「Nature」でつながる文字と科学
谷垣:
科学学術誌の「Nature」は、私たち研究者にとって身近なメディアです。その日本版で、鈴木さんが開発したフォント(書体)が使われているそうですね。
鈴木さん:
AXISフォントのことですね。その名前が示すように、もともとは「AXIS」というデザイン誌のために作ったフォントですが、それにとどまらず、さまざまな場所で使われています。Natureもそのうちの一つということになります。

異分野の二人が東京都内の古民家カフェで対談した
谷垣:
Natureで採用されたのは、なにか理由があるのでしょうか。
鈴木さん:
AXISフォントは、フラットでニュートラル、別の言葉でいうと、風通しのいい、すっきりした書体です。そして、日本語と英語が混じっている文章の中でも、違和感がなく読めるように工夫されています。そんな特徴が、国際的な科学雑誌で、普遍性や中立性が重視されるNatureと、相性が良いと判断されたのだろうと思います。そのNatureに昨年、谷垣さんの論文が載ったんですよね。
谷垣:
私は、世界最高クラスの分解能をもつホログラフィー電子顕微鏡で、さまざまな物質の原子レベルの空間を観察して、その構造や電場・磁場の動きを解明する研究をしています。電場や磁場というのは、電流や磁石の周りに生じる電気力や磁気力の空間のことで、物質の働きを理解するカギとなります。
最近は、0.47ナノメートルという非常に小さなサイズで、原子が規則的に並んでいる面(格子面)の磁場の向きを観察することに成功しました。その成果をまとめた論文が2024年7月、Natureに掲載されました。
鈴木さん:
Natureに論文が掲載されるのは、研究者にとって大きな業績なんですよね。

Natureにも採用された「AXISフォント」を開発した鈴木功さん
谷垣:
研究にもいろいろありますが、私のように基礎研究の分野で、新しい発見をめざすブレイクスルー研究に取り組むのであれば、Natureに論文が掲載されるのは、非常に栄誉なことだと思っています。
配列と空間を見つめる仕事
鈴木さん:
それにしても「0.47ナノメートル」というのは、想像もできない小ささです。
谷垣:
1ナノメートルは、1メートルの10億分の1ですから、それよりも小さいですね。そんな原子レベルの世界を、最先端の電子顕微鏡でのぞいているわけです。
鈴木さん:
正確に理解するのは難しいですが、原子の並び方を見たり調べたりするというのは、フォントを作る仕事と共通する点もあるのかもしれないと思いました。フォントのデザイナーは、文字の並び方に関心をもち、その構造や配列を考える仕事といえるからです。
谷垣:
配列に注目するのは、たしかに似ているかもしれませんね。我々は、いろいろな試料(観察の対象として使う物質)の空間を見たりするんですが、文字のデザインの世界でも、隙間の部分が実は大事ということがあるんでしょうか。
鈴木さん:
その通りです。普通は文字の本体だけを見て、その形に注目するでしょうが、フォントのデザイナーは文字の背景にある空白がどんな雰囲気として立ち上がってくるか、ということをすごく重視しています。
谷垣:
文字そのものの配列に加えて、文字が置かれている空間全体を見て、デザインしていくということですね。鈴木さんは、そんなフォントデザインの仕事を30年以上、続けている、と。
鈴木さん:
僕は1993年にアドビシステムズ(現アドビ)というソフトウェア開発の会社に入って、フォントのデザイナーになりました。7年後に独立して、作ったのがAXISフォントです。かつて新聞などの紙媒体が生まれたころ、新聞ごとにオリジナルの書体が作られました。ならばデジタルの時代でも、媒体専用の書体があったら面白いんじゃないかと考えて、AXISという雑誌にフォント開発の企画を持ちかけたんです。
谷垣:
すごい行動力ですね。

AXISフォントには、さまざまなバリエーションがある
鈴木さん:
AXISフォントには、書体ファミリーといって、細かいバリエーションがいくつもあります。30代の10年間は、その書体ファミリーを少しずつ増やしていくことに向き合っていました。その後、TP明朝やTPスカイといった独自のフォントを開発したり、コーポレートフォントや都市フォントを作ったりしてきました。
谷垣:
コーポレートフォントや都市フォントというのは、どんなフォントですか。
鈴木さん:
コーポレートフォントは、企業の歴史と文化にもとづいたフォントで、企業の特徴に合わせて、文字の太さや幅、角のラウンド(丸み)を調整していきます。都市フォントというのは、それぞれの都市の個性を反映したフォントです。例えば、名古屋市の「金シャチフォント」は、プチゴージャスというコンセプトで、ちょっと派手な飾りが文字についています。

