[Vol.1] 土手の桜と湿地のビーバー
[Vol.2] 桜の進化は何をもたらすか
[Vol.3] 多様な生態系が未来をひらく
進化論から見る生物の世界
西出:
ピアースさんはなぜ、進化の研究を始めたのですか?
ピアースさん:
進化が全てをつなげているからです。「生物学においては進化の光を当てなければ何も意味をなさない」(*)という言葉がよく引用されます。進化は生命を生み出したものであり、生命を理解したいなら進化を理解しなければなりません。
* ウクライナ生まれのアメリカの遺伝学者テオドシウス・ドブジャンスキーが1973年に発表した有名なエッセイ"Nothing in Biology Makes Sense Except in the Light of Evolution"に由来。
西出:
ダーウィンやウォレスは、イギリスの有名な生物学者ですが、今でも影響力があるのですか?
ピアースさん:
はい。ダーウィンとウォレスは生物学の基礎となる理論を生み出しました。彼らが進化の概念を提唱するまでは、本当の意味での生物学者は存在しなかったのです。ただ物事を観察し、見たことを書き留めているだけでした。進化論は、物理学における数学と同じ役割を果たします。数学がなければ、物理学は、ただ物を落として「おっ、下に落ちた」と言うだけのものですから。
進化論があってこそ、生物に関する物事がどのようにつながっているのかを把握できます。つまり、一つの生物種が新しい環境に入って分化し、生態系を形成する過程を理解できるのです。
森本:
ダーウィンとウォレスの仮説をもう少し詳しくご説明いただけますか?
ピアースさん:
ダーウィンとウォレスは、「自然選択」(*)という驚くべきアイデアを思いつきました。進化の原動力となるものです。動物や植物にはさまざまな個体差があり、その中で環境によく適応している個体はたくさんの子孫を残し、その子孫もまた環境によく適応します。一方、環境にあまり適応していない個体はそれほど多くの子孫を残せず、場合によっては死んでしまいます。つまり、個体間の適応度に差がある状況で、自然選択が起こります。
* 日本では「自然淘汰」が一般的だが、本記事では原語のnatural selectionに従って「自然選択」を使用。
テイラー:
自然選択を引き起こしているのは、環境と相互作用する物理的な特徴ですか? たとえば、より長いくちばしとか、より長い足といった特徴でしょうか?
ピアースさん:
良い質問ですね。自然選択には、生理学的な特徴や行動など、あらゆる種類の特徴が関わっていますが、最もよく話題になるのは物理的な特徴です。ガラパゴス諸島でダーウィンが発見した「ダーウィンフィンチ」という鳥が良い例です。ダーウィンが亡くなってからの話ですが、1970年代と90年代にガラパゴス諸島で干ばつが起こりました。そのとき、ダーウィンフィンチのくちばしの大きさが「自然選択」により変化したことがリアルタイムで観察されたのです。干ばつによって、ダーウィンフィンチの食物となる種子の種類が変わりました。その結果、生き残った種子を上手に食べられるように、ダーウィンフィンチのくちばしの大きさも変化したのです。

進化生態学について研究しているウィル・ピアースさん
桜の開花と気温の驚きの相関
西出:
ピアースさんは、研究の中で、東アジアに広く分布する桜の開花時期と平均気温の関係を解析していますね。
ピアースさん:
はい。100年以上にわたって継続的に記録されたデータを扱う機会に恵まれたのは幸運でした。このデータは、桜だけでなく他の植物や動物も含んでいます。本当に驚くべき成果です。生態学という学問自体が100年あまりの歴史しかないのに、標準化された測定を日本全国で100年以上続けてきた先見の明と努力には頭が下がります。
私たちが非常に驚いたのは、その年の気温と桜の開花日との相関関係です。あまりにも強い関係性だったので、何か間違っているに違いないと思い、論文を投稿するまでに時間がかかりました。なにしろ、これほど密接な相関関係を見たことがなかったのです。
森本:
確かに、桜の開花が以前より早くなったことを実感しています。私たちが子どものころ、桜は4月の入学式を祝う花でした。日本の学校は4月に始まって3月に終わるので、桜とともに学校生活がスタートしたのです。それが今では桜が3月に咲き、学校生活をしめくくる卒業式を彩る花になりました。
ピアースさん:
問題は、データセットで解析した全ての植物が、少しずつ異なる速度で気温の変化に反応していることです。つまり、生態系の中で、植物の開花の順序が変化しているのです。
桜の開花時期が変化しても、人間にとっては、学校行事と一緒に使えなくなるだけなので、何とかなるでしょう。しかし、桜に直接的、間接的に依存している昆虫や鳥などには壊滅的な影響を与える可能性があります。生物種のコミュニティの再編成と、その生き物たちがどのように協働するかについて、注意を払う必要があります。なぜなら、私たちにとって、生態系による炭素の隔離や、食用の植物を育てるための花粉の媒介者はとても重要だからです。
これほど密接な相関関係が、植物種ごとに異なる速度で進行しているのを見ると、少し心配になります。まるで、高速道路で全員が異なるスピードで運転することに決めたようなもので、多くの問題を引き起こす可能性があります。

