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日立製作所 研究開発グループでは、未来を描くための「問い」として、人々の変化のきざしを捉え、「もしかしたら、将来、人々はこういう考え方や行動をとるようになるかもしれない」という観点でまとめています。(※)今回は、「ポスト家族」として法令によって定められたかたちではない家族の在り方を広げている橋香代子さんに、自らの経験と巡り合わせから見えてきた幸せについてお聞きします。

※詳しくは「きざしを捉える」を参照

画像1: 白でも黒でもない。「ポスト家族」のグラデーションがもたらす幸せ|きざしを捉える

橋香代子氏

1988年東京生まれ東京育ち。IT業界でWEBエンジニア兼コミュニティマネージャーを経て2017年に独立。その後、バックパックで406日間の世界一周を経験。2020年に帰国後、都市に住みながら自然と共生した暮らしをめざす生産消費者コミュニティ「生活共同体TSUMUGI」の立ち上げに携わり、2022年より同事業を一般社団法人化、代表理事に就任。都市と自然、仕事と生活、家族と他人、男と女、健康と病気など、さまざまな二項対立の間にあるものを思考し、発信している。

核家族化・晩婚化・単身世帯の増加などにともない、結婚や家族に対する価値観が大きく変わってきています。シェアハウスや多拠点居住の広がりも、その変化を後押しし、血縁関係や婚姻関係のない他人と生活空間をシェアすることも珍しくありません。

その一方で、コロナ禍によって移動や接触が制限され、自らを取り巻く人との距離感は大きく変わりました。あらためて、「自分と家族との理想の関係性」や「大切な人と築いていく幸せのかたち」について考えた人も多いのではないでしょうか。

自然と変わっていった家族のかたち

――橋さんの家族のかたちと生活スタイルについてお聞かせください。

全部で9つの部屋がある小さなマンションの3・6・7・8階に友人が住み、5階に、私と夫と、私の6〜7年前からの友人である男性・Dくんの3人で住んでいます。

画像: 自然と変わっていった家族のかたち

――「夫婦+友人男性1人」で生活しているということですね。どのような経緯でそうなったのでしょうか。

実は、コロナ禍の影響なんです。私たち夫婦は、2019年から400日ほど世界一周の旅に出ていたのですが、2020年にコロナ禍の影響で予定より早めに帰国しました。旅に出る前に部屋を引き払っていたため、新居を探す必要があったのですが、ちょうど東京に緊急事態宣言が出される寸前の時期で。不動産会社を巡って部屋探しをすることが難しい状況だったんです。そのため、Dくんが運営に携わっていた小さなホテルにしばらく泊まることにしました。

Dくんは、コロナ禍のイレギュラーな運営に対応するため、ホテルの空き部屋に住み込みで働いていたのですが、しばらくして、ほかのお客さんでその空室が埋まってしまったんです。一方、私たち夫婦が宿泊していた部屋は定員が4名の広めの部屋でベッドが余っていました。そこで「私たちが泊まっている部屋で寝泊まりしたら」と申し出て、3人の共同生活が始まりました。

――そのまま、今のマンションにも一緒に住むことになったのですか。

そうですね。2020年の夏ごろ、ホテルを出て部屋を探すことになって。Dくんは、その時点で、もう3人で住むつもりだったらしいんですよ(笑)。「あ、ついてくるんだ」と思いましたが、「面白いからいいか」とも思ったし、夫も「嫌じゃない」と言うから、引き続き3人で住むことになりました。

だから、「一緒に住もう」と決めて住み始めたのではなく、自然の流れでこうなっているんです。私たち夫婦にとって違和感はないのですが、ほかの人に話すと結構びっくりされるし、「俺が旦那だったら、その男をつまみ出している」といった反応まであります。「これってどういうことなんだろう」「どのように説明すると理解されるのだろうか」と、後から今の状況を解釈しようとしている感じです。

――ほかの人に話すと驚かれるのはなぜだと思いますか。

生活空間が1部屋という物件に、男女3人で住んでいるからでしょう。部屋が別々だったら、そんなに違和感ないのかな。でも、あえて1部屋しかない物件を選んだわけではなく、たまたま気に入った物件がそうだったというだけで、シェアハウスとあまり変わらないと思っています。ただ、シェアハウスは、場所に人が集まる「場所起点」だから、人が入れ替わらない「人起点」の私たちとは、ちょっと違うのかもしれませんね。

