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免疫細胞を長年研究してきた京都大学医生物学研究所の河本宏教授は「細胞は役割分担が明確でルールにもとづいた社会がある」と語ります。京都大学とのオープンイノベーションをはじめ、再生医療の研究を進めている日立神戸ラボの武田志津と半澤宏子が、細胞のおもしろさと細胞社会について河本教授と共に語り合いました。

生き物の不思議と細胞のおもしろさ

半澤:
私たちは日々、細胞と向き合っていますが、おふたりはもともと細胞の集まりである生物への興味があったのですか?

河本さん:
子どものころから動物も植物も昆虫も好きな少年でした。いまでもNHKの『ダーウィンが来た!』のような生き物のテレビ番組はよく見ています。

武田:
私も虫が好きですね。虫を見ていると、なんでこうなるのかと、いろんな疑問が出てくるんですよね。青虫がチョウになる変態が不思議でならない。体の再構成が、どういうメカニズムで起こるのかが私の人生のテーマでもあります。学生時代、薬学部で動物のがん細胞を使ったタンパク質化学が研究テーマではあったんですけれども、本当の裏テーマは虫でした。

半澤:
いま、昆虫の変態は完全に解明できているのでしょうか?

武田:
細かいレベルでは分かってないことは多くありますが、だいぶ見えてきました。実は幼虫のころから、成虫原基という成虫の体のもとになるものができている。サナギになると溶けてドロドロの体になるけれど、成虫原基が成虫の体を構築していくことが分かっています。

昆虫の変態を考えると、細胞は基本ですよね。細胞のなかでなにが起こっているのか、それは分子をもとにした反応で起こるんだということを知って、その分子メカニズムがおもしろいと感じ、大学の専攻の方向が決まりました。

画像: さなぎの不思議について語る武田(右)

さなぎの不思議について語る武田(右)

半澤:
昆虫の変態は不思議ですね。私も生き物好きではあったんですが、生きること、息をすることが化学式で表現できるのがおもしろいというのが、この世界に入るきっかけでした。河本先生が細胞を意識されたのは、大学を出られて免疫の研究に入られたところからだと伺っていますが。

河本さん:
そうですね。高校生くらいから、同じゲノムなのにどうして劇的にいろんな細胞ができてくるんだろうと、発生学的な細胞のおもしろさを感じていました。

基礎研究に真面目に取り組み出したのは京大胸部疾患研究所(現・医生物学研究所)に入った1994年ぐらいのことですが、そのころの細胞の研究は80年代に盛んだったクローニング競争がまだ続いていました。誰々先生が新しい分子を見つけたとか、ノックアウトして証明したとか、華々しい業績が上がっていたんですよね。私はいまさらそういう競争に入ってもいかんなと思ったのと、細胞培養するのが好きだったので、ある前駆細胞がT細胞やB細胞への分化能を有しているかを調べる研究を発展させていました。コツコツとやるしかなく泥臭かったですね。

画像: 「細胞培養は泥臭かった」と思い出を語る河本さん

「細胞培養は泥臭かった」と思い出を語る河本さん

2004年に理化学研究所の免疫・アレルギー科学総合研究センター(現・生命医科学研究センター)へと移ったんですが、このセンターでは毎週、どこかのグループが発表するんです。そこで最新の話が聞けて、「門前の小僧習わぬ経を読む」みたいに耳学問で免疫のことがわかってきた。そうして免疫細胞がどこでどう働いているのかということに興味を持ったのが、免疫学への入り方でした。

半澤:
昔の生物学の教科書にあった細胞の絵は、中身がスカスカでした。核とちょっとぐらいしか描いてなかった。でもいまはもう、細胞のなかはみっちり詰まっていて、隙間なんかないことがわかっています。しかも、中身が協調的に働くことでひとつの細胞の働きができてくる。さらに細胞と細胞のインタラクションができてくることもわかってきていて、というおもしろさはありますよね。

武田:
私が研究を始めた80年代後半から90年代にわかったことがすごく多いんです。本当に目覚ましい進歩を遂げていて、この何十年かでここまで来たんだなと感慨にふけることがありますね。生き証人ですよ。

ルールと役割分担。細胞と人間社会の共通点

河本さん:
体の細胞は、それぞれがある程度お互いに連絡しあったり、ホルモンなどでやりとりしたりしているけれども、免疫細胞が圧倒的にすごい。自分が分化して、ちょっとずつ能力を変えて増える。体のなかに、細胞社会と言えるようなもうひとつの社会がある感じなんです。

武田:
すべては体を健康に維持するために各細胞が機能していて、離れていても情報伝達するし、直接、接して伝達することもある。そのメカニズムは本当によくできているといつも驚きます。

画像: 細胞のメカニズムにいつも驚くという武田

細胞のメカニズムにいつも驚くという武田

河本さん:
僕は講義のとき、サンゴ礁の海で生態系があるのと同じように、体のなかにも細胞社会という生態系があると教えるんです。ただ、サンゴ礁って、食うか食われるかの緊張感がありますよね。よりよいやつが自然選択で残っていくっていう淘汰圧がかかっている。自分らの群れに敵が襲ってきたら一緒に戦うけれど、1匹が捕まったら「これ、あかんな」って、さっさと逃げるんです。

でも細胞社会というのは、食うか食われるかじゃなくて、自分の役割をしっかりとこなす協力関係であり、利他的でもあるんです。たとえば、キラーT細胞が感染細胞を殺すとき。感染細胞は自分が病原体に感染したことを示して「もしあかんかったら殺してもらおう」と思っている。キラーT細胞はそれを見て「堪忍な」とか言って殺し、感染細胞も「いや、良くぞ見つけてくださいました」と成仏する。正常な細胞っていうのは勝手なことをしない。役割分担が決まっていて、競争ではなく仲良くやっている。

