
宇宙航空研究開発機構(JAXA)研究開発部門 システム技術ユニット 研究開発マネージャの小澤悟さん
宇宙インフラは「社会を便利にする」ためにある
舟根:
本日は、通信やエネルギー、気候変動などさまざまな分野での注目が高まっている「宇宙インフラ」をテーマに議論したいと思います。私たち日立では、IT(情報技術)、OT(制御・運用技術)、プロダクト(製品)を活用して社会課題を解決するさまざまな社会イノベーション事業を展開していますが、これからの社会インフラは宇宙空間を含めて最適化していく必要があると考えています。私たち研究開発グループでは、人工衛星を活用した地球観測などによる社会課題の解決に向けた研究を進めていますが、小澤さんや鳥阪さんが取り組んでいる大型宇宙構造物の研究やプロジェクトが、宇宙インフラとどのように関わっているのか、その最前線からぜひ伺わせてください。
小澤さん:
宇宙インフラを語るためには、そもそも宇宙工学がどのように発展してきたのかを考える必要があります。宇宙工学の歴史を振り返ると、最初は通信衛星を作ることから始まっています。1960年にNASA(アメリカ航空宇宙局)が打ち上げた世界初の受動型通信衛星「Echo 1」は、巨大なアルミの風船のような形でしたが、人間の社会生活を便利にしようという目的で開発されました。
現在、宇宙には通信衛星だけでなく、放送衛星や気象衛星、観測衛星など数多くの人工衛星が飛んでいますが、ほとんどが私たちの社会をより良くするためのものです。ですから、人工衛星自体を「宇宙インフラ」と呼んでよいでしょう。
舟根:
私たちが地上で当たり前のように使っているサービスも、宇宙インフラに支えられているわけですよね。一方で、それらの機能を高めるために「大型宇宙構造物」が必要になってくると思いますが、具体的にはどのようなものがあるのでしょうか。
小澤さん:
大きく分けると、2つの方向性があると考えています。1つは、技術試験衛星ETS-VIII(きく8号)などに搭載されている「大型アンテナ」です。これは大容量の通信を可能にするためのものであり、まさにインフラのための大型構造物と言えます。もう1つは「国際宇宙ステーション」のような、人間が居住するための巨大な構造物です。こちらも非常に巨大ですが、人間の活動や社会を支えるという意味でインフラの一部といえますね。

日立製作所 研究開発グループ Next Research 宇宙プロジェクト リーダ主任研究員の舟根司
「構造」でつなぐか、「フォーメーションフライト」か
舟根:
宇宙に何らかの設備を配置するためには、それを支える「構造」が重要になり、さらに高い性能を出すために、システム全体が「大型化」していますよね。
小澤さん:
そうですね。宇宙空間で離れた位置に物を置く方法は、いくつかのパターンが存在します。例えば、比較的距離が短く、かつ、高い精度が必要とされる場合には、物理的な「構造」を使って支えます。一方、複数の小型衛星を連携させて、1つの大きなシステムのように振る舞わせる「フォーメーションフライト」という手法もあります。さらに、多数の人工衛星同士をより遠い距離で、ネットワークとして連携して機能させる「コンステレーション」という手法で対応したりします。
私たちは構造の専門家として、「どのような場合に物理的な構造を使うべきか」「どこから先はフォーメーションフライトなどの手法に任せるべきか」といった研究をしてきました。
伊藤:
鳥阪さんは、ご自身の研究と宇宙インフラの関わりをどのように捉えていますか。
鳥阪さん:
小澤さんのご説明の通り、宇宙インフラは通信から始まり、生活インフラや社会インフラ、さらに情報インフラの役割を担うように発展してきました。今ではそれが細分化され、通信用や観測用などそれぞれの役割に特化しつつあります。そんな中で私は、シンプルなユニットを組み合わせて、最終的に巨大なシステムを作り上げる「宇宙ヒエラルキー構造」という技術を学んできました。それを生かして、大型構造物の物理的な結合をシンプルにしつつ、必要とされる精度をどのように実現するかというテーマを長年研究しています。

東京都立大学 システムデザイン学部 航空宇宙システム工学科 准教授の鳥阪綾子さん
わずか「2.4ミリ」宇宙で求められる極限の精度
伊藤:
近年では、通信や観測だけでなく「宇宙データセンター」なども新たなインフラとして注目され始めています。そうした中で、高い精度が必要な宇宙構造物として真っ先に思い浮かぶものは何でしょうか。
