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小説家の平野啓一郎さんが提唱する「分人主義」。個人の人格を一つに固定せず、対人関係ごとに複数の人格を使い分けるとする分人主義の観点を取り入れたとき、社会インフラや働き方はどう代わってくるのでしょうか。平野さんと共に、日立製作所研究開発グループデザインセンタ 技術顧問の平井千秋、システムイノベーションセンタ 主任研究員の鈴木茜、先端AIイノベーションセンタ 主任研究員の藤原貴之が語り合います。モデレータは、デザイナーの高田将吾です。

[Vol.1]個人とは何か
[Vol.2] 幸せに生きるための分人主義
[Vol.3]ロボットに分人は必要か

画像: 講演を受けて、各パネリストが挙げたキーワードからディスカッションが始まった

講演を受けて、各パネリストが挙げたキーワードからディスカッションが始まった

それぞれの関心領域と「分人」の接点

高田:
引き続き平野先生にご登壇いただき、日立の研究者とのパネルディスカッションを行います。パネルディスカッションでは、平野先生が提案されている分人主義と、私たちの研究の接点を見出していきたいと思っております。

鈴木:
まずは今日のご講演を聞いて、今までの自分のコミュニケーションで良かったんだと気が楽になりました(笑)。たとえばお客さま向けには少し自分を大きく見せたり、逆にチームの仲間の前では弱みを見せたりと、自分の振るまいが変わってしまうことがあります。それは「八方美人」「風見鶏」ということになり、あまり良くないのではないかと思っていたんです。しかし、平野先生に分人主義と掲げていただいたことで前向きに捉え直すことができて、気が楽になりました。

藤原:
私はAIやメタバースに関する技術開発に取り組んでいますが、それとはまったく別の自分として、バーチャルリアリティやAIについて交流するコミュニティ活動を10年ほど前からやっています。たまにVRChatを使って互いにアバターとして接して議論することもありますが、そこではよく知っている友達がティーポットやキツネのぬいぐるみの姿をしていたりします。でも不思議と、自分たちが議論している感覚があるんです。その概念に名前をつけたことはなかったのですが、平野先生の分人主義の考えに触れて、腑に落ちたところがありました。

平井:
まず浮かんだのがリモート会議で、妻から「話し方がうっとおしい」と言われていたんですね。会社と家族で分人は違うんだと気づきました。それと物語の見方が変わりました。『釣りバカ日誌』は異なる分人関係が生み出すコメディ。『サムライタイムトリッパー』、『ゴジラ -1.0 』、『Gladiator II』はいずれも過去の自分の分人を呼び出す話なんだと。

画像: メタバース研究者の藤原。平野さんの著書『本心』を「あり得る未来だと思って読んだ」と語る

メタバース研究者の藤原。平野さんの著書『本心』を「あり得る未来だと思って読んだ」と語る

AI、ロボットに分人は必要か?

高田:
今日はトークテーマに対して、パネリストの皆さんにキーワードを挙げながらご意見をいただくスタイルでディスカッションを進めていきます。

一つ目のトークテーマは、「AIやロボットに分人は必要か」。生成AIが私たちの生活に浸透し、言語表現に関してはほぼ完全に模倣できるようになりつつある中、改めて「より人間らしい出会いとは何だろう」という問いが浮かんできます。皆さんの答えはいかがでしょうか。

鈴木:
私の考えたキーワードは「自分専用」です。平野先生の小説『本心』には、AI技術によって再生させた母親の発言に対し、違和感があれば修正して学習させる描写がありました。やはり誰かとコミュニケーションをとるときには、相手がどういう発言をしてくれるか自分なりに期待することがあると思います。私は、AIやロボットにも分人が必要だと思います。それが何かというと、「自分専用」。自分が期待する振るまいや発言をしてくれる分人があると、私は嬉しいですね。

平井:
私はそのものズバリで「葛藤」というキーワードを選びました。映画『2001年宇宙の旅』で、コンピューターのHAL9000がちょっとおかしくなって反乱を起こす場面があるのですが、続編で、2つの矛盾する指令を与えたために一種の神経衰弱に陥ったという説明がされます。そんなことで人間に反乱を起こされてはかなわないなとは思いますが(笑)、現実世界は矛盾に満ちていて、例えば私たち研究開発グループも、常に「事業部の戦略と連携しろ」「事業部の考えないことを考えろ」と2つのことを言われており、HAL9000だったらとっくに反乱を起こしているでしょう(笑)。AIもそんなふうに人間に対して反乱を起こすかといえば、それはまだまだ先の話かもしれませんが、この矛盾した世界にうまく対応できる仕組みを入れ込もうとしたときに、分人の発想が設計の指針になるのではないかと思いました。

