オープンイノベーションが生み出すこととは
半澤:
日立では早くからオープンイノベーションに取り組んでいて、武田さんは再生医療の分野で10年以上携わっていますよね?
武田:
それまで誰も考えつかなかった、やってこなかったことを行って、社会をいい方向に変えるのがイノベーションです。大学でイノベーションを起こしうる研究をされている先生と、研究テーマをサーチし、日立がこれまで培ってきた技術やプロダクトをバックボーンに共同研究を行うことで、大きなイノベーションが達成できる。日立ではそれを「社会イノベーション」と名づけて推進しています。
医療界には、治せないでいるウイルス感染症やがんなどの病気を克服するという大きな目標があります。河本先生は、体からウイルスやがん細胞などの悪いものを排除する細胞製剤、つまり、薬になる細胞について研究され成果をあげられています。けれども、先生の研究の成果を社会実装していくためには、細胞を大量につくり、多くの患者さんに投与できる仕組みをつくることが大切なんですね。

日立のオープンイノベーションについて語る武田
日立はそうした細胞製剤を大量に製造するための装置を開発しています。先生の研究をサポートすることで、大きな社会課題に挑戦し、それを解決できると思って、オープンイノベーションに取り組ませていただいています。
めざしているビジョンやゴールは同じところですが、それに向かっていく役割が違うんですね。先生は基礎研究ベースで、どうやったら細胞製剤がつくれるかを研究開発されている。私たちは細胞を大量につくる仕組みを開発しているという立ち位置になります。
河本さん:
最近、自分のT細胞を取り出して、遺伝子を改変してまた体内に戻すというCAR-T細胞療法がある種のがんに対しては標準療法になってきています。こういう細胞療法は、いまは白血病が適応ですが、すべてのがん、あるいはコロナのような感染症も治るはずなんですね。が、CAR-T細胞療法は1回におおよそ3000万円の費用がかかるんですよ。もし効いていても普及しませんよね。
でも、1ロットが何千人分となるように大量につくれて、冷凍保存しておいたら、一般的な薬として使えるようになる。病院で「あー、これはウイルス感染症ですね。じゃあ、コレが効きます」と言って冷凍庫から取り出して、すぐ点滴できるようになるんですね。
うちのラボでは、急性骨髄性白血病や新型コロナ感染症の治療をめざして、ES細胞あるいはiPS細胞からキラーT細胞をつくる研究を進めています。現時点では細胞の製造は手作業で行なっていますが、日立さんの装置を使った培養法の開発も、共同研究として進めています。まだ最初から最後までの1台の機械で一気にできなくて、何回かに分けて培養するんですが、一部だけでも自動培養できたら、これは大きな進歩です。

河本さんがイメージするT細胞製造装置。イラストも河本さんによるもの
武田:
日立だけでできることは小さいのですが、同じところをめざしている先生方と一緒に力を合わせることで、イノベーションが起きると思っています。
河本さん:
細胞の大量培養といったら、大きなタンクでグルグルかき回すようなものもありますが、T細胞には、日立さんが開発した「iACE2」という板状の培養層を10枚重ねる形で搭載した装置との相性がよかったんです。ひとつのディッシュでひとり分ぐらいなので、あの培養装置を横にどんどん増やしていけば、原理的にはたとえば100台つなげると1000人分に対応できる。キノコ工場みたいに大量生産ができるようになるわけです。初めて見たとき、「これだ!」と思ったんですよ。
半澤:
そういうイメージを持ってくださる先生がいるから、我々もこういうふうにしたらいいんだねと、つくってこられたんですよね。
武田:
イノベーションって、ニーズとシーズのマッチングなんです。結構難しくて、こうやってぴったり合うことはなかなかありません。いいシーズだと思っていても、ニーズがなかったり、ニーズがあっても、それに応えるシーズがなかったりということがよくある。今回は本当にうまくニーズとシーズがマッチングしました。これを成長させれば、イノベーションを起こせると思ったし、いま、あらためてできると確信しました。

培養装置の開発に長い年月がかかったことをあらためて振り返る
河本さん:
確か、この機械の開発に10年とかかかっているんでしたよね。特に売れるわけでもないものを、コツコツとここまでにしたのはすごいですよね。
武田:
15年ぐらいかかりました。私が言うのもなんですが、続けさせてくれた日立という会社もすごい。日立は創業時の理念が優れた自主技術・製品の開発を通じて社会に貢献するということだったんです。それで、優れた技術をつくろうとしているんだろうなと会社が思ってくれたから、続けさせてもらえたんですね。
河本さん:
今後、リンパ球もつくっていきたいですよね。リンパ球は圧倒的にマーケットが大きいので。「がんを治す」というのが軸になっていますが、世界中で致死的なウイルス感染症がたくさんあるので、感染症に安く使えたら良いですよね。コロナだけでなく、アフリカのエボラも治せる。各地域に工場をつくれますよね。
半澤:
実は日立はケニアのナイロビ大学とも共同研究をしています。ナイロビの国立病院でHIVの患者さんが列になっているのを見たら、我々としたら、こういうのをなんとかしたい。先生の技術で感染症を改善できるとなれば、病院に施設をつくって治せるかもしれません。こういう技術はやっぱり、いわゆる先進国だけじゃなくて、いま開発途上国と言われるような国でも、受けられる技術にしていかないといけないですね。