日立ヨーロッパ社で脱炭素に向けた研究に携わる森本義謙
早まる桜前線の意味
西出:
桜の開花が早まっている理由を、進化論で説明すると、どのように言えるのでしょうか?
ピアースさん:
桜の開花が早まっているのは、成長に適した資源を得られるタイミングで花を咲かせるように進化してきたからです。桜は、十分に暖かくなったときに花を咲かせ、可能な限り成長したいのです。より成長すれば、より多くの子孫を残せるからです。
そのため、特定の気候や気象条件という引き金に反応して開花するように、桜は進化してきました。それが生存と繁栄に貢献する方法なのです。問題は、私たち人間を含め、桜に依存して生きてきた他の生き物たちが、異なる引き金に合わせて進化してきたことです。
テイラー:
桜は光や気温を感じることができるのですか?
ピアースさん:
その分野には先人たちの膨大な研究があるので、少し注意して発言する必要がありますが、おそらく複数の要因が組み合わさっているのでしょう。一つは、一日の長さがどれくらいかという「日長」です。気温も一種の引き金になりますが、それだけでなく、特定の気温が続いた日数の蓄積も関係しています。つまり、ある一日の気温だけでなく、たとえば、10度以上の気温が何日間続いたかという蓄積的な要因が影響している可能性があります。
西出:
そういった反応は、変化する環境への適応から来ているのでしょうか。木の一生を考えて、たとえば、木が100年生きるとすると、ここ30年に起きた変化は、短い期間の現象ですよね。そのような期間の変化についても、進化論で説明できるのでしょうか。
ピアースさん:
良い指摘ですね。進化は全て次の世代に関するものです。つまり、進化が植物の反応の仕方を形づくってきたのです。特にダーウィンが発見した自然選択は、適応していない個体を取り除くプロセスです。適切な気候条件に敏感でない個体は死滅し、子孫を残せないということになります。
桜の木は、環境に対して適切に反応するように微調整されています。進化は、毎年3月1日に花を咲かせるよう、桜の木に指示したわけではなく、日長や気温に合わせて調整された桜の木を生み出しました。桜に柔軟性を与えたのです。
ですから、気候変動によって条件が変化すれば、桜の木が毎年異なる時期に花を咲かせるのは自然なことです。これは適応的であり、桜の生存と繁栄にとって有利です。つまり、桜の木が気温の変化に敏感に反応しているのは、過去の進化が桜に適応能力を与えたからなのです。

座談会が開かれたインペリアル・カレッジ・ロンドンのSilwood parkには豊かな緑がある
――次回のテーマは「多様な生態系の回復」です。なぜ、生物多様性を維持・回復することが不可欠なのでしょうか? 自然と共生し、周囲の環境を手入れすることで多様な生態系を維持してきた先人の文化に学びつつ、生物多様性の危機に対処するために何ができるかを模索します。
取材協力/インペリアル・カレッジ・ロンドン
関連リンク
![画像1: [Vol.2] 桜の進化は何をもたらすか|イギリスの進化生態学者に聞く「生物多様性と文化」](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783605/rc/2025/02/13/667bfd7197cfb02934b6a18f46a5a88bb66ef18b.jpg)
Will Pearse(ウィル・ピアース)
インペリアル・カレッジ・ロンドン 進化生態学准教授
ピアース博士の研究室では、生物多様性と人間の健康を測定・予測する新しいツールを開発し、社会的変化を後押しする。研究の重点分野は、種の進化の歴史が現在の種の相互作用にどのように影響するかを理解するための新しい計算方法の開発。研究から得られた知見を応用して自然と人間の幸福を下支えすべく、日立などの企業や、進化的に独特で絶滅の危機にある種(Evolutionary Distinct and Globally Endangered;EDGE)の保全プログラムに関わる慈善団体と協働して取り組む。
![画像2: [Vol.2] 桜の進化は何をもたらすか|イギリスの進化生態学者に聞く「生物多様性と文化」](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783605/rc/2025/02/13/917b6266fb7ee86f17118259a426933f15c71fe6.jpg)
Paul Taylor(ポール・テイラー)
Laboratory Manager, Sustainability, European Research and Development, Hitachi
環境科学専攻。環境調査における測定の質と誤分類エラーに伴うリスクを評価する統計モデルの開発により博士号を取得。企業のサステナビリティ専門家として、製品やサプライチェーンの炭素会計、電気自動車に使用される金属の責任ある調達、鉱業における技術革新など、幅広い業界やサステナビリティのテーマに携わり、2022年より日立に参画。日立では、CO2排出量の削減、バッテリーのライフサイクル影響の改善、気候変動への適応のための自然の保護と活用など、サステナビリティに関する未来技術のイノベーションに取り組む。
![画像3: [Vol.2] 桜の進化は何をもたらすか|イギリスの進化生態学者に聞く「生物多様性と文化」](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783605/rc/2025/02/13/f3b3a50b47a81a43671ec3ca78469387cd45cbea.jpg)
西出 聡悟
HITACHI EUROPE LTD. UK-ERD European R&D Centre
Chief Researcher
日立ヨーロッパ社の主任研究者として、生物多様性に関する監視、報告、検証の指標と、複雑系としての生態系の経済的価値を評価するモデルの開発に取り組む。凝集系物理学専攻。2010年、日立製作所入社、研究開発に参画。熱電材料の電気状態における準粒子の影響の研究により博士号取得。2019年にドイツ、MaxPlanck研究所在籍中に複雑系の研究を開始。
![画像4: [Vol.2] 桜の進化は何をもたらすか|イギリスの進化生態学者に聞く「生物多様性と文化」](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783605/rc/2025/02/13/10d57079202888f28ef6940828dc6bf0bdc561fb.jpg)
森本 義謙
HITACHI EUROPE LTD. UK-ERD European R&D Centre
Deputy Laboratory Manager of Sustainability Laboratory
電気電子工学博士課程修了。2011年に日立製作所入社。2.5次元半導体積層における欠陥検出など、光学的測定技術の研究開発に携わる。MBA取得後、日立ヨーロッパ社R&Dセンターに出向。現在、ガスの輸送・分配分野の脱炭素化に向けて、水素技術における顧客との共創に取り組む。
[Vol.1] 土手の桜と湿地のビーバー
[Vol.2] 桜の進化は何をもたらすか
[Vol.3] 多様な生態系が未来をひらく