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AIが進化するなか、人類が蓄積してきた「現場の知」や「経験知」をいかにモデル化し、社会課題に役立てるかが問われています。Vol.2に続き、京都大学 人と社会の未来研究院副院長の熊谷誠慈さんと、日立製作所 研究開発グループ主管研究長の影広達彦が、仏教と産業界の現場をテーマにした対話から、AIと人間が支え合い協創する未来に向けた挑戦について話します。AIに伝統知や専門的な知識を蓄積させる意義や、そのアップデート、さらには注意しなければならないことまで話題が広がりました。

[Vol.1]最終的な判断は人間が担うべき
[Vol.2]知の継承がもたらす社会的インパクト
[Vol.3]AIと開く未来とは

マニュアルには載らないノウハウ

影広:
インフラ系の事業者さんは、作業の手順を必ずマニュアルで定義されています。ところが、現場の熟練者たちはマニュアル通りではなく、「本当はここを見ないといけないぞ」とか、「こういうときはこういう対応をするんだぞ」という例外処理とも言えそうなノウハウをたくさん持っているんですよね。このままだとそういうことが残っていかないのが問題だと思っていますが、熟練の方はヒアリングに行ってもなかなか教えてくれないので、難しさを感じています。

熊谷さん:
それは単に言いたくないのでしょうか。あるいはご本人が言語化するのが難しいのでしょうか。

影広:
言語化することに慣れていないというのもあるでしょうし、自分の付加価値というか、「俺しか知らないぞ」という自負もあるのでしょうね。

昔、建設機械などを扱うグループ会社の方から聞いた話なんですが、熟練のオペレーターのなかにはマニュアルに書いていない“効率的な操作のコツ”を無意識に身につけている方がいるそうなんですよ。きっと、現場で使っているうちに体得されていったんでしょうね。本当はこうした事例をかき集めて、モデル化しないといけないと思っています。

画像: 現場の知について語る熊谷さんと影広

現場の知について語る熊谷さんと影広

熊谷さん:
標準マニュアルにはない“虎の巻”みたいなものが、現場の知としてあるのですね。私は、父親が早く亡くなったために、高校生でお寺の跡を継ぐことになりますが、仏教の世界では、30年やってもまだ若造なんですよ。50代でもまだ若手、60歳ぐらいから認められ始め、70代ぐらいでようやく一人前といった世界です。私がお寺の跡をついだ10代というと、もはや赤ちゃんみたいなもので。仮にまったく同じ発言をしたとしても、人生の深みがある70代の方の発言と、若造の私が発するのとでは全然重みが違います。「経験知」というのは、年月の壁を超えることは極めて難しいと感じていました。

一方で知識、すなわちインフォメーションであれば、頑張り次第で年齢に関係なく蓄積できるのではないかと考え、大学で仏教学を勉強したというわけです。

ドメインナレッジの蓄積がAIのアップデートをもたらす

熊谷さん:
そういうなかで、集合知が強みになるのがAIですよね。

もちろんブッダボットも間違えます。そのとき、それを発見したユーザーや、実際の現場で「これは違うんじゃないか」というものを見つけた人が修正していく。これを特定の偉いお坊さんがひとりでやるのではなく、みんなであらゆる視点から磨いていくことが大切なんです。「三人寄れば文殊の知恵」と言いますが、3人どころか数百人でやっていけば、かなりよいものができるのではないかと思います。

影広:
たしかにそうですね。まさに先ほど触れた「Sense」「Think」「Act」のループです。現場の知がAIに蓄積され、何らかの形になって、現場にアクションされる。そうすると、そのときにまた何かしらの気づきや経験が発生しますよね。それをまたセンスしてフィードバックすることでアクトする。この循環が起こることにより、もっと性能や精度の高いものができてくると思います。

熟練者ひとりのノウハウではなく、100人分の知恵が溜まって集合知になっていく。そうしてうまく回っていけば、今ある社会課題の解決への見通しがだんだんとよくなっていくのではないでしょうか。