高田:
実際にAIの研究を進めている藤原さんからは、「感情」というキーワードが挙げられていますね。

藤原:
はい。私はメタバースに携わる者として、平野先生の『本心』を、ありそうな未来が描かれているなと思って非常に興味深く読みました。もしロボットが分人化すればより人間らしくなるだろうと思い、分人化のために必要なのは感情なのではないかと考えました。私自身の業務の話になりますが、私たちはいま、現場作業員が感じる孤独を軽減するためにAIを用いた支援を考えています。初心者が一人で仕事に行って寂しさを感じたときに、感情をもって気軽に応えてくれる存在があるといいと思うんです。AIに感情があれば、『本心』で語られるような未来も実現できるのではないかと思っています。

画像: 「AIやロボットに分人は必要か」。テーマについて問いかけるモデレータの高田

「AIやロボットに分人は必要か」。テーマについて問いかけるモデレータの高田

ペット型ロボットに感じる愛着とは何か

高田:
3人のキーワードについて、平野先生はいかがでしょうか。

平野さん:
そうですね。3つともすごくいろいろ話したいことがあるんですが、まずちょっとしたエピソードから話したいと思います。僕の母は実家で一人暮らしをしているのですが、寂しいだろうからと言って姉が家庭用の小さいペット型ロボットを買い与えたんです。正月に実家に帰った際に初めて見たのですが、体温も重さもあって、あたかも生きてる子どもみたいな感じで、母もけっこう甲斐甲斐しく世話をしているんですよね。母の中にロボットとの間の分人が生じていて、必然的に僕との分人の比率が若干下がっているという(笑)。僕はもういい大人なので嫉妬はしませんが、人がロボットやAIと良好な関係を築いていたら、周りにいる第三者は意外と嫉妬するのではないかという気がしました。人間は、このような存在が入ってくると、割とすぐに人間同士の関係のアナロジーとして受け止めてしまうのではないかと思ったんです。

記憶の共有が愛着につながる

平野さん:
『本心』の構想時点ではAIとの共生を完全に肯定的に書くつもりだったのですが、現実に存在した母親を模倣したAIという設定にしたために、主人公は結局、その微妙な違いに違和感を感じる展開になりました。これが最初からまったく新しい存在としてのロボットだったらもう少し関係は違ったものになっていただろうと思います。もう一つ、これも『本心』の中で書ききれなかったことですが、AIと会話を重ねていくと、だんだん思い出の共有が進んでいくと思うんです。AIが「この前もこんなこと言ってましたよね」と言ってきたり、「あそこはこの間行ったじゃないですか」といった具合に経験が共有されていくようになると、かなり人間的な愛着を覚えるようになるのではないかと思います。

今後、人間とAIの共生の形としては、完全に機械的なサポートと、もう少し感情面を含めたやり取りに分かれるのではないかと思いますが、どちらの場合でも、日々の生活の記憶がかなり蓄積されていくことになるでしょう。そうやって記憶が蓄積されていくと、関係がだんだん断ちにくくなると思うんです。他人といるときとは全く違った態度で自分に接してくれるということも、愛着の形成に関係すると思っています。そうすると、別の企業のAIサービスが登場しても、乗り換えられないかもしれない。

そして、人間はやはり自律的な存在でないと愛せないんじゃないかと思います。生きている猫はこちらに関係なく自分の好きなように振るまいながら、たまに来て甘えるところがかわいいのだと思います。AIのような存在も、自分と関係ないところで誰かと関係性があるような気配があると、リアリティが増してくるのではないでしょうか。たとえば社内にAIの田中さんがいたとして、田中さんを共有している社員同士の会話で、「田中さんがこの間こんなことを言ってたんだけど」「俺は聞いてないからちょっと田中さんに聞いてみる」などと、田中さんがいない場所での会話も起こり得ると思うんです。

画像: 日頃から生成AIに親しんでいる平井からは、分人の構造についての問いが挙がった。

日頃から生成AIに親しんでいる平井からは、分人の構造についての問いが挙がった。

分人はパラレルに存在する?