小澤さん:
データセンターに関して言えば、箱型のものを作って、その中に計算機を配置する形になります。宇宙ステーションの構造に近いので、極限の精度は必要ないかもしれません。
鳥阪さん:
私たちが精度で一番苦しむのは、周波数の高い電波を使った通信や観測を行う場合ですね。
舟根:
ここで必要になる「精度」とは、具体的にはどのようなものでしょうか。
小澤さん:
アンテナの場合で説明しましょう。理想的なアンテナの形はパラボラ曲面(二次曲面)ですが、私たちが問題にするのは、その数式上の理想的な曲面と、実際に宇宙で作られたアンテナの曲面との「差」です。
例えば、先ほど挙げたETS-VIIIのアンテナは、19メートル×17メートルという広大な面積の全体にわたって、数式上の理想の曲面と比べて許されるズレは、わずか2.4ミリにすぎません。2.4ミリといえば、500円玉1枚分程度の厚さです。極めて高い「精度」が必要になるわけです。

日立製作所 研究開発グループ Next Research 宇宙プロジェクト 研究員の伊藤真
地球ではテストが難しい「宇宙構造物」
舟根:
その巨大さでミリ単位の精度が求められるわけですね。地上で構造物を作るときも精度は求められますが、アンテナなどの構造物を宇宙へ送って、そこで展開する際の特有の難しさとはどんなことでしょうか。
鳥阪さん:
一番の根本的な課題は「地球ではテストが難しい」という点です。約20メートルもの構造物を地上で広げてテストしようと思っても、宇宙空間と同じ条件は作れませんし、広げられる場所もなかなかありません。
以前、14メートルの四角形の膜面を宇宙で広げる「宇宙ヨット(ソーラーセイル)」の実証プロジェクトがあったのですが、そのときは早朝のスケートリンクを借り切って、一気に広げてすぐに撤収する、という苦労をしながらテストしていたのが語り草になっているくらいです。
舟根:
スケートリンクですか。実は私も学生時代、観測ロケット「S-310」を使った大型網構造物の展開実験に携わったことがあります。当時はスムーズな展開を検証するために、大学の体育館で広げてテストしたことを思い出しました。地上での検証の難しさは、宇宙開発における普遍的なテーマですね。小澤さんが関わった技術試験衛星「ETS-VIII」の大型展開アンテナの場合は、いかがでしたか。
小澤さん:
地上では、空間の制約などから目的とする試験を行うことが難しいため、宇宙空間でどのような動きをするかを計算機の中のシミュレーションで検証するしかありません。しかし当時は、骨組みと膜でできた展開アンテナが広がっていく動きを解析できる理論もプログラムも、存在しなかったのです。
ですから、解析ツールを自ら作るところから始めたのが、一番大変でした。計算機の中での理想的な解析と、地上の限られた試験とのギャップをどうやって埋めて、お互いに補完しながら軌道上での展開を保証するか。そのすり合わせに非常に苦労しましたね。
伊藤:
私は以前、日立で鉄道車両の設計を担当していたのですが、交通インフラの世界も、車両を成立させる上で、非常に厳しい精度が要求されています。しかし、解析技術が向上し、シミュレーション技術が進化するにつれて、安心・安全は最優先としつつも最終的に走行できるようにするために本当に必要な精度はどの程度なのか、電気や台車などの他専門家や運行会社と議論し、構造のスリム化や軽量化など挑戦的な設計をしていくプロセスがありました。それを今、まさに宇宙の領域でやろうとしているのですね。
鳥阪さん:
まさにその通りです。宇宙でも、2.4ミリという厳しい要求に対して「本当にそれが必要か?」という疑問がありました。本来、こういう数値は、構造計算と電波理論を一緒に検証して算出すべきですが、構造と電波の専門家同士がコミュニケーションをとるような場がありませんでした。そこで、日本機械学会の「展開アンテナ研究会」という異なる分野の専門家が集まる場が立ち上がりました。
小澤さん:
実は、人工衛星において最終的に求められるのは、アンテナの鏡面精度そのものではなく、「どれだけ強い電波が出せるか」という成果です。「最終的にアンテナの機能として使えればいい」というゴールに向けて、現在では構造と電波の両方を一体的に考えて、一緒に検証していく動きが進んでいます。海外に目を向けると、実はそれは当たり前だったりするんですね。
