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日立製作所研究開発グループが実施するオンラインイベントシリーズ「協創の森ウェビナー」。第12回となる今回のテーマは、「ウェルビーイングとテクノロジー」。世界中で新型コロナウイルス感染症(COVID-19)によるパンデミックや気候危機など様々な問題が持ち上がり、人々の生活が大きな不安にさらされる中で、改めて「ウェルビーイング」に関心が集まっています。広い意味をもつウェルビーイングに対して、研究開発をする立場からどう捉えていけばよいのでしょうか。プログラム1では「ウェルビーイングを捉え直す」と題して、ウェルビーイングに関する検討のパートナーである株式会社インフォバーンから、取締役副社長の井登友一さんをお招きして、研究開発グループ ウェルビーイングプロジェクトリーダーの鹿志村香がお話を伺いました。

プログラム1「ウェルビーイングを捉え直す」
プログラム2「テクノロジー×ウェルビーイングから描く未来」
プログラム3「生涯QoL向上に向けた協創の最先端」

ウェルビーイングの根源は古代ギリシャの「ユーダイモニア」

鹿志村:
ウェルビーイングとは何か、その実現を企業の立場からめざすとき、私たちはどのようなことを考えていけばよいのか、井登さんとの対談を通して明らかにしたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

井登さん:
よろしくお願いいたします。

鹿志村:
まず始めに、「ウェルビーイングとは何か」を改めて考えてみたいと思います。「ウェルビーイング」を日本語に訳したとき、どのような言葉が充てられるかは文脈によって異なりますよね。たとえば厚生労働省の定義には「個人の権利や自己実現が保障され、身体的、精神的、社会的に良好な状態にあること」とあります。だとすると、ウェルビーイングは大昔から人類が理想としてきた状態だと言えます。

ただ、近年、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックで、世界中の人たちのウェルビーイングが脅かされています。改めてウェルビーイングの実現に関心が集まっていると感じています。

日本政府は2021年度の成長戦略実行計画で「一人一人の国民が結果的にウェルビーイングを実感できる社会の実現をめざす」と謳っています。当社も2022年4月に発表した2024年までの中期経営計画において、プラネタリーバウンダリーを超えないことと、人々のウェルビーイングの両立をめざしていく方針を設定しています。

画像: ウェルビーイングの根源は古代ギリシャの「ユーダイモニア」

ウェルビーイングは、幸福、健康、自己実現など、さまざまな要素を含む概念ですから、企業としてどのようなウェルビーイングをめざすべきかを考えるとき、まずはウェルビーイングの多角的、多義的な側面を理解した上で、どのようなアプローチで貢献し得るのかを考える必要があると思っています。

井登さんは、ウェルビーイングの多角的、多義的な側面について、歴史的な経緯も踏まえて、どのようにお考えですか。

井登さん:
ウェルビーイングは、ここ数年で日本でも注目を浴び、さまざまな専門家がウェルビーイングを学術的な観点から定義していますが、もう少し大きな観点で、過去に思いを馳せて考えてみたいと思います。古代ギリシャの哲学者であるアリストテレスは、人間の幸福感や幸福な状態のことを「ユーダイモニア※」という言葉で表現しています。これは「人それぞれの特質、自分の持ち味、個性、得意なことを存分に発揮しながら生活できる状態」と解釈できます。そういった歴史的な過程を踏まえ、私はウェルビーイングを「外から決められた幸せの尺度」ではなく、「それぞれが自分の良さを発揮し、みんながそれを認め合って助け合う状態」だと捉えています。

※ アリストテレスは、一時的な喜びや快楽を感じている状態「ヘドニア」(快楽的幸福)に対して、人が潜在能力を発揮し意義を感じている状態「ユーダイモニア」(持続的幸福)こそが最高の善であると説いた。

鹿志村:
ウェルビーイングという用語自体は新しい感じがしますが、その重要なコアの一つである「幸福」は、古代ギリシャのころから哲学で扱われてきた概念ですよね。ウェルビーイングについて考えるときには、歴史を振り返り、これまで検討されてきた内容をふまえて考えていくことも必要ですね。

画像: ウェルビーイングの根源は古代ギリシャに遡る、と井登さん

ウェルビーイングの根源は古代ギリシャに遡る、と井登さん

「自己選択感」と「協調的幸福」がウェルビーイング実現の鍵

鹿志村:
人々が幸福である状態、ウェルビーイングの実現をめざして、技術開発や活用の場面でどういったことに留意する必要があるのでしょうか。私たちはこれまで、社会デザイン研究者、ローカルベンチャー、哲学者など、さまざまな分野で活躍する社外の有識者の方々との対話を行いました。対話を経たいま、私たちが大切にしたいと考えている作業仮説が二つあります。

