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製造現場、物流、医療など、さまざまな業界の最前線で頭脳と肉体を駆使して働くフロントラインワーカー。人手不足が深刻化する中で、熟練者の技能をいかに継承していくかが課題となっていますが、伝統工芸の世界も同様です。岩手県盛岡市の南部鉄器職人・田山貴紘さんは、熟練職人の「暗黙知」を言語化し、AIを活用することで、若手職人の育成期間を大幅に短縮することに挑んでいます。今回は、その革新的な取り組みを手がかりに、テクノロジーを活用した効率的な技能伝承の可能性と、それによるフロントラインワーカーのウェルビーイング向上について、日立製作所 研究開発グループ 技師⻑ 兼 ウェルビーイングプロジェクトリーダの鹿志村香、先端 AI イノベーションセンタの松本茂紀、秋山高行と田山さんが議論しました。

父のもとで修行しながら「暗黙知」を可視化

鹿志村:
さまざまな現場でフロントラインワーカーの不足が表面化する中で、日立はデータとテクノロジーの活用によって、効率的な技能伝承とフロントラインワーカーのウェルビーイング向上を両立させたいと考えて、研究を進めています。田山さんは、健康食品メーカーの営業職を経験した後、南部鉄器という伝統工芸の職人になり、現在はAIを活用した技能伝承に取り組んでいるということですが、どんな問題意識があったのでしょうか。

田山さん:
僕が南部鉄器の世界に入ったのは、2013年です。その当時、伝統工芸の業界は売上規模が30年間で8割も減少している斜陽産業で、技能伝承や後継者育成の課題がありました。その解決のために、まず自分を実験台にして「自ら職人を育成してみよう」という視点で、南部鉄器の職人だった父のもとで修行しました。

鹿志村:
田山さんはその後、AIを活用して、熟練の職人が持っている技能を若手の職人に伝承するシステムを作ったということですが、そのために必要な知識や経験を、この修行期間に身につけたのでしょうか。

田山さん:
そうですね。僕の父は約60年のキャリアがあるのですが、その技能は「丁稚奉公」というOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)によって身につけたものです。OJTを繰り返すことで、職人に必要な暗黙知を徐々に習得していきました。父は半世紀以上も、ディープラーニング(深層学習)みたいなことをやってきたわけです。その従来型の育成モデルを知らないと改善できないし、そこにテクノロジーを導入することもできない。そう考えて、職人の修行に取り組みました。

鹿志村:
師匠の背中を見て学ぶという伝統的な技能伝承の形式を、まずは自ら経験したということですね。そのときに気づいたことはありますか。

田山さん:
例えば、鉄器の鋳型(いがた)を作るとき、少し湿り気がある砂を使うのですが、その状態を「重い、軽い」「強い、弱い」といった言葉で表現します。その背景に何があるのかということをひも解いていったら、莫大な知識や経験の蓄積があったんですね。そのビッグデータは、熟練者の頭の中である程度、体系的に整理されている。そんなことを、2年くらいかけて学びました。

鹿志村:
お父さんにいろいろ質問して、教えてもらったということですか。

田山さん:
そうですね。

鹿志村:
でも、普通だと、伝統工芸の師匠にいろいろ質問するのは難しいですよね。

田山さん:
一般的にはそうでしょう。その理由の一つとして、職人の多くは、初心者にわかりやすく説明できるような「言語」を持ち合わせていないというのがあります。「答えられないから聞くな」ということです。しかし僕の父は、自分なりに体系的に技術や知恵をまとめており、言語化ができる人だったので、聞くと答えが返ってきます。そこで、僕が父に質問しながら、暗黙知を形式知に変えて、可視化していきました。

画像: 伝統工芸とAIの融合を試みる南部鉄器の職人・田山貴紘さん

伝統工芸とAIの融合を試みる南部鉄器の職人・田山貴紘さん

「職人が辞めると品質が落ちる」という悩み

松本:
田山さんの話をうかがって、私が日立の化学材料部門にいたときに体験したことと非常に近いなと思いました。例えば、熟練の技術者は、硬化させる前の液体材料の成分を見ただけで「ちょっと硬いな」などと言います。まだ液体状態なのに「硬い」とはどういうことなのか、説明が感覚的で初めは理解できませんでした。その後、自分なりに理由を考えて「こういうことだから硬いということですか?」と聞くと、「その考え方は正しいよ」と答えてくれる。熟練の技術者にとっては当たり前のことだから感覚的に仕事しているように見えて、材料の性質を体系的に理解しているんですよね。

