[Vol.1]ロボットと人間を分ける「記号接地」と言語の力
[Vol.2]ロボットはどこまで人間に近づくのか。逸脱と創造性、人間の役割とは

「今井先生の著書に大きな刺激を受けた」と企画のきっかけを語る花岡
ロボットはアブダクション推論を実装できるか
花岡:
アブダクション推論をロボットやAIに実装することは可能なのでしょうか。実装できるとしたら、どんなことが起きてしまうのでしょうか。今井先生のお話では、アブダクション推論が人とチンパンジーを分ける特徴だというお話がありましたが、論理を飛躍させること自体は、AIにもやらせることができるのではないかという気もします。
今井さん:
AIが手当たり次第に要素を組み合わせて新しいものを作ること自体は、もう既に行われていますね。ただ、AIは、これまで人間が作ってきたものを希釈し、平均値的なものを作ることしかできていません。現段階では多くの人が「それは面白くない」と言うんですね。この「面白くない」ということが、とても大事なことだと思います。
私は、クリエイターのすごさは「逸脱」にあると思っています。逸脱しすぎるものは、たいてい理解されません。ゴッホは生存中にはほとんど誰からも評価されませんでしたし、ベートーベンやブラームスも、初演時には酷評されています。それが時間を経て、素晴らしい芸術として受け入れられるようになったわけです。創造性はクリエイターの問題ではなく、それを受容する人間の感覚や知識、資質にも依存する、ということですね。
希釈して平均的になったものでも、マスの人たちが面白いと思うようになれば、それは受け入れられるのかもしれません。しかしそれが100年後まで続くかという問題もあります。もしかすると、人類の創造に対する考え方や美的感覚が変わっていくのかもしれません。

人間とAIが近接していったときに何が残るのか。議論が深まる
ロボットの「逸脱」を考える
花岡:
いまのロボットは制約された条件下で逸脱することなく正しく動くように設計されていますが、今後、ロボットに自律の概念が実装されていくと考えたとき、逸脱をどう捉えるかという問題がありそうです。守屋さんはどう考えていますか。
守屋:
ピアニストの角野隼斗さんが、2年半ほど前に情報処理学会誌の巻頭言の中で「創造とは制約である」と書いていますが、私も、創造や芸術の分野では制約があるからこそ逸脱ができるんだと考えています。共通の軸が共有された上で逸脱するからこそ価値が生まれるわけですね。ロボットの自律と言っても、すべて勝手気ままにやられてしまったら困ります。何かのコンセンサスや信頼関係があって、その上で何か自分の主義主張をしていくことが重要なのではないかと思っています。
今井さん:
もうひとつ、記号接地で大事なのは、意味を考えることだと思います。AIロボットが無限に組み合わせができたとしても、本質的に意味を考えながらするかどうかということです。それをしないとしたら、やっぱり記号接地には至らないと思います。
ニューヨーカー誌に、「カンマの女王」と呼ばれる校正係がいるんですが、その人はカンマやピリオドをどこに入れるかということに、非常にこだわっているんです。ニューヨーカーには独自の分厚いルールブックがあって、それを守ることが前提となっているのですが、寄稿する一流の作家さんは、ルールを分かった上であえて逸脱することがある、と。そのことを理解せずにルールブックに則って直してしまうか、あるいは作家の意図を考えてあえて修正せずにおくというところが、校正者としての熟達度を分けているのだと言えるでしょう。
花岡:
なるほど。吉永さん、Naivyの中身が意味を理解したり、一流の熟達まで行くために、現段階でルールを逸脱するような仕掛けはありますか。
吉永:
今はまだ、ルール通りしっかり回答することを重視している段階ですが、今後、レベルを上げていくに従って、逸脱や、状況に応じた臨機応変な判断が必要になるでしょう。そのためにアブダクション推論をAIに実装していくかどうかは、議論が必要だと思っています。