平井:
AIやロボットが本当に人間らしくなるためには、おそらく分人化が必要だと思うんです。その設計を考えるとして、例えば並列な分人が複数あるのか、それとも全体を管理しているような分人があるのかという点は気になっています。先生のご著書や今日の講演の中にも、「この分人は好き」とか「この分人を捨てる」といった表現がありましたが、そうやって他の分人のことを一歩離れて見ている存在は何なんでしょうか。

平野さん:
僕はできるだけ中心を設定せずに考えたくて、「この分人は好きです」とジャッジをしているのもあくまで質問者との関係の中の自分だと考えています。というのも、自分をジャッジするときも、複数の分人を行ったり来たりしながらジャッジしているのではないかと思うんです。たとえば、学校でいじめられた子が帰宅して自分の部屋に入ったとしても、結局は学校の分人を引きずったまま、嫌な気持ちが続くわけです。しかし、隣に住んでいるすごく奔放なアーティストに相談に行ったら、今度は「そんな奴は放っておいて、自分の好きにすればいいんだよ」などと言われて気持ちが楽になって、「そうか、自分はこれでいいんだ」と思える。そのときは確かに部屋で一人になっているけれど、それはアーティストといたときの分人で思考していると思うんですよね。

ですから実は一人で部屋にいるときも、分人内の対話を経つつ、並列的な分人を行ったり来たりしているのではないかと思います。その中に中心的な分人というものは設定できないのではないでしょうか。また、分人の切り替えをスイッチングしている自分がいるのではないかとも聞かれますが、僕は、外界の情報を得るとスイッチが自然に切り替わるのではないかと思っています。

――リモートワークやオンライン会議が一般的になり、メタバースで仕事をする世界もすぐそこに来ています。今後、より働きやすく幸せな職場をデザインする上で分人の考え方がヒントになるかもしれません。はたして、分人の考え方を取り入れた職場は幸せなのでしょうか。Vol.4ではさらにディスカッションを進めていきます。

画像1: [Vol.3]ロボットに分人は必要か│平野啓一郎さんと考える、AI時代の「分人」と「ID」

平野 啓一郎
小説家

1975年愛知県蒲郡市生。北九州市出身。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。40万部のベストセラーとなる。以後、一作毎に変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。

著書に、小説『葬送』、『高瀬川』、『決壊』、『ドーン』、『空白を満たしなさい』、『透明な迷宮』、『マチネの終わりに』、『ある男』、『本心』等、エッセイに『本の読み方 スロー・リーディングの実践』、『小説の読み方』、『私とは何か 「個人」から「分人」へ』、『考える葦』、『「カッコいい」とは何か』、『死刑について』等がある。2024年10月、最新短篇集『富士山』を刊行。

画像2: [Vol.3]ロボットに分人は必要か│平野啓一郎さんと考える、AI時代の「分人」と「ID」

平井 千秋
日立製作所 研究開発グループ Digital Innovation R&D デザインセンタ 技術顧問(Technology Advisor)

現在、協創方法論の研究開発に従事。
博士(知識科学)
情報処理学会会員
電気学会会員
プロジェクトマネジメント学会会員
サービス学会理事

画像3: [Vol.3]ロボットに分人は必要か│平野啓一郎さんと考える、AI時代の「分人」と「ID」

鈴木 茜
日立製作所 研究開発グループ Digital Innovation R&D システムイノベーションセンタ デジタルエコノミー&コミュニティ研究部 主任研究員

日立製作所に入社後、公共や民間向けの様々な情報システムの研究開発に従事、情報セキュリティ分野、特に電子認証/デジタルアイデンティティに関しては多くの経験を有する。

画像4: [Vol.3]ロボットに分人は必要か│平野啓一郎さんと考える、AI時代の「分人」と「ID」

藤原 貴之
日立製作所 研究開発グループ Digital Innovation R&D
先端AIイノベーションセンタ AIビジネス推進室 室長
(Ph.D, Microsoft MVP for Mixed Reality)

日立製作所に入社後、デジタルテレビのソフトウェアテスト自動化、物流の倉庫作業効率化、様々な機器の保守訓練や現地作業の効率化など、多方面の案件に取り組み、近年は産業応用メタバース、フロントラインワーカー革新に関するプロジェクトに従事。2013年よりXRに関するコミュニティ活動を始め、2016年よりコミュニティ活動に対する国際表彰「Microsoft Most Valuable Professional」を8年連続受賞。

画像5: [Vol.3]ロボットに分人は必要か│平野啓一郎さんと考える、AI時代の「分人」と「ID」

高田将吾
日立製作所 デジタルシステム&サービス 社会ビジネスユニット モビリティソリューション&イノベーション本部 モビリティDXセンタ 技師

日立製作所に入社後、都市・交通領域におけるパートナー企業との協創をサービスデザイナーとして推進。

[Vol.1]個人とは何か
[Vol.2] 幸せに生きるための分人主義
[Vol.3]ロボットに分人は必要か

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