田山さん:
松本さんは、どんな研究をしているんですか。

松本:
日立がこれまで取り組んできたものづくりの発想を生かして、さまざまな現場のナレッジを体系的に整理するフレームワークやデータ構造と、それらを活用して組織改革を支援するAI技術を研究しています。一つ一つの物事には必ず何らかの因果関係があって、ロジカルに順序立てて説明できるはずだ。そんな発想から、できるだけ多くの現場で利用できる汎用的な仕組みを構築して、デジタルやAIの活用に繋げられないかと考えています。

田山さん:
僕の父の視点と似ていますね。父の工房では、職人が辞めて別の人に代わると品質が落ちる、という悩みがあったそうです。それを解決するため、誰もがある程度の作業をできるようになるにはどうしたらいいか、ずっと考えていた。それが、父の頭の中の体系化につながっているようなのです。

例えば、父は職人に対して、道具の持ち方まで細かく指示します。その背景には「こう持つとうまくできる」という理由がちゃんとあるのですが、全て説明している時間がないので、実際は作業を繰り返しながら「型」を覚えてもらう方法をとっています。このあたりをテクノロジーでサポートできれば、すごくいいだろうなと思います。

画像: 現場のナレッジの体系化に関心をもつ松本茂紀

現場のナレッジの体系化に関心をもつ松本茂紀

体で覚えて、頭で理解する「技の習得法」

秋山:
職人の作業については、上手いか下手かといった「技」の情報もあるのではないかと思います。人が代わったときに品質が落ちないようにするために、技の情報をどのようにデータ化して、継承していこうとしているのでしょうか。

田山さん:
その点は、まだデータ化できていないですね。我々が現在使っているAIでは、言語として整理できたことについて、キーワードで確認して理解するぐらいしかできていません。今後、ロボティクスなどが発達していけば、力の入れ具合といった感覚的な要素もAIに取り込めるようになるかもしれませんが、まだ難しいですね。今は自転車の乗り方を覚えるのと同じように「道具の使い方を見て、そのまま覚えて、マネをする」というOJTを繰り返すことで、技を覚えてもらっています。

鹿志村:
確かに、自転車に乗れるようになるには「身体で覚える」というプロセスが必要だと思います。でも、自転車が動く仕組みを理解することで、より早く乗れるようになる可能性もありますよね。

田山さん:
そう思います。これまでの伝統工芸はOJTで技能を覚えて、暗黙知を継承してきましたが、言語がないと伝わる情報量が少ないんですよね。僕の場合は、父が言語を持ち合わせていたので、比較的早く技能を学ぶことができたし、その背景にあるデータも引き出すことができました。

さらに、技能について体系的に理解できていると、トラブルが起きたときに、ちゃんと対応できるんですね。技能の機序(メカニズム)を理解することと、OJTで技能を身につけることは、両方とも大事なんだろうと思います。

画像: フロントラインワーカーのウェルビーイングを考える鹿志村香

フロントラインワーカーのウェルビーイングを考える鹿志村香

テクノロジーで「守破離」の高速化をめざす

秋山:
もう一つ、自転車の比喩でいうと、単に自転車に乗れるというレベルから競輪選手になれるレベルまで、さまざまな段階があると思います。伝統工芸の職人といえば、競輪選手並みのスキルが必要なものもあると思うのですが、そこに到達できるのは一握りの人なのか、それとも、スキルが標準化されれば誰でも職人になれるのか、どちらでしょうか。

田山さん:
僕の考えでは、一般的な職人が持っているレベルの技能であれば、たぶん誰でも習得できると思います。父もおそらく同様の発想のもとに、技能の体系を整理しています。しかし、それより先のレベル、例えば、アートといわれるレベルまでいくと、それを支える思想が求められたり、新しい技術的な要請が出てきたりするので、また違った領域になってくるでしょう。

技能の習得に関して「守破離(※)」という言葉がありますが、我々が取り組んでいるのは「守」の部分を高速化しようということです。これまでの伝統工芸では「守」に30年かけてきましたが、これを10年以内にできれば、その先を積み上げていく時間的な猶予が生まれます。「守」から「破」、そして「離」へと進む人をどんどん増やしていければ、「業界として面白いね」「工芸品も多様性があるね」と言われるようになっていくと考えています。

※守破離(しゅはり)…日本の武道や茶道、芸能などの修行の過程を3段階で表した言葉。師匠に教わった型を徹底的に「守る」ことから始め、続いて、他の良い教えも取り入れて型を「破る」ことを試み、さらに型から「離れる」ことで自分独自のものを生み出していく、という成長のプロセスを表現している。