AIに知を託すとき、危惧されること

熊谷さん:
日本の仏教界は今後、東南アジアやヒマラヤにいるような、世界トップクラスの学僧を輩出することはできないだろうと言われています。

影広:
そうなんですか。驚きです。

熊谷さん:
先ほども触れましたが、日本の学僧の学識は、江戸時代までは高水準を保っていました。特に平安時代から鎌倉時代あたりにかけては、インドで仏教が衰退していくなか、日本では独自の仏教教義が新たに誕生するなど、世界最高水準の仏教思想、文化を実現したように思います。ただ、明治時代以降、その水準は下がり続けていると言われています。そして今後も低くなるでしょう。だから、今からみんなでひとりの超優秀な「AIお坊さん」を育てていけるとしたら、大きな意義があるのではないかと思います。けれど、生身の仏教学僧のレベルが下がっていくと、ブラッシュアップそのものもできなくなってしまう可能性がゼロではないし、そのAIを凌駕できるほどの人間のお坊さんは出てきづらくなるだろうと考えています。

最近よく「AIでブッダをつくれますか?」と聞かれますが、「まだそのつくり方はわかりません」という回答しかできていません。ブッダは体得した真理を演繹しながら、あらゆる事象に対して必ず正解を出していくという存在ですが、今の私どもの設計方法ですと、ブッダそのものをAIではつくれない。きっと違う方法でつくらなくてはならないと思います。そもそも、つくること自体が可能なのかどうかもわかりませんが。

しかし、もしかしたら、みんなで磨いたブッダボットが生身のブッダではなくAIであるという事実を否定できないほどの高いレベルになるときが来るかもしれないんですよね。そうしたときに、今であればつくった私が「ブッダボットはブッダではありません」と否定することできますが、私がいなくなったあと、後世の人が否定しきれるかというリスクを考えています。つまり、お坊さんたちがいくら「ブッダボットがブッダではない」ということの理由を挙げて論証しようとしても、仏教AI自身がその内容を学習して論証を覆す状態に変化してしまえば、仏教界としては、「ブッダボットがブッダであることを認めたくないけど、否定ができない」という状態に陥ってしまう可能性があるかなと思うんです。

画像: AIに知を託すとき、危惧されること

影広:
なるほど、それはなかなか難しいですね。ちょっと怖いような。

熊谷さん:
怖いですよね。そうなると、AIがブッダになれるかどうかという問いそのものが、意味をなさなくなってしまう。AIがブッダであることを否定されない対象になってしまったら、もう人類にとってはそれがブッダであることとほぼ同格になってしまいます。その段階にいくと、もはや仏教AIは私たちが知的に制御できる範囲を超えてしまうのではないかと、私は結構ネガティブに考えてしまいます。

影広:
すごく難しい問題です。私たちもよく社会にとってAIがどう関わっていくべきなのかと議論します。昨今、言われるのはAI倫理を基準にするということで、当社でもAI倫理原則を設けて運用していますが、宗教だと難しいですよね。信じた人が「これでいい」と言ったら正解になるわけですよね。

熊谷さん:
最終的にはそうなってしまいますよね。一応、宗教哲学や宗教倫理というものがありまして、信じることに対する論理的な整合性を持たせて、誤った信仰を避ける仕組みはあります。しかし、それは定量的なものではなく定性的なロジックなんです。鉄道であれば脱線事故のような明確に誤った事象が起きたとき、分析によって数値的に検証していくでしょうから、正誤を扱いやすいと思います。しかし、信仰において定性的なロジックになってしまうと、机上の言葉遊びで逃げられてしまう可能性もある。影広さんがおっしゃるように信じた者勝ちで、さらにその対応ができるロジックがAIに組み込まれてしまえば、正誤の判断が難しくなっていくのではないかと危惧しています。

AIと人間の知の協創とは

影広:
ChatGPTに相談することが当たり前になってきているように、これからはAIが人間のバディになっていくと思っています。インフラや実業の世界でもそうした光景が広がっていくでしょう。