画像: 約40平米のワンルームに3人で暮らす(写真:Eichi Tano)

約40平米のワンルームに3人で暮らす(写真:Eichi Tano)

友人との違いは生活を支え合うイメージがあるかどうか

――橋さんはnoteで、「家事・育児・介護etc……といったこれまで家族が担ってきた重たすぎる役割を私たちは市場にアウトソースしはじめた」ことに関連させて、社会倫理学者・奥田太郎氏の「家族なるものに負わされ過ぎたものを、家族なるものの外延を大幅に広げることによって軽量化するのが、家族のインフレ戦略である。」(『社会と倫理』第30号「家族という概念を何が支えているのか―補完性の原理を経由して」)ということばを引用していますね。

はい。家族について調べていくうちに、奥田太郎氏のそのことばに行き着きました。両親と、その両親から生まれた子どもだけが「家族を形成する」というイメージは、この100年くらいの間につくられたもので、それより前は、違う家族や共同体の在り方があったそうです。それならば、今自分たちが一緒に住んでいることはそんなに変なことじゃないし、「家族のインフレ戦略」と捉えることができると思うようになりました。

――3人一緒に暮らすことで、関係性にはどのような変化があったのでしょうか。

Dくんとは、私も夫も“すごく仲良し”になりました。よく聞かれるんですが、性的な関係はありません。今の法令が定める「家族」には当てはまらないので、私は「ポスト家族」と呼んでいます。

ポスト家族と友達との大きな違いは、ケアの対象としてお互いを見ているところですかね。もちろん友達でもケアはするけれど、もし何かあったときに生活を支え合うイメージがなんとなくあるところが、友達とは違うって思います。例えば、以前Dくんの仕事が大変そうだったときに、夫が「Dくんは本当に辛かったらやめたらいいんじゃないかな。数ヶ月くらいだったら生活費の面倒を見るよ」と私に言ってきたんですよ。夫いわく、Dくんに限らず親友なら同じような申し出をするということなので、夫の性格かもしれませんが(笑)。

血縁ではないし、面白い関係だと思います。その関係は、夫の両親やDくんの両親に対しても同じで、私たち夫婦はDくんの実家にも行ったことがありますし、Dくんは私の両親にも会ったことがあるんです。法律上の家族だからというわけではなく、実際に会って「この人のことを好きだな」と思えるから、ケアしたいとか、支えたいという気持ちが芽生えた感じですね。

お金を介さずに生活の責任を負担し合える相手が増えるのは心強い

――夫婦+1人の3人だからこそ困ったことや、けんかしたことはありますか。

家事を巡って言い争うことなどはありますが、それはたぶん、どこの家族でも起きることでしょう。むしろ、Dくんがいるから助かっていることの方が多いかもしれません。例えば、夫と口論になったときに、「香代ちゃんは、本当はこう思ってるんじゃないかな」などと間に入って取り持ってくれます。

Dくんのような存在は稀だと思いますが、米国などでは夫婦でカウンセリングに通って解決しているかもしれませんよね。

――それは、前述の「家族なるものに負わされ過ぎたものを、家族なるものの外延を大幅に広げることによって軽量化するのが、家族のインフレ戦略である」のように、ポスト家族となり人数が増えたことで、アウトソースしていた役割を“家族”で補えるようになったといえそうです。

そうですね。昔は大きい共同体のなかに家族や個人がいて、1人で全ての責任を背負う必要がありませんでした。時代を経て、その共同体が解体され、家族の領域に責任が押し込まれるようになった。家族の単位が大きかった時代はよかったけれど、どんどん小さくなっていって、核家族にすらならなくなって、生活にまつわる多くの責任が個人に集積してしまっているのが現代の状況ではないでしょうか。

それは荒野のなか、丸腰で1人立っているような状態ですよね。怖いし、寂しいと思うんです。1人で多くの責任を負うには、さまざまなサービスが必要にもなってくるし、それを解決するための武器としてお金が必要になるから、必然的に「お金を稼がないと」と思ってしまうことになる。

