[Vol.1]自然と人、フィジカルとサイバーの関係
[Vol.2]量子は社会、人、そのもの
[Vol.3]芸術祭を通じ、量子を社会につなぐ
中国で山水画を勉強して分かったこと
沖田:
私たちは量子に関する研究をしているのですが、量子というものをわかりやすく外に向けて発信する方法がないかについても探求しています。そこで以前から日立とお付き合いいただいているデザイナーの藤原大さんに、量子を知らない人たちにもメッセージを届けられるような、新しいアプローチを一緒に探ってほしいとお願いして、現在は日立とのオープンイノベーションプログラムでもご活躍いただいています。まずはそんな藤原さんのバックグラウンドからお聞きしたいと思います。
藤原さんは昨年、個展「人の中にしかない自然」を開かれましたが、藤原さんがアートや自然に興味を持つようになったきっかけから教えていただけますでしょうか。
藤原さん:
子どもの頃から自然が好きで、台風が来るとワクワクしちゃうような子でした。土砂降りの中を自転車で漁港に魚釣りに行っていましたね。魚の大群が漁港に逃げてきて見たことのないような釣れ方をするのが楽しかったし、人がいない中で強烈な雨に打たれながら自然を感じる、そういうのが好きでしたね。山に行っても、動物を追いかけ回したりしていました。
大学はその延長のようなもので、ある時中国の北京へ山水画を勉強しに行きました。中国はとんでもない成長をする国のようだと耳にしていましたので、巨大な国の考え方を自然から学びたいと思ったんです。留学を通じて、山水画に描かれた自然の思想や人の生活を学べば、今後の中国のことも理解しやすくなると思って選びました。
行ってみると、中国の思想がなぜ形成されたのか自分なりになんとなく分かった感じがしました。大河が何年かに一度氾濫すると、大洪水となる地域では村が一瞬にして消えてしまう。自然の営みによって、一気に人がいなくなってしまうんです。そこには日本にはない強大な自然観がありました。
一方で、街では経済成長が進んでいたので、テクノロジーによって人々の生活が一変するんだな、と思いながら帰国しました。これまでもそうでしたが、これからも、基本的には“自然と人との生活”というキーワードを持ちながら創作活動したいと思っています。
自然は人の中にしか存在できない
沖田:
藤原さんといえば、自然界や都市に存在する現実の色を、その場で水彩絵の具を調合して表して色見本を作る「カラーハンティング」というデザイン手法が印象的ですが、その時の自然の色の捉え方も面白かったですよね。
藤原さん:
カラーハンティングは、小学生でもできるような道具や絵具を使って、自然にある色と同じ色を作って紙に塗って、それをカメラで撮ります。フィジカルにサイバーとつながることに意味があると思っています。パレットを持ったフィジカルハンドとデジタルカメラを通じたサイバーアイという、物理的なものと電子的なもの、両方を合わせる簡単な仕事なんですよ。
2018年には江ノ島電鉄の車両の外観をデザインさせてもらいましたが、これも江の島の自然の色をカラーハントしてつくられたものです。
これとは別に香港で2021年に行った企画展「Dai Fujiwara The Road of My Cyber Physical Hands」では、作品の中にある一つに、自分の脳血流をセンサーで感知し、意識を集中したら「上昇」させ、集中をやめると「降下」するようにプログラムされたドローンで、布にプリントして服を作る作品を作りました。
そんな風に、物理的な植物などの自然を色を通じて電子的につなげる表現や、人の体を使ってアナログなことをデジタル的に翻訳し直したり、その両方を兼ね備えてみることをしてきました。
江ノ電は江の島の自然にあるたくさんの色の中から最終的に17色の色を使ったストライプでデザインされたものです。まるで江の島の自然そのものが街中を走っているようですし、地域にある自然色なので沿線の景観にも馴染むんです。
昨年、茅ヶ崎市美術館で開いた個展は「人の中にしかない自然」というタイトルです。私が子どもの頃、感覚的に、「宇宙」を自然の対象とは思っていなかったんですよね。自然は地球の中にしかなくて宇宙は宇宙、というように、自然とは別のものとして捉えていました。でも、最近の子ども達は「宇宙も自然なんだ」と考えるようになってきました。これは、もしかすると「自分たちのもの」として考えはじめちゃっているかもしれませんね。つまり、人間も自然の一部であるけれど、言葉を作った時点で自分から分けて考えるようになった。
展覧会に来てくれた友人から、「自然をあなたは逆に人の中にしか存在できない対象にしてしまうの?」という疑問符も含まれるテーマと捉えてくれた方もいました。
変わってきたアートの役割
沖田:
アートも時代の変化に伴って変わってきましたか?