メタバース空間と現場の情報を統合して人やロボットの支援を行う次世代AIエージェント「Naivy」の開発者としての立場から、AIにとっての「熟達」について語る吉永
ロボット、AIと人間の幸せな関係を探る
花岡:
ロボットもAIもどんどん進化していく中で、ロボットやAIに対する人間の関わり方は非常に大きなテーマになってくるでしょう。先生は、ロボットやAIと人間は、どんなふうに関わり合うのが望ましいとお考えですか。
今井さん:
これまで自分自身がたくさんの記号接地をして何かに熟達してきた人たちが、AIを賢く使うことで更にポテンシャルを高めているのがいまの状況です。これはとても望ましいことだと思います。一方で、これからの子どもたちには、記号接地の体験がないままAIに指示ができるか?という問題が出てくるのではないかと思っています。単にプロンプトの書き方という問題ではなく、体験を通さずに頭だけで何かを覚え、指示する状況が、果たして本当にあり得るのかどうか。
たとえば、AO入試の面接で会う高校生が、まだ何もしたことがないのに「将来ディレクターになりたい」と言うんですよね。一分野でも深く体験して、自分で苦労して身につけたスキルがあれば、他は体験していなくても想像できることはいろいろとあると思うんですが、そういうことをすっ飛ばして、「私はディレクター志望だから分野に特化する必要はない」というふうに考える高校生が結構いるんです。それはないんじゃないの?と私は直感的には思うのですが。
守屋:
人とロボットとの共生を考えるときに、私もそれと同じような状況を考えました。ロボットに部屋を片づけさせるときに何を指示すればよいのか。普通に考えると、片づいているという目標状態の定義が必要ですが、それはとても大変なことです。しかし、例えば、「ランダムな100人に部屋を見せたとき、その部屋が片づいていると90人が答える状況を作れ」といった指示をすれば、片づけの定義を省くことができてしまう。でも人間は本当にそれでよいのかな?と疑問なんです。人間としては、片づけるということの定義を知らないまま、ロボットに指示をするというのはよくない気がします。
花岡:
別の領域でもいいから、アブダクション推論ができる程度の経験が人間には必要だということですね。
今井さん:
そこが人間の得意なところで、人間は、あることですごく深掘りして本当に接地していれば、そこから他の分野に応用することが可能です。ただ、その下地がないままにいろんな要素だけをAIから与えられても、人間にできることには限りがあるのではないかと、私自身は考えています。

会場からの質問に耳を傾ける今井さん
アブダクション推論の精度を高めるには?
花岡:
ここからは、ご参加の皆さんも交えて質疑を交わしたいと思います。
参加者:
人間のアブダクション推論の精度を高めるものはなんでしょうか。スキーマ構築のためにインプットする経験の量なのか質なのか、スキーマ自体が優れていることなのか。先生の考えをお聞かせください。
今井さん:
アンダース・エリクソンという熟達研究の第一人者が「1万時間の法則」ということを述べています。直感が働いて、ある程度逸脱ができるレベルになるにはだいたい1万時間は必要なんだという内容です。ただ、一流の人たちは漫然とただ量をこなしているわけではありません。常に自分を観察し、分析して、どうしたら今よりも高いレベルに行けるのかということを自分で考えています。そこが超一流になれる人と普通のエキスパートの人を分ける点なのではないでしょうか。
参加者:
AIが発展するいま、AIをうまく使う人はより成長していけるけれど、下手な人はどんどん能力が落ちていき、格差の拡大につながるのではないかという懸念があります。
今井さん:
おっしゃる通り、格差を縮めるよりは格差を拡張する方向になっていると、私も思っています。AIを上手に使うためには、幅広い視点でAIの仕組みやメリット・デメリットを理解する必要があります。そのためには、本当に幅広の教養や世界に対する洞察力や分析力が必要です。それがないままAIの使い方だけを習熟させていくのは危険なことです。AIを上手に使いこなすには、むしろAIを使わずにどう思考し、教養を深め、視野や知識を幅広く持つかが問われているのではないでしょうか。
花岡:
AIやロボティクス、記号接地、アブダクションといったテーマでAIやロボットの進化について語り合ってきましたが、AIやロボットに何を求めるにしても「人間が何をすべきか」「人間にしかできないことは何か」を考えていくという、人間に対する理解を深めることの大切さが改めて問題として浮かび上がってきたように思います。ありがとうございました。