画像: 研究開発グループのウェルビーイングプロジェクトでは、ウェルビーイング実現のために大切にしたいことを二つの仮説としてまとめた

研究開発グループのウェルビーイングプロジェクトでは、ウェルビーイング実現のために大切にしたいことを二つの仮説としてまとめた

一つ目は「自分の行動について、自分が選んでいると思えること」です。私たちの生活には「今日の晩御飯は何を食べよう」という日常的なことから、「キャリア目標をどうするか」といった重要な決断まで、自己決定する局面はたくさんあります。自分では思いつかなかった選択肢や、これまで気づかなかった可能性を発見しながら、最終的に自己決定につながっていれば嬉しいのではないかと思うんです。また、自己決定していれば、困難に直面したとしても立ち向かうモチベーションが湧くでしょうし、結果的に「これを選んで良かった」という満足感にもつながるでしょう。

二つ目は「自分の行動が自分のためだけではないと感じられること」です。近年、文化心理学の研究で「協調的幸福」という概念が注目されています。文化の観点から日本の幸福感をとらえようとした時に、個人の幸せが他者の幸福を搾取することなく、協調的に成立するということを重要と感じる人が増えていることを示唆しています。

幸福はウェルビーイングを構成する重要な要素ですが、私たちは「人と競争して自分の欲しいものを勝ち取るよりも、自分の行いを通じて周りの人々にも利益をもたらすと感じられることがウェルビーイングを考える上で重要なポイントである」と考えています。

井登さん:
昨今ウェルビーイングが注目されている裏を返すと、「現状はウェルビーイングではない」という問題意識があるからだと思うんです。「幸福ではない」、「幸福を感じづらい」など体感的なものや、金銭など数値で可視化できる不満があるからこそ「ウェルビーイングをめざそう」という風潮が起こっているのだと思います。

アリストテレスは「人それぞれが特性や特質を生かして共同体を作るのが幸福」と言っていましたが、歴史が進み、「個人主義」や「合理主義」といった近代的な考えが生まれて現在に至っています。個人主義化が進むと、あらゆるものが客観的に決められ、合理的な判断が可能になります。その一方で、そうしてすべてが個人に閉じていくことに、人々がしんどくなっているのだと思います。これらを打破していくための手段としてウェルビーイングが評価されているとするならば、懐古主義ではなく概念的な感覚で、古代ギリシャの頃のような理想的な共同体や、それぞれが特性を生かした時代に、少し戻ってきているのではと感じています。

画像: 個人主義を中心とした近代の理論に、人々がしんどさを感じ始めている、と井登さん

個人主義を中心とした近代の理論に、人々がしんどさを感じ始めている、と井登さん

最初に挙げていただいた「自分で選べていると思えること」についても、裏を返せば「選べない現状にある」、もしくは「選べる人ばかりではない」ということでしょう。近代は個人主義的なので「自分で頑張りなさい」、「頑張った人には報いがある」と言われますし、乱暴な言い方をすれば「頑張れなかった人には報いはない」ということになります。もちろん努力は必要ですが、生い立ちや、生まれた国や地域、社会の状況など、頑張ることすら許されていない人たちも存在しています。

近代的な時代の流れの中で「潜在能力を発揮するチャンスが奪われている」とするならば、誰もが潜在能力や潜在的なものを許容されている状態にすることが、これから重要になってくる、もしくはそれをしないと、人々が抱える課題を打開できないのではないでしょうか。

もう一点の「誰かのために何かをしてあげること自体が自分の幸福になる」ということですが、これは近代において共同体が否定され、個人に閉じていった価値観を、みんながそれぞれに疑問視しているということではないかと感じました。かつてはあった「それぞれが助け合って共同体をつくっていく」「自分の良い状態は、共同体によって成り立っている」ということを、もう一度問い直していく必要があると思います。

他人の幸福に目配りしながら自分の幸福を見つめ直す

鹿志村:
もう少し、私たちの二つの仮説について議論を深めていきたいと思います。

「自分の行動について自分が選んでいると思えること」について、ミシガン大学の政治学者ロナルド・イングルハートが、世界52カ国で実施した世界価値観調査の結果(2008年発表)がよく知られています。この調査によると「自らの意志で選択することができているという感覚」、原文では「sense of free choice」と記されていますが、その感覚が増していくと主観的ウェルビーイングも向上するという結果がほとんどの国や地域で得られており、両者の相関は0.71と非常に高いことが示されています。

こうした調査結果を見ると、人間はウェルビーイングな状態にあるというだけではなく、ウェルビーイングな状態へ自らを導くための選択肢に対して開かれていて、なおかつそれを選び取るための選択多様性や選択可能性を求めていると感じられます。

