[Vol.1]「科学を伝える力」はどこから生まれる?
[Vol.2]「わかった気になる」を設計する
[Vol.3]「何の役に立つの?」に答える
量子コンピュータは「何の役に立つのか」
小澤さん:
量子コンピュータについて伝えるとき、よく聞かれるのが「何の役に立つのか」という質問です。これは、実際に量子コンピュータを使うことになる若い世代にとって、特に重要なポイントだと思います。
土屋:
その点は、私たちも重視しています。例えば、自然のミクロな世界で起きている化学反応は量子力学にもとづいているので、量子コンピュータを使うことで、その原理を早く解明できます。そして、化学反応が解明できれば、効率のよい触媒を見つけて、エネルギー問題に役立てられます。将来の社会課題を解決できるという点で、非常に意義のあることだと考えています。
小澤さん:
量子コンピュータのユースケースは関心が高いので、未来館では「量子コンピュータにコレできる? ガチャ」という展示を用意しています。カプセルトイのようなレバーを回すと、量子コンピュータのさまざまな活用事例が画面に表示されるという仕掛けです。

「量子コンピュータにコレできる? ガチャ」について説明する小澤淳さん
土屋:
ここにも手を動かすアクションが入っていますね。専門家の回答が出てくるんですか。
小澤さん:
そうですね。一般の方から寄せられた100個以上の質問に対して、大学の研究者などの専門家に答えてもらいました。
土屋:
100個以上…! 質問はあくまでも一般の方から寄せられたもの、というのも面白いですね。量子コンピュータの活用によってどんな社会が実現するのか、はっきりした世界観を示すのは難しいですが、とても大事ですよね。
「わかりやすさ」と「正しさ」のせめぎ合い
小澤さん:
僕自身が展示を作っていて難しいと感じるのは、「正しさ」と「わかりやすさ」のどちらを重視するかという問題です。常にこのせめぎ合いがあるんですが、「わかりやすいけど正しくない」というのは、基本的にダメなんです。監修者の先生からは、試作段階でときどき「この展示は正しくないからダメ」と否定されることもあります。
土屋:
わかりやすさと正しさの境目が非常に難しい、ということですね。たしかに、「正しくない」のはダメですが、正しさだけを追求すると、結局専門的な言葉を多く使うようなわかりにくい展示になってしまいますよね。監修者の先生によっても、判断がわかれるかもしれません。

最先端の科学をどう伝えるか、頭を悩ませてきたという土屋龍太
小澤さん:
科学コミュニケーションにつきまとう問題ですね。
今回は、量子コンピュータの方式を説明するパネルも設置しましたが、そこでは「超伝導」「イオントラップ」「中性原子」「半導体」「光」という5つの方法を紹介しました。それぞれに監修者がいて、表現に問題がないか確認してもらっています。監修者の先生はいろいろな場で「量子コンピュータはわかりにくい」と言われ続けているので、「できるだけわかりやすく説明したい」という問題意識をもっています。そのためか、我々の表現を受け入れてくれた先生が多いですね。
数式を「物語」に置き換えて伝える工夫
土屋:
科学コミュニケーションという観点で、これまでにうまく伝えられたと特に感じた事例はありますか。
小澤さん:
難しいものをなんとか苦労して伝えたという点では「非線形数理」の展示があります。東京大学の合原一幸教授に監修してもらった展示で、数式を使ってさまざまな社会問題を解決するプロジェクトを紹介しました。

合原一幸・東京大学教授が監修した展示「1たす1が2じゃない世界 – 数理モデルのすすめ」(写真提供・日本科学未来館)
小澤さん:
でも、数式を展示しても、ほとんどの人は理解できません。そこで、サンダーバードのような研究者のチームが世界各地の問題を解決するために現場に駆けつけて、その中で「数式」を使うというストーリーを作って、説明しました。数式の意味はわからなくても、それによって何を解決しているのかは表現できたのではないかと思います。
土屋:
私は、量子力学に関する好例として、有名な「二重スリット」の実験をあげたいですね。日立のフェローだった外村彰さん(2012年没)が行った実験で、電子が粒子と波の両方の性質をもっていることを鮮やかに示しました。世界でもっとも美しい実験の一つとも言われていて、私もあのように明快に量子の世界を伝えられたらいいな、と思っています。