そうだとすれば、お金を介さなくても責任を負担し合える相手がいれば心強いと思いませんか。例えば、私たちは、マンション内でモノの貸し借りをよくしています。「おしょうゆ貸して」「トイレットペーパーが切れたからちょうだい」と言い合えるんです。

――昔は、ご近所とそうした関係があったようです。ただ、それは安心な反面、借りてばかりの人が出てくると、負担や不満を感じるといった面倒もあるかと思います。

そのようなフリーライドが問題になりそうな場面も、あることはあります。でも、昔の共同体と違って、自分で選んだ人同士の共同体だから、大きな問題になる前にうまくやり繰りできています。「もしかしたら負担を与えているかも」と察し合い、次にすごいお土産やお返しを持ってきてくれたり、あげたりすることもありますよ。

画像: お金を介さずに生活の責任を負担し合える相手が増えるのは心強い

グラデーションの間にいられることが幸せ

――橋さんたちの場合、経済的な負担はどのように分担しているのでしょうか。

消費財・食材に関しては、以前は、夫が主導して月末に精算していました。「精算を締めるから何日までに記入してね」と連絡が来るのですが、記入を忘れてしまうと精算されずにうやむやになってしまい、誰かがブツブツ文句を言うということはありましたね。

今は法的な家族関係はなくても共有口座がつくれる決済アプリを使っているので、そのようなエラーもなくなり、うまくいっています。消費財以外の物品購入は、その都度3人で相談し、将来に向けての貯蓄は夫婦2人でしています。

――経済的なことで、なにか揉めたりしないのでしょうか。

揉めるとは少し違うかもしれませんが、つい先日、3人で話し合ったのは、作家さんがつくった3〜4万円する土鍋のことですね。購入にあたり、費用をどう割るのかを話し合い、そこから「私たちは今後どうしていくのか」「どこまで一緒にいる覚悟があるのか」という話にまで発展しました。夫との別居は想定していないけれど、Dくんとはそうとも言い切れません。では、別々に住むとなったら、土鍋はどうするのか。話し合った末、夫婦2人で土鍋を買いました。

ただ、今の部屋に引っ越してきた当初は、そもそも食器や家具を3人でお金を出し合って買う発想がなく、当然のように夫婦2人で買っていたんです。消費財以外のモノでも、3人で買うことを検討する、そんなレベルにまで自分たちの気持ちが変化していると気付きました。ポスト家族の関係性にもグラデーションがあるということでしょう。

――「家族とはこういうもの、それに当てはまらなければ家族ではない」という二項対立ではなく、グラデーションがあるまま、つながっても移ろってもいい、ということですね。

はい。「家族だからこう」「ポスト家族だからこう」と定義する必要はないと思っています。「この人とはこういう関係性がいい」と、必要に応じてさまざまな関係性を多重に結んでいく形でいいのではないでしょうか。白にも黒にもなれないときはどうしたらいいのか、と考え続けることが大切で、白でも黒でもない状態が許されることが「幸せ」なのだと思います。

1つのロールモデルをみんながめざさなくてもいい社会に

――幸せの捉え方や家族観が多様化しているなかで、法令や行政など、生活を取り巻くルールの整備や支援などは追いついていないという意見もあります。

例えば、米国マサチューセッツ州のサマービル市には、家族として暮らしたい2人以上の人々の、婚姻に代わる条例として、ドメスティック・パートナーシップ制度があります。2022年9月にはニューヨーク州の裁判所が、ある訴訟において、ポリアモリー(関係するパートナー全員の合意の上で複数のパートナーシップを持つ人)が通常のカップルと同等の法的保護を受けられると判断をしました。

私は、そのような制度があったらいいのにと思っています。日本では、社会のサービスは婚姻をベースにした家族を想定していることが多くストレスを感じます。例えば、クレジットカードの家族カードが発行できないとか。

「社会のサービスが、法令によって定められた家族以外も含めた3人以上で生活を営む人もいることを想定するようになる」「パートナーとは1対1の関係であるという概念自体が薄れていく」といった変化を遂げていくといいですね。