「河本先生と語り合うのは楽しい」と半澤
ワクワクとオープンイノベーション
半澤:
共同研究のビジョンが同じで一緒に向かっていけるのはもちろんあるんですが、河本先生とはお話していて楽しいですよね。
武田:
毎回、研究の話の後も夜の部としてディスカッションさせていただいています。
河本さん:
もちろん、論文が通ってよかったねっていう楽しさもあるんですけども。いまキラーT細胞をつくるという意味では、うちが世界で最先端を行っています。うちでつくったキラーT細胞で、ウイルス感染症がなんでも治せるようになるということに関してはワクワク感がありますね。
僕が医者じゃなく研究者を選んだのは、そのワクワク感が大きいですよね。コツコツと泥臭く細胞培養して身につけた特技が、命を救えるような治療法の開発につながって、テレビでも「ウイルス感染症で人が死ぬことがなくなる」と言えるようになったかと感慨深い感じはあります。
半澤:
その楽しい、ワクワクする気持ちを、どう維持していけるかが大切ですよね。
河本さん:
医療って、命を救うだけじゃなくて、目が見えるようになるとか、歩けなかった人が歩けるようになるとか、すべて大事だと思うんです。人の役に立つことができるんだっていうことに対するワクワク感というか、人類に貢献できる喜びみたいなものを感じられるというのが、医療のいいところ。そういうのをもっと若い人にも感じてほしいなというのがありますね。
最近、ある程度お金稼いだら、引退するみたいな考え方がありますけど、そんなんいかんよと。お金を稼ぐために仕事しているんじゃないんだからと思います。

「人の役に立てるワクワクを感じる」と話す河本さん
武田:
いいことばっかりじゃなくて、いろいろな困難があるけれど、同じ目標に向かって、ワクワク感を持って力を合わせられる。そういうときにイノベーションが起きやすくなるのではと思っています。
河本さん:
ただ、若い人がモチベーション保てなくなっているので、思い切って変えてもらわなあかんところもあります。それはなにかと言ったら、研究費、科研費を倍増してくださいと。それから、教授も准教授も助教も給料を倍にしてくださいと。そうしたらモチベーションが上がるし、研究のレベルも上がるし、国際競争力も上がる。
いま円が弱いのもあるけども、アメリカのポスドク(postdoc)の方が日本の教授より給料が多いとかあるんですよ。だから、PI(Principal Investigator)として、海外の人を呼びたくても、「そんな安い給料のとこ行けるか」ともなっているんです。
せっかく、日本は科学で立国してきたわけですから、負けとったらあかん。いま細胞療法では日本が完全にリードしている。日本ならではの新しいものをつくるというようなことで言うと、細胞培養の機械なんて、外国では、そう簡単にはできないんですよ。日本人らしい繊細な取り扱いが必要になる。だから、ある程度の待遇を出して、若い人が入ってきて、イノベーションを起こせるようにしていかないとならないですよね。
半澤:
優秀な人が認められるようになるといいですよね。
河本さん:
研究者もいい技術を持っているのに、論文を出して学会発表しちゃうから、特許が取れなくなっちゃうんですよ。そうなると会社もおこせなくて、もったいない。最近、AMED(国立研究開発法人日本医療研究開発機構)は論文よりも、どんな特許を出したか、あるいは出そうとしているかという点を重視する傾向があったりするんです。特許技術がなくて、出口戦略だとか、社会実装とか言ってもあかんので、研究者も考え方を変えていかなくてはと思いますね。
そのうえで、京大では成長戦略本部が企業とつなぐ役割をしてくれていますが、もっとそういう組織があっていいと思います。研究者が見つけた「発明の芽」のようなものをしっかりと見つけて育てて、その気にさせたり、もっともっとプロモーションして、いろいろな企業の人を引っ張ってきたりということが必要なんだと思います。

研究用として京都大学に設置された日立の細胞自動培養装置の前で
![画像1: [Vol.3]明日の医療をつくるイノベーションに必要なこと|細胞社会から人間社会を学ぶ](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783605/rc/2025/05/08/add09ad6f8186060423e6c8df8fd67a89d560b9d.jpg)
河本宏
京都大学 教授・医生物学研究所 所長
1986年、京都大学医学部を卒業。研修医などを経て、1994年より京都大学胸部疾患研究所にて、血液細胞の系列決定過程およびT細胞初期分化についての研究。2002年3月より理化学研究所 免疫・アレルギー科学総合研究センターチームリーダーなどを経て、2012年より京都大学再生医科学研究所教授、2022年より京都大学医生物学研究所所長。
![画像2: [Vol.3]明日の医療をつくるイノベーションに必要なこと|細胞社会から人間社会を学ぶ](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783605/rc/2025/05/08/77925fd1c7f5086a4950b68185e2f1d1c09b6717.jpg)
武田志津
日立製作所 研究開発グループ
技師長 兼 Next Research プロジェクトリーダ(デザイン細胞プロジェクト担当)
2001年日立製作所 入社。プロテオーム解析、ゲノムネットワークプロジェクトを経て、2009年から再生医療分野での研究開発に従事。2017年に日立神戸ラボを立ち上げ、ラボ長に就任。2025年4月より現職。
![画像3: [Vol.3]明日の医療をつくるイノベーションに必要なこと|細胞社会から人間社会を学ぶ](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783605/rc/2025/05/08/ffb14175956f31c09baad974a20b52689386033d.jpg)
半澤宏子
日立製作所 研究開発グループ
Next Research
主管研究員(デザイン細胞プロジェクト担当)
1991年日立製作所 入社。微生物による物質生産、植物の光受容体の機能解析や疾患バイオマーカー探索など多様な研究テーマに取り組み、2015年から再生医療分野での研究開発に従事。2017年の立上げに伴い、日立神戸ラボに所属。2025年4月より現職。
関連リンク
[Vol.1]細胞の不思議と生きるヒント
[Vol.2]共感の喜びと科学コミュニケーション
[Vol.3]明日の医療をつくるイノベーションに必要なこと