そうやって役割分担してルールを守るのは、人間社会と似ていますよね。ルールを守って、自分の役割を果たす。文化・文明のおかげで、人間社会は免疫細胞の社会に近いと思います。

画像: 細胞社会や細胞それぞれの役割について親しみを込めて語る河本さん

細胞社会や細胞それぞれの役割について親しみを込めて語る河本さん

半澤:
昔、私のいとこが、「いま私たちが生きている社会は、実は巨人のお腹のなかなのかもしれない」って言ったんです。子ども心になんだか的を射ているなと思いました。

私たちの小さな社会が地球上にあって、その外側にある大きい世界を銀河とか呼んでいるけど、実はそれがまた別の誰かのお腹のなかのちっぽけなコロニーのひとつだったりするのかなって思うと限りがありません。この社会はレイヤーで、細胞社会もレイヤー。そのレイヤーが重なって物事が起きているって考えるとおもしろいし、ちょっと哲学的ですよね。

画像: 「私たちが認知しているこの社会も実は巨人のお腹のなかにある一つの生態系だったりして」と言う半澤

「私たちが認知しているこの社会も実は巨人のお腹のなかにある一つの生態系だったりして」と言う半澤

武田:
役割分担があって助け合うという免疫系の起源は最初からいまの形だったんですか。

河本さん:
病原体を食べたり、細胞の死骸を食べたりする食細胞が免疫細胞の起源です。海綿みたいな原始的な生き物は食細胞が1種類なんですね。その後、食べるだけじゃなく、見つけて警報を発して、周りを巻き込んで反応を起こすような高度な細胞ができる。さらにウニくらいまで進化すると、体全体で反応するやつができてくるんですね。そうやって少しずつ進歩していって、リンパ球ができた。

人間は脊索動物門に含まれますが、その源流だとホヤが我々にかなり近いんです。でも、ホヤはまだ赤血球がないし、T細胞やB細胞も全然ない。リンパ球っぽいのがあるぐらいです。脊椎ができた魚以降に、多くの免疫細胞ができました。だから、生物全体では比較的最近、さまざまな形態に進化したなかで、そのごく一部の生き物が多様な免疫細胞を持つと言っていいと思います。

画像: 細胞の進化について語る河本さん

細胞の進化について語る河本さん

武田:
それはどれくらい前の進化の話でしょうか。

河本さん:
5億年ぐらい前です。いわゆるカンブリア爆発という、いろんな生き物ができてきた時期がある。そこで原始的な脊索動物が出てきて、その頃に最初の脊椎動物が魚類として誕生したはずです。いまでいう円口類、ヤツメウナギの仲間ですかね。この辺になると赤血球もあるし、T細胞やB細胞のもとのようなものもある。

もう1個の進化の枝であるタコやイカなどの軟体動物は、すごく賢いし、目も発達していて進化しているけども、免疫細胞のほうはそれほどでもないんですよ。ということは、魚類のもとになる生き物のなかで、免疫細胞を発現させる進化の爆発みたいなことが起こったのだと思います。

半澤:
いま、最近のことと先生はおっしゃいましたけど、その前がすごく長い。生命に30億年の長い歴史があって、5億年前に急激に進んでいる。おもしろいですよね。

そして、人間は社会をうまく形成して持続させるために、福祉やダイバーシティなど、弱い立場の者を助ける仕組みをつくろうとしています。決してマジョリティだけが快適な社会にはならないように、誰もが快適に過ごせる社会をめざそうという方向に来ていますよね。生物としてプログラムされたもの以上のものを人間はつくろうとしているんでしょうかね。

河本さん:
最近いろいろなことが起きていますが、基本は多様性だとかマイノリティも大事にして、みんなで幸せに生きていくのが人間らしいと思いますね。

――次回は河本さんのさまざまな活動と科学コミュニケーションについて伺っていきます。

画像1: [Vol.1]細胞の不思議と生きるヒント|細胞社会から人間社会を学ぶ

河本宏
京都大学 教授・医生物学研究所 所長

1986年、京都大学医学部を卒業。研修医などを経て、1994年より京都大学胸部疾患研究所にて、血液細胞の系列決定過程およびT細胞初期分化についての研究。2002年3月より理化学研究所 免疫・アレルギー科学総合研究センターチームリーダーなどを経て、2012年より京都大学再生医科学研究所教授、2022年より京都大学医生物学研究所所長。

画像2: [Vol.1]細胞の不思議と生きるヒント|細胞社会から人間社会を学ぶ

武田志津
日立製作所 研究開発グループ
技師長 兼 Next Research プロジェクトリーダ(デザイン細胞プロジェクト担当)

2001年日立製作所 入社。プロテオーム解析、ゲノムネットワークプロジェクトを経て、2009年から再生医療分野での研究開発に従事。2017年に日立神戸ラボを立ち上げ、ラボ長に就任。2025年4月より現職。

画像3: [Vol.1]細胞の不思議と生きるヒント|細胞社会から人間社会を学ぶ

半澤宏子
日立製作所 研究開発グループ
Next Research
主管研究員(デザイン細胞プロジェクト担当)

1991年日立製作所 入社。微生物による物質生産、植物の光受容体の機能解析や疾患バイオマーカー探索など多様な研究テーマに取り組み、2015年から再生医療分野での研究開発に従事。2017年の立上げに伴い、日立神戸ラボに所属。2025年4月より現職。

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