画像: 1つのロールモデルをみんながめざさなくてもいい社会に

――橋さんは、一般社団法人生活共同体「TSUMUGI」の代表理事も務められています。TSUMUGIはどのような活動をしているのでしょうか。

食において消費し続けるばかりの都市生活者自らが生産のプロセスに携わり、循環型の暮らしを少しずつ実践するという活動です。お米や大豆づくりなどの共同作業を60人ぐらいのコミュニティで行っています。TSUMUGIで実践していることは、現代では解体されてしまった共同体的なものを構築するという点で、ポスト家族としての暮らしやマンション住民の関係性と共通しています。

ただ、TSUMUGIは「食の循環に携わり、食の伝統を紡いでいこう」という明確な目的がある共同体です。一方のポスト家族は、普通の家族と同じく、目的を掲げているわけではありません。ただ一緒にいるだけ。そこが違う点でもあり、大切な点でもあります。

画像: 千葉にある田んぼでの草刈りの様子(写真:本人提供)

千葉にある田んぼでの草刈りの様子(写真:本人提供)

――共同体といってもさまざまな形があるのですね。「家族」というキーワードを踏まえ、橋さんが考える未来についてお聞かせください。

私が家族について考え始めて、あらためて違和感を覚えたのは、「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」についてです。これは社会学上の概念で、恋愛・結婚・性の3つをセットとして考えることを指します。私も含め、多くの人に、この概念が骨の髄まで染み付いているから、「恋愛して結婚して子どもが生まれて家族をつくる」ことをロールモデルとして、みんながめざそうとしているように感じます。

恋愛から結婚に発展していかないと、「なぜ?」と考えるし、結婚して子どもをつくらないと「なぜ?」となる。でもそれは、必ずみんなができるわけではないし、めざしたくない人だっているはずです。それが、しんどさの要因になっているかもしれないですよね。私は、そういう概念が解体されていけば、みんなが幸せになれると思うし、そういう社会になればいいなって思っています。

これからも、自分のポスト家族の実践と探求をしながら、当たり前を解きほぐしていきたいです。

編集後記

そもそも人間の価値観や考え方は画一的ではなく、グラデーションがあるものです。曖昧なものに名前をつけてわかったつもりになる行為に対して以前から感じていた違和感を、言語化してもらったようなインタビューでした。私たちは0か1かの二元論で人の関係性を単純化しすぎていたのかもしれません。

また、家族の在り方や、暮らし方の選択肢があまりにも限られている状況にも気付かされました。不確実な時代といわれる昨今、孤立・孤絶が社会の課題として注目されるなか、選択肢の豊かさが個人のウェルビーイングを高め、コミュニティ内では共助の活性化につながるという示唆がヒントになりそうです。

橋さんがコロナ禍においてポスト家族を見いだされたように、既存の定義に捉われずに身近な人との関係性を見直してみると、それぞれ発見が得られるのではないでしょうか。さまざまな選択肢を受け入れる柔軟な仕組みはどうしたらつくれるのか、継続して考えていきたいです。

コメントピックアップ

画像2: 白でも黒でもない。「ポスト家族」のグラデーションがもたらす幸せ|きざしを捉える

「こうでないとダメ」「こうしなければならない」から解放されることが「幸せ」という考え方に共感します。もう一つ興味深いのは、共同体には目的があるが家族には目的がないという目的意識の捉え方。目的はないけど一緒にいたい、ケアしてあげたいという気持ちから家族の関係性が生まれるという感覚が、孤立などの課題を解決するヒントになると感じました。

画像3: 白でも黒でもない。「ポスト家族」のグラデーションがもたらす幸せ|きざしを捉える

コロナ禍をきっかけに自然な流れで3人の生活が始まり、「ただそれだけのこと」で家族の在り方について、橋さん自身の考えが広がっていったのが興味深かったです。家族とも、同居人とも違う関係性の重ね合わせを楽しんでいるのが面白いですね。

画像4: 白でも黒でもない。「ポスト家族」のグラデーションがもたらす幸せ|きざしを捉える

ポスト家族と従来の家族は、対立するものではなく共存するもので、どういうかたちを選択しても幸せになれるのですね。僕はきっと、妻の男友だちと住むことになったら「えっ?」と思ってしまう。その感覚すらも否定せずに、新しい家族のかたちを提示してくれる橋さんのお話から勇気をもらいました。

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