してきましたが、2050年の脱炭素を達成するために、どういった施策をどういった順番で打っていくべきかを意思決定するのは、簡単ではないと思います。さらに、地方自治体の場合、政府の方針や隣接する地域の影響など自身ではコントロールできないことも多く、ロードマップ策定は企業よりも難易度が高い可能性があります。
ふたつ目のむずかしさは、統合的な観点で、多様な関係者と合意形成を図ることだと思います。特に、地方自治体の場合は、公共交通、教育、医療といった社会的な価値に寄与するさまざまな公共サービスとの兼ね合い、さらには、その地域の産業や財政との兼ね合いを考慮しながら、脱炭素をめざす必要があります。「環境価値vs.社会価値」「環境価値vs.経済価値」、こういったトレードオフの関係性が非常に多く、加えて、再生可能エネルギーの導入が自然環境や景観に与える悪影響といった「環境価値vs.環境価値」という対立関係も場合によっては存在します。そのため、市民や地元企業といった地域のステークホルダーとの建設的な議論や合意形成が非常に困難だと言えます。
そういった2つのむずかしさを解消するために、2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現に向けて起こり得る未来シナリオや、将来重要となるシナリオの分岐点を可視化するシミュレーターを研究開発しています。
実績のあるAI技術を脱炭素に応用
池ヶ谷:
2つのむずかしさを解消するために開発している本シミュレーターですが、実は、2017年に開発されたAI技術が中核技術になっています。それは、京都大学と日立が共同で開設した日立未来課題探索共同研究部門(日立京大ラボ)が開発した「政策提言のためのAI技術」です。これは、「よりよい社会のための政策を、人間とAIが協働して策定する」という基本方針のもと開発された技術です。人間には難しい「多量のシナリオを考える」「ある複雑な事象を定量的に分析する」といった作業をAIに任せます。そして、最終的には、AIが導き出したシナリオやヒントをもとに、望ましい未来シナリオを関係者間で議論し、そこへ向けた政策を人間が提言として具体化していくというものです。実際に、このAI技術はこれまでに、2050年の持続可能な日本社会の未来シナリオや、複数の地方自治体における総合計画支援などに活用された実績があります。
今回は、そのAI技術を脱炭素に応用し、自治体関係者の長期ロードマップ策定を支援できるように、シミュレーションのモデルを再構築したり、あらゆる人がシミュレーションを実行できるようにウェブアプリ化する研究に取り組んでいます。
対話と開発の両輪で気候変動領域のイノベーターへ
池ヶ谷:
2021年11月に日立がプリンシパル・パートナーとして参加した、英国グラスゴーで開催されたCOP26(国連気候変動枠組条約第26回締約国会議)では、日立ブースや、日本政府管轄のジャパンパビリオンにおいて、本シミュレーターの先行イメージ映像を展示しました。コロナ禍の折、私自身も運良く英国に出向き、会場に入ることができました。そして、約二週間の会期中に、世界中から集まった政府、企業、NGO、青年団体、アカデミアなどの組織やグループ、団体などに在籍する多くのリーダーたちに対し、このシミュレーション技術を紹介しながら、対話することができました。
「作成したシミュレーションのモデルをユーザー間で共有できるようにしたい」、「シミュレーションを試してみたいが、必要な過去データが容易に揃わないかもしれない」、「都市や地域の脱炭素シナリオだけでなく、企業の脱炭素経営にも応用できる可能性がある」など、二週間の会期を通して、このような多くの期待や課題、そして新しい視点を得ることができました。現在、こういった声にも応えるべく、シミュレーターのさらなるブラッシュアップを試みています。同時に、ウェブアプリ化したシミュレーターを実験的に活用し、国内の特定の地域において多様なステークホルダーを巻き込んだワークショップを計画しています。
日立は、今後も国内外の多様なステークホルダーとの対話を継続し、同時に、このシミュレーターのようなデジタル技術を活用し、自社そして、顧客・パートナーのみなさまの脱炭素化を支援したいと考えています。
池ヶ谷 和宏
研究開発グループ サステナビリティ研究統括本部
プラネタリーバウンダリープロジェクト 主任デザイナー(Design Lead)
日立製作所入社後、エネルギー、ヘルスケア、インダストリーなど多岐にわたる分野においてUI/UXデザイン・顧客協創・デザインリサーチに従事。日立ヨーロッパ出向後は、主に環境を中心としたサステナビリティに関わるビジョンや新たなデジタルサービスの研究を推進している。