画像: コロナ禍を機に人の幸福観が変化しているのでは、と語る鹿志村

コロナ禍を機に人の幸福観が変化しているのでは、と語る鹿志村

次に「自分の行動が自分のためだけでないと感じられること」についてですが、私たちが仕事の中で出会ったエピソードをご紹介します。

ある鉄道会社で、車両の混雑緩和のための施策として、混雑のピーク時間帯に駅周辺の喫茶店の割引クーポンを配り、乗客に利用してもらって乗車時間をずらしてもらおうと企画しました。そして、このアイディアについて利用者にインタビュー調査を行なったところ、「割引クーポンを貰っても喫茶店に立ち寄る気はしないが、コロナ禍で経営難になっている地場の喫茶店を助けるためなら利用したい」という意見が寄せられました。これに私は驚いたんです。自分の得ではなく、お店を助けることに対し満足を感じている人がいる。コロナ禍という生活が一変してしまうような危機に直面したことで、他人の幸福に目配りをしながら、自分の幸福を見つめ直していこうとする動きが強まっているように見えます。このようなウェルビーイングのあり方について、井登さんは、どのようにお考えでしょうか。

主客を分離しない「間主観的」なウェルビーイングへ

井登さん:
調査の中で出てきた「主観的ウェルビーイング」という観点は面白いですね。鉄道会社のエピソードにもあったように、自分だけが割引券で得をするのではなく、周りも良い状態になっていないと孤立してしまい、意味がないと考えるようになったりしているのではないでしょうか。

個人が経済的に得をすることは当然必要なことです。しかし人間は自分だけで存在しているわけではありません。ご近所付き合いとか会社とか世の中といった社会の中で自分という存在が作られているとも言えます。自分だけが分断されて良い状態になっても、周りもそれに関連して良くなってないと、結果的に自分の中で完結して、孤立していってしまう。

ネットワーク社会の到来で、自分が置かれている世の中が可視化されるようになったいま、主観的ウェルビーイングを高めていくということは、分断された自分勝手なウェルビーイングを高めていくということだけでありません。周りとの関係性の中で、主客を分離せず、主観でも客観でもなく間主観的に「主観的ウェルビーイング」を確立させていく。自分だけでなく、周囲のさまざまなことが関連して良い状態になっていくことで初めて自分自身の主観的ウェルビーイングが高まるという観点が必要なのではないでしょうか。

鹿志村:
ありがとうございます。ウェルビーイングという広範な概念を咀嚼するにあたり、まずは一つの出発点として、本日ご紹介した「自分の行動について、自分が選んでいると思えること」「自分のためだけでないと感じられること」を主軸に技術製品サービスの開発の拠り所としていくことで、ウェルビーイングに資する事業へとつなげていきたいと考えています。

画像: ウェルビーイングの概念を解きほぐした二人の対話。歴史的な経緯や事例をもとに活発なやりとりが交わされた

ウェルビーイングの概念を解きほぐした二人の対話。歴史的な経緯や事例をもとに活発なやりとりが交わされた

画像1: 古代ギリシャの幸福観から考える、現代のウェルビーイング|協創の森ウェビナー第12回 「ウェルビーイングとテクノロジー」プログラム1「ウェルビーイングを捉え直す」

井登友一
株式会社インフォバーン 取締役副社長/デザインストラテジスト

2000年前後から人間中心デザイン、UXデザインを中心としたデザイン実務家としてのキャリアを開始する。近年では、多様な領域における製品・サービスやビジネスをサービスデザインのアプローチを通してホリスティックにデザインする実務活動を行っている。また、デザイン教育およびデザイン研究の活動にも注力しており、関西の大学を中心に教鞭をとりつつ、京都大学経営管理大学院博士後期課程に在籍し、イノベーションとデザインについて学術的な観点から研究を行っている。

HCD-Net(特定非営利活動法人 人間中心設計推進機構)副理事長

近著として2022年7月に『サービスデザイン思考 ―「モノづくりから、コトづくりへ」をこえて』(NTT出版)を出版。

画像2: 古代ギリシャの幸福観から考える、現代のウェルビーイング|協創の森ウェビナー第12回 「ウェルビーイングとテクノロジー」プログラム1「ウェルビーイングを捉え直す」

鹿志村香
日立製作所専門理事研究開発グループ技師長(Corporate Chief Researcher)
兼 ウェルビーイングプロジェクトリーダー

1990年日立製作所入社、デザイン研究所配属。カーナビゲーションシステム、券売機などさまざまな製品のユーザビリティ研究、フィールドワークによるユーザーエクスペリエンス向上の研究に従事。デザイン本部長、東京社会イノベーション協創センタ長を経て、2018年日立アプライアンス(現日立グローバルライフソリューションズ)取締役を務め、2022年4月より現職。

プログラム1「ウェルビーイングを捉え直す」
プログラム2「テクノロジー×ウェルビーイングから描く未来」
プログラム3「生涯QoL向上に向けた協創の最先端」

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