名古屋市の「金シャチフォント」は名古屋城や金のシャチホコをイメージしてデザインされた
20歳のころに見つけた「進むべき道」
谷垣:
フォントのデザイナーになりたいと思うきっかけは、なにかあったのですか。
鈴木さん:
絵を描くのが好きで大学は美大に進んだのですが、3年生のとき、デザイン科の同じクラスに中国からの留学生がいたんです。日本語が流暢で、デザインも大好きだったので、仲良くなって、いろいろな話をしました。その中に漢字の話題もありました。日本と中国はどちらも漢字を使う国ですが、同じ漢字でも2つの国で意味が違うものがたくさんあります。
そのとき、漢字って、いったいなんなんだろうと興味がわいたんです。それまでコミュニケーションツールとして漢字を当たり前のように使ってきたけれど、これはなかなか奥が深い世界なんじゃないかと気がつきました。そこから文字の形、つまり書体のデザインにも関心が広がっていきました。
谷垣:
20歳を少しすぎたぐらいでしょうか。
鈴木さん:
そうですね。谷垣さんの場合は、どうですか。電子顕微鏡の研究をずっと続けてきたと思いますが、その方向でいこうと考えたのはいつごろですか。
谷垣:
大学4年のときですね。本格的な専攻として、ナノ粒子という小さな粒子を分析する研究室を選んだのですが、そこに日立の電子顕微鏡が置いてあったんです。ナノ粒子の研究は楽しかったんですけれど、電子顕微鏡そのものも面白いなとだんだん興味が移っていきました。博士過程までいって、仕事をどうするかというときに、電子顕微鏡の仕事をしたいと思い、縁あって入社することになりました。

電子顕微鏡を用いた研究成果の論文がNatureに掲載された谷垣俊明
プロの仕事を支える「わらじを作る人」
鈴木さん:
日立は電子顕微鏡研究の長い歴史があると聞きました。最新の電子顕微鏡の開発には、外村彰さんという有名な研究者の方が大きな役割を果たしたとか。
谷垣:
そうですね。現在、我々が使っているのは、2014年に完成した電子顕微鏡で、1.2ミリオンボルトという超高圧の電子ビームを試料に当てて、原子レベルの小さな世界を解析しようとする装置です。これは、外村さんが国の大きなプロジェクトの責任者になって開発を進めたという経緯があります。
鈴木さん:
谷垣さんも、プロジェクトに関わっていたのでしょうか。
谷垣:
このプロジェクトは2010年にスタートして、私も研究員の一人として参加させてもらいました。残念ながら、外村さんはプロジェクトの途中の2012年に亡くなってしまったので、2年間しか一緒にいられませんでしたが、非常にたくさんのことを教えてもらいました。
鈴木さん:
僕の場合は、アドビに入社してまもないころに、師匠の小塚昌彦さんから教えてもらった言葉が強く印象に残っています。「かごに乗る人、かつぐ人、そのまた、わらじを作る人」という言葉です。我々の業界では、クライアントが「かごに乗る人」で、一般的なデザイナーが「かつぐ人」。書体デザイナーは、そのデザイナーが使う素材を作る仕事だから「わらじを作る人」なんだと。
さらに、書体を一から作るとなると、わらじの素材となる「わら」そのものを作る仕事といえます。書体の素材がなにかといえば、文字それ自体なので、文字の由来や性質を知ることも重要です。そうやって素材や材料を極めていくという点では、谷垣さんのような基礎研究と通じるところがあるかもしれません。

フォント開発の世界について語る鈴木さんの話に耳を傾ける谷垣
谷垣:
面白い観点ですね。電子顕微鏡の研究は、半導体や触媒の開発のベースになる材料の本質を見極めようとするものなので、とことん素材に向き合っていく姿勢は共通しているといえそうです。
――次回は、鈴木さんと谷垣がこれまでに直面した困難に対し、どのように向き合い、乗り越えてきたのかを紐解きます。また、幼少期の原体験が現在の仕事にどのような影響を与え、彼らの情熱や探究心の源となっているのかについても深掘りします。挑戦を重ねながら歩んできた二人の対談は、さらに熱を帯びていきます。
取材協力/松庵文庫
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鈴木功
タイププロジェクト株式会社 代表/タイプディレクター
1967年名古屋生まれ。愛知県立芸術大学デザイン科卒業。1993年から2000年までタイプデザイナーとしてアドビシステムズに勤務。2001年にタイププロジェクトを設立し、2003年にAXISフォントをリリース。その後、AXISフォントのコンデンスシリーズや、コントラストの概念を導入したTP明朝やTPスカイなど、日本語書体の体系を拡張する次世代フォントの開発にあたっている。2009年に都市フォント構想を発表し、2019年に「金シャチフォント 姫」をリリース。そのほか国内外のコーポレートフォントを数多く手がける。AXISフォントは国際科学誌「Nature」日本版にも採用されている。
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谷垣俊明
日立製作所 研究開発グループ
Sustainability Innovation R&D
計測インテグレーションイノベーションセンタ
ナノプロセス研究部 主管研究員(理学博士)
1978年京都市生まれ、小学6年間を滋賀県大津市で過ごす。立命館大学大学院 理工学研究科 フロンティア理工学専攻 一貫性博士課程を修了して、日立ハイテクに入社。理化学研究所勤務などを経て、日立製作所の研究開発グループへ。物質を原子レベルで観察できる世界最高性能の「電子線ホログラフィー電子顕微鏡」で、超ミクロの世界の物質構造の精密解析の研究に携わっている。2017年、世界最高分解能0.67ナノメートル(1ナノメートル=10億分の1メートル)での磁場の観察に成功。2024年7月には、原子が規則的に並んだ「格子面」の磁場観察に関する研究論文が、国際科学誌「Nature」に掲載された。