![画像1: [Vol.2]ロボットはどこまで人間に近づくのか。逸脱と創造性、人間の役割とは│今井むつみさんと考える、人間とAIの創造的思考](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783605/rc/2026/03/19/5d8a72848e963dd8cfb8dfb2236422e96e87a344.jpg)
今井むつみ
一般社団法人 今井むつみ教育研究所 所長
慶應義塾大学名誉教授
文部科学省 中央教育審議会 専門委員(2025年1月~)
日本認知科学会フェロー。Cognitive Science Society Fellow(アジア初)
専門分野は、認知科学、特に認知言語発達科学、言語心理学。著書に『学力喪失―認知科学による回復への道筋』『算数文章題ができない子どもたち ことば・思考の力と学力不振』(共著)『言語の本質』(共著)『ことばと思考』『学びとは何か―〈探究人〉になるために』『親子で育てることば力と思考力』『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策』『英語独習法』『人生の大問題と正しく向き合うための認知心理学』ほか多数
![画像2: [Vol.2]ロボットはどこまで人間に近づくのか。逸脱と創造性、人間の役割とは│今井むつみさんと考える、人間とAIの創造的思考](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783605/rc/2026/03/19/cb2cecdcec5cfa8cc06c6baf2919da8eef48a60c.jpg)
花岡誠之
日立製作所 研究開発グループ
Digital Innovation R&D
Managing Director
1996年 大阪大学大学院 工学研究科 通信工学専攻 修士課程修了後、日立製作所 中央研究所 入社。次世代無線通信システム(3G、4G、5G、コグニティブ無線)の研究開発及び、3GPP、IEEE802等の国際標準化活動に従事した後、ネットワークシステム、コネクティビティ、ITプラットフォーム分野における研究開発及びそのマネジメントに従事。2018~2019年、本社 戦略企画本部 経営企画室 部長、2020年より研究開発グループ デジタルテクノロジーイノベーションセンタ長、2021年より同デジタルプラットフォームイノベーションセンタ長、2023年よりデジタルサービス研究統括本部 統括本部長を経て、2025年4月より現職。
IEEE、電子情報通信学会(シニア) (IEICE)、情報処理学会(IPSJ)、各会員。博士 (工学)
![画像3: [Vol.2]ロボットはどこまで人間に近づくのか。逸脱と創造性、人間の役割とは│今井むつみさんと考える、人間とAIの創造的思考](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783605/rc/2026/03/19/4a22fe552d01bed853659df9d2d830ac52385bfa.jpg)
守屋俊夫
日立製作所 研究開発グループ
Digital Innovation R&D モビリティ&オートメーションイノベーションセンタ
技術顧問
日立製作所入社後、システム開発研究所にてマルチメディアシステム、コンピューターグラフィクス、画像処理の研究開発に従事。その後、基礎研究所にて空間情報処理の研究開発、中央研究所ならびにテクノロジーイノベーションセンタにて、人工知能、人間・空間計測、ロボット、物流システムシステムなどの研究マネジメントに従事。電子情報通信学会、情報処理学会、IEEE各会員。博士(工学)。
![画像4: [Vol.2]ロボットはどこまで人間に近づくのか。逸脱と創造性、人間の役割とは│今井むつみさんと考える、人間とAIの創造的思考](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783605/rc/2026/03/19/dfc283867e1792ab71e9ea36e913c6746c69ef5c.jpg)
吉永智明
日立製作所 研究開発グループ
Digital Innovation R&D 先端AIイノベーションセンタ
ビジョンインテリジェンス研究部 部長
日立製作所入社以来、画像認識・映像解析AIの研究開発に一貫して従事。民生用ビデオカメラ向けの顔認識技術や、米国鉄道会社向けのアセット管理の映像解析技術の研究に従事。2015-2018年日立アメリカラボ研究員。2024年4月より現職。社会インフラを支えるフロントラインワーカーの課題解決を支援するマルチモーダルAIとメタバースの研究をプロジェクトを牽引。
関連リンク
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