藤原さん:
最近アートに対する、社会の扱い方が変わってきた印象があります。アートを一言で表現するのが難しくなってきているし、その理由の1つには、社会で広く多様な役割を担っているということがあるのかもしれません。アートは個人が思ったり感じたりすることを表現する技術の一つと捉えることもできます。
いまは、小さい子どもが自分で撮った写真を綺麗に仕上げて友達に送ったり、パソコンを使って好きなサウンドを作ったりしています。以前であればアウトプットが苦手だった人たちも、段々とアウトプットできるようになってきました。
このようにアートは、いろいろな技術を使って整えて主体性について表現する社会的な役割をもつものです。その主体に直接関係したり繋げやすいため、人が何かの主権を伝える知的な道具として使っていると感じますね。
一方で、その表現がこれまで以上に社会に出てくると、これまでとは質の異なったアートの定義や社会的な機能が誕生することもありそうです。
情報の洪水の中をサバイブする人がパラレルに社会へアピールできるのも、アートの魅力だと考えています。表現をしないと流されてしまうというか、アートを急いで身に付けようとするイマドキの話も気になりますが、アートは個人に付帯され表現することで自分の身を守ってくれる役割もあると考えています。
水野:
そんな藤原さんと一緒に活動すれば、研究者として抱いていたジレンマを、アートで解決できるのではないかという期待を込めて、藤原さんには量子に関するオープンイノベーションプログラムに参画いただきました。量子を一般の方にも身近に感じてもらいたいものの、論文などで正確に届けようとする研究者の言葉だけではちょっと距離があると感じていたこともあり、アートなら一足飛びでもう少し違う表現ができるんじゃないかなと。
次回は量子へと話が展開します。藤原さんが量子について抱いていた印象や、日立とのオープンイノベーションプログラムで実際に量子研究者と関わって感じたことなどシェアしていただきながら、量子について考えます。
藤原大
デザイナー
1992年中央美術学院国画系山水画科(北京)留学後、1994年多摩美術大学卒業。2008年株式会社DAIFUJIWARAを設立し、湘南に事務所を構える。コーポレイト(企業)、アカデミック(教育)、リージョナル(地域)の3つのエリアをフィールドに、現代社会に向けた多岐にわたる創作活動は世界から高い評価を受けている。また、独自の視点を生かし、Google、資生堂、日立製作所など企業のオープンイノベーションにおける牽引役としても活動し、国内外での講演やプロジェクトなど数多く実施。
東京大学生産技術研究所研究員、多摩美術大学教授、金沢美術工芸大学名誉客員教授ほかを務める。
水野弘之
日立製作所研究開発グループ
Web3コンピューティングプロジェクトリーダ兼
基礎研究センタ 主管研究長兼 日立京大ラボ長
1993年日立製作所入社。2002年から2003年まで米国 Stanford 大客員研究員。低電力 マイコン回路、CMOS Annealing Machine、Emotional Intelligence、Cyber Human Systems など研究牽引。 2020年にムーンショット型研究開発事業にてシリコン量子コンピュータ研究開発のプログラムマネージャー就任。工学博士。米国電気電子学会(IEEE)フェロー。
沖田京子
日立製作所研究開発グループ
基礎研究センタ 日立京大ラボ 担当部長
企業、行政、大学などの研究者とユーザー・市民との協創活動を推進。人間性やインクルージョン、先進医療などのテーマを深堀し、問題の本質に向けた対話の場づくりと探索型研究を推進。中国のコーポレート・コミュニケーション業務を経て、社会イノベーション事業の広報・宣伝に従事。2015年より研究開発グループに所属。
関連リンク
[Vol.1]自然と人、フィジカルとサイバーの関係
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[Vol.3]芸術祭を通じ、量子を社会につなぐ