──次回は、アメリカのカリフォルニア工科大学(Caltech)での研究経験を持つ小澤さんと鳥阪さんが、日米の研究文化の違いについて語ります。圧倒的なスピード感と自由な発想の裏側にあるものとは?(Vol.2へ続く)

宇宙インフラをめぐる座談会は、茨城県つくば市のJAXA筑波宇宙センターで開かれた
取材協力/JAXA筑波宇宙センター 展示館「スペースドーム」
![画像1: [Vol.1] 500円玉1枚の誤差に挑む|宇宙インフラの未来図](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783605/rc/2026/07/28/a49f78b6885f7109ba17dd2dbeb1d26497eb8e29.jpg)
小澤 悟
宇宙航空研究開発機構(JAXA)研究開発部門 システム技術ユニット 研究開発マネージャ
2001年東京工業大学総合理工学研究科修了(博士(工学))。2001年日本電信電話株式会社未来ねっと研究所構造研究グループ入社。2001年~2003年、通信衛星用大型展開アンテナの研究に従事。2003年宇宙開発事業団(現宇宙航空研究開発機構)入社。以降、大型静止通信衛星「WINDS」の開発、大型展開アンテナの研究、および人工衛星・探査機の研究開発に従事。2010年~2011年カリフォルニア工科大学客員講師。2020年~2024年日本機械学会宇宙工学部門展開アンテナ研究会主査。JAXAスタートアップ「Origami/ETS」代表。東京科学大学特定教授。AIAA (アメリカ航空宇宙学会) Spacecraft Structures Technical Committee, Associate Fellow。
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鳥阪 綾子
東京都立大学システムデザイン学研究科 航空宇宙システム工学域 准教授
2010年早稲田大学理工学術院機械工学専攻(博士(工学))。2010年~2011年、カリフォルニア工科大学 客員研究員として構造結合機構の概念検討に従事。2021年~2022年、ペンシルバニア州立大学 客員研究員として機能性材を用いたアンテナ設計に従事し、現在は軌道上システム用途の要素技術と宇宙大型構造との融合に関する研究に取り組む。2008 Amelia Earhart Fellowships (The Zonta International)。
![画像3: [Vol.1] 500円玉1枚の誤差に挑む|宇宙インフラの未来図](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783605/rc/2026/07/28/e854aedbaf3ff5e8bde2d621716dd1c5c9129a16.jpg)
舟根 司
日立製作所 研究開発グループ Next Research 宇宙プロジェクト リーダ主任研究員
2006年東京大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻修了(修士(工学))。2012年慶應義塾大学大学院理工学研究科修了(博士(工学))。2006年株式会社日立製作所入社。2006年~2022年、近赤外分光法をベースとした光脳機能計測技術及び光生体計測等の研究開発に従事。2022年より航空宇宙向け観測技術の開発や、宇宙ビッグデータおよび宇宙エネルギーの活用に関する基礎研究開発に従事。2015年日本生体医工学会新技術開発賞、2015年計測自動制御学会技術賞、2019年関東地方発明表彰文部科学大臣賞受賞。技術士(航空・宇宙部門、総合技術監理部門)。
![画像4: [Vol.1] 500円玉1枚の誤差に挑む|宇宙インフラの未来図](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783605/rc/2026/07/28/04c787acf4610b176c801a86262139aef056923c.jpg)
伊藤 真
日立製作所 研究開発グループ Next Research 宇宙プロジェクト 研究員
博士(工学)。2017年株式会社日立製作所鉄道ビジネスユニット入社。2017年~2022年、国内および海外鉄道車両の設計・開発業務に従事。2022年より宇宙情報活用及び宇宙エネルギー活用に関する基礎研究開発に従事。2026年東京大学大学院工学系研究科修了(博士(工学))。日本航空宇宙学会宇宙利用部門委員。