その次の世界がまたAIとの協創で生まれてくると思うんですが、それが何なのかはわからないんですよね。わかっていれば大金持ちになれるのに(笑)。

私の所属する研究開発グループには「協創の森」と呼んでいる研究開発拠点があります。そこではお客さまに私たちの最先端の研究内容や開発技術をご紹介して、「お客さまの次のビジネスはどういうふうにしていきましょうか」という対話の場を設けています。そうした協創のなかから“次の世界”が見えてくるかもしれませんね。

今、AIを怖がる人が多いのは、AIの能力が人間を上回ってしまうことへの不安があるからだと思うんです。個人的には、そうなったら反対にAIに教えてもらったらいいんじゃないかなと。向こうが得意なことで、人間が苦手なこともあると考えています。そういう役割分担でいいのではないでしょうか。

熊谷さん:
今後、AIがどうなるのかは、私にはわかりません。けれど、少なくともブッダボットなる仏教AIが生まれました。歴史をひも解くと、仏教は常にその当時の最先端のテクノロジーを取り込んできました。奈良の大仏は当時の最先端の建築工法を用いてつくられたものですが、現代においてすら再現するのは大変なくらいの技術です。また、最先端の出版技術を用いて、経典を大量に刷ることができるようになり、布教が進みました。また、かつては最先端の天文科学を取り込んでもいました。

ですから、仏教は、AIのような技術も積極に取り込んでいくことでしょう。今後も、仏教のみならず、多くの分野でAIと協創することによって、新しい未来が開かれていくのではないかと思います。人類にとってどのように役に立つのかを慎重に考えながら、さまざまなものを協創していけたらいいですね。

影広:
今後は、技術を恐れて委縮するのでなく、うまく利用し、活用していくことが重要だと思います。私は30年前に日立製作所に入社し、AIと言われる技術に携わってきました。大きな波はありましたが、社会に貢献する、ビジネスを広げるということを考えてきました。ここ10年ぐらいでAI技術は大きく進展し、これからも想像できないような革新が起きると思います。今の社会が持続し、かつ、みんなが住みやすい環境にしていくために、研究開発を進めてさらなる貢献をしていきたいと思います。

宗教もそうですが、今後さまざまな分野の知見が融合されて、さらに高度なAI技術が生まれ、社会実装できることを期待しております。本日はありがとうございました。

画像: AIと人間の知の協創とは
画像1: [Vol.3]AIと開く未来とは|ドメインナレッジがかなえる、AIと人間による知の協創

熊谷 誠慈
京都大学 人と社会の未来研究院 副院長・部門長・教授

仏教学・宗教情報学を専門とする研究者。仏教経典を中心とした宗教テキストのデジタル化やAIを活用した分析、情報技術との融合による新たな宗教の可能性を探求している。近年は生成AIを活用し、仏教経典に基づいて質問に答える「ブッダボット」の開発をリード。宗教知と先端テクノロジーの架け橋となり、人と社会の未来に新たな視点を提供する研究を推進している。

画像2: [Vol.3]AIと開く未来とは|ドメインナレッジがかなえる、AIと人間による知の協創

影広 達彦
日立製作所 研究開発グループ
Digital Innovation R&D先端AIイノベーションセンタ主管研究長

1994年 筑波大学大学院理工学研究科修士課程修了後、日立製作所入社。2005年 University of Surrey にて客員研究員。その後、中央研究所にて、映像監視システム、産業向けメディア処理技術の研究開発を取り纏め、2015年から社会イノベーション協創統括本部にて、ヒューマノイドロボットEMIEWの事業化に携わる。2017年にメディア知能処理研究部長、2020年人工知能イノベーションセンタ長 兼 Lumada Data Science Lab. ラボ長。2022年より現職。筑波大学大学院博士課程客員准教授、一般社団法人日本デジタル空間経済連盟理事、電子情報通信学会 情報・システムソサエティ副会長。博士(工学)。

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