日本科学未来館の量子コンピュータ・ディスコは、楽しみながら量子計算を学べるように工夫されている
すべての人が「科学コミュニケーター」になれる
小澤さん:
僕は科学コミュニケーションに関わる仕事をしながら、常々「すべての人が科学コミュニケーターになればいいな」と思っています。科学って、自分がわかると他人に伝えたくなるものです。そして、知らない人に理解してもらえると嬉しい。だから、未来館に来た人が科学の面白さを知って、自分のできる範囲で「科学コミュニケーション」をしていってくれるといいなと考えています。
土屋:
科学の世界を一方的に伝えるだけでなく、相手からも反応をもらって、双方向で理解し合えるというのが、非常に重要なのかなと思います。そういう科学コミュニケーションをやっていきたいですね。
小澤さん:
僕はよく、研究者の方に「ご家族にはどう伝えているんですか」と聞くんですが、「家族には研究のことを何も伝えていない」という方が多いんですね。
土屋:
そういえば、私も家族には研究の話をあまりしていませんね(笑)

量子コンピュータに関する動画を見ながら、活発に意見を交換した
小澤さん:
でも、そういう身近なところから、科学コミュニケーションは始まるのかなと思います。量子コンピュータ・ディスコには、恋人同士で来る方もよく見かけるんですが、パートナーに操作方法を教えていることがあります。やり取りを見ていると、たぶん、教えている方はいいところを見せたくて事前に予習をしていたようなんですが、とてもいい光景だなと思います。
土屋:
そうやって人に伝えようとするときに、理解が促進されるという面もあるかもしれませんね。量子コンピュータ・ディスコのような体験型展示だと、教える側も“一緒に動かす”ことで理解が深まるという効果がありそうです。
小澤さん:
そのように人に伝えたくなるのが、いい科学の展示です。そして、いい展示を作るには、専門家だけでは難しい。今回の展示も、未来館のチームの中に量子コンピュータの専門家はいません。情報工学や物理学の専門家は多少いますが、文系の人たちもたくさんいます。「わからない人たちがわかっていく」というプロセスを展示すればいい、という発想を大切にしています。
土屋:
専門家だけだと「何がわからないのかが、わからない」という状態になりがちですからね。「何がわからないのか」という点をしっかり理解して、そこに対して説明していく姿勢が大事なんだと思います。
小澤さん:
そうなんです。だから、展示を作るときは「わかっていない人」と一緒に作ったほうが絶対にいいですね。
本物の量子コンピュータとつなぎたい
小澤さん:
量子コンピュータの展示に関しては「いつか本物の量子コンピュータとつなぎたい」という目標があります。量子コンピュータの場合、本物を未来館に置くことはできないので、クラウドでつないで、量子コンピュータを遠隔操作する経験をしてもらいたいと思い描いています。ぜひ、日立さんに量子コンピュータを完成してもらって、未来館とつながせてください!
土屋:
量子コンピュータはまだエラーが多くて、本当の意味で「使えるコンピュータ」になるには時間がかかるかもしれませんが、いつかクラウドに公開して研究者に使ってもらおうという目標をかかげて、開発に取り組んでいます。そのときは未来館さんにも使ってもらえるように、がんばっていきたいですね。

量子コンピュータの未来を思い描きながら、科学コミュニケーションのあり方を議論した
取材協力/日本科学未来館
関連リンク
![画像1: [Vol.3]「何の役に立つの?」に答える|科学コミュニケーションを考える](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783605/rc/2025/11/28/c14927dec1b793ef2c6f62e03c17e9ec54e55236.jpg)
小澤 淳
日本科学未来館 科学ディレクター
コンピュータメーカー、未来予測系シンクタンクを経て現職。専門は情報工学。これまでに手がけた展示は、「計算機と自然、計算機の自然」(落合陽一氏監修)、「未来逆算思考」(大垣眞一郎氏監修)など。2025年春に公開された展示「量子コンピュータ・ディスコ」の科学ディレクションを担当。
![画像2: [Vol.3]「何の役に立つの?」に答える|科学コミュニケーションを考える](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783605/rc/2025/11/28/8de3e500a1e66104811ddd39feacb7140e88f157.jpg)
土屋 龍太
日立製作所 研究開発グループ Next Research 主管研究員 兼 量子コンピューティングプロジェクト
1998年東京工業大学総合理工学研究科博士課程修了(工学)。同年日立製作所中央研究所入社。2013年~16年日立ケンブリッジ研究所副ラボ長。2020年よりムーンショット型研究開発事業「大規模集積シリコン量子コンピュータの研究開発」に参加。
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