松本:
テクノロジーを使って、伝統工芸の技能を短期間で覚えられるとすれば、全く別のフィールドの知識を持った人がこの世界に入りやすくなりそうです。そういう伝統工芸以外の知識は、オリジナリティを発揮しようとするときのアドバンテージになったり、多様性が生まれるきっかけになったりするのではないでしょうか。

田山さん:
まさにそうだと思います。僕の父の時代は15歳ぐらいから修行して、40代、50代で一人前とされていましたが、価値観が多様化した今の社会では、人生の途中で伝統工芸の世界に入ってくる人もいます。そういう人が最短で型を学べると、前の仕事の経験を生かして、伝統工芸に多様性をもたらしていけるでしょう。また、いろいろな経験をしてから技能の習得を始めたほうが、吸収できる情報量が多いと感じています。そういう意味でも、これまでと違った職人像が生まれつつあるのではないかと思います。

松本:
テクノロジーを活用することで、伝統工芸の世界ももっと進化していけるのではないか、というワクワク感がありますね。

画像: フロントラインワーカーのAI活用を研究する秋山高行はリモートで参加した

フロントラインワーカーのAI活用を研究する秋山高行はリモートで参加した

――次回は、南部鉄器の技能伝承におけるAI活用の具体的な取り組みに迫ります。田山さんの工房が利用しているAIシステムは、熟練職人の思考プロセスをどのように可視化し、若手職人の育成に活かしているのでしょうか。日立製作所が開発中のメタバースを活用したAIアシスタントとの共通点にも触れながら、AIと人が協調する新しい技能伝承の可能性について議論します。

取材協力/kanakeno shop&gallery SUNABA

画像1: [Vol.1] 熟練職人の頭脳をAIが解き明かす|フロントラインワーカーの技能伝承とテクノロジー

田山 貴紘
タヤマスタジオ代表取締役/南部鉄器職人

1983 年生まれ、岩手県盛岡市出身。東日本大震災を機に東京からUターン。2013 年南部鉄器職人として田山和康に師事、同年タヤマスタジオ(株)を設立。2017 年丁寧を育む鉄瓶ブランド「kanakeno」をリリースし、国内外への南部鉄瓶の販売、南部鉄瓶のアップデートに取り組む。同ブランドでは市⺠と学ぶ講座「てつびんの学校」、新しい鉄瓶ショールーム「engawa」、持続可能な若手職人育成の仕組み「あかいりんごプロジェクト」などを実施。

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鹿志村 香
日立製作所 研究開発グループ 技師⻑ 兼ウェルビーイングプロジェクトリーダ

1990 年日立製作所入社、デザイン研究所配属。ユーザーリサーチによる製品・サービスのユーザビリティおよびエクスペリエンス向上の研究に従事。デザイン本部⻑、東京社会イノベーション協創センタ⻑を経て、2018 年日立アプライアンス(現日立グローバルライフソリューションズ)取締役を務め、2022 年 4 月より現職。

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松本 茂紀
日立製作所 研究開発グループ 先端 AI イノベーションセンタ
データサイエンスラボラトリ リーダ主任研究員

2012年日立製作所入社。入社当時は機械研究所に所属し、冷凍空調機の潤滑に関する研究に従事しモノづくりのDNAを学ぶ。その後、日立化成(現 (株)レゾナック・ホールディングス)に出向し電子部品向け材料を中心にデジタルによる材料設計・開発に従事。更に開発現場の知識やデータとIT技術融合の研究部隊立ち上げを経験。この経験を活かし、2020年設立したLumada Data Science Laboratoryにデータサイエンティストとして着任し、様々な顧客のDX案件に参画。物流業界をはじめとする、現場とデータを繋ぐAI技術の研究開発に携わってきた。

画像4: [Vol.1] 熟練職人の頭脳をAIが解き明かす|フロントラインワーカーの技能伝承とテクノロジー

秋山 高行
日立製作所 研究開発グループ 先端 AI イノベーションセンタ
知能ビジョン研究部 リーダ主任研究員

2008 年、日立製作所入社。入社後、ウェアラブルデバイスを活用した機械学習と AI による作業支援、屋内測位技術、ITS(高度道路交通システム)の研究に携わり、2017-2018 年に日立製作所 公共システム事業部で SE 業務を経験、2021-2023年に日立ヨーロッパ社研究開発センタにてドイツ人工知能研究センタ(DFKI)との共同研究に従事した後、2024年8月より現職、メタバースおよびウェアラブルセンサを活用したAIアシスタントの研究に従事。

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