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近年のAI(人工知能)の進化はすさまじく、ますます素早く、効率的かつ効果的な答えを返すようになりました。すでに人智を超えている、という意見もあります。しかし、データやルール上の正しさだけを基準に人の心は動くのでしょうか。人の心に本当に共鳴するAIを開発するためには、人間の脳や心を深く理解すべきではないか——そんな発想のもと、脳情報通信融合研究センター長の北澤茂さんと、東京大学 ニューロインテリジェンス国際研究機構 特任教授の長井志江さん、そして、日立製作所 研究開発グループ ビジネスアーキテクチャ研究部の小幡亜希子が「人に寄り添うAI」をテーマに語り合いました。
画像: 東京大学 ニューロインテリジェンス国際研究機構 特任教授の長井志江さん

東京大学 ニューロインテリジェンス国際研究機構 特任教授の長井志江さん

心をつくるのは、脳だけではない

小幡:
AIは近年、驚くほど便利になっていますが、社会課題といった広い範囲の問題解決には、まだ十分活用できているとは言い切れない気がします。日立では、環境・幸福・経済成長が調和する「ハーモナイズドソサエティ」の実現に貢献することを経営ビジョンに掲げていますが、社会全体の問題を解決していくうえで重要なのは、人間を中心に考えることだと思います。こうした観点で考えたとき、いまのAIには何が足りないのでしょうか。

長井さん:
私が専門としているのは「認知発達ロボティクス」という分野で、人間がどのように知能を獲得していくのかをロボットやAIを用いて構成的に研究し、そこで得られた知見をロボットやAIの開発に生かそうとしています。最近は、まるで心があるかのように振る舞うAIが出てきていますが、そもそも心って何だろうと考えています。そんな中で思うのは、心は脳だけではない、ということです。

小幡:
「脳だけではない」というのは、どういうことでしょうか。

長井さん:
心はどこに宿るのか。脳だけでなく、身体も重要だということです。私たち人間は、身体があるから世界と関わることができます。体調が変わると、考える力も変わりますよね。身体を含めて知能であり、身体を含めて心である。いまのAIにはそこが足りないのかなと思います。

北澤さん:
つまり、いまのAIには身体がない。だから人に寄り添う心を持てない、ということですね。

長井さん:
はい、そういうことです。

北澤さん:
逆にいうと、AIに身体さえ与えれば、心を持つようになりますか。

長井さん:
そこが、難しいところなんです。身体があることも大事ですが、人間には、身体を通して積み重ねてきた、一貫した個別の経験があります。その経験こそが、AIでいう学習データにあたるわけです。

画像: 大阪大学教授で、脳情報通信融合研究センター(CiNet)の研究センター長を務める北澤茂さん

大阪大学教授で、脳情報通信融合研究センター(CiNet)の研究センター長を務める北澤茂さん

AIに身体があれば、心は宿るのか

小幡:
私がいま研究開発に取り組んでいる「Brain-inspired AI」は、人間の意図や感情を理解し、人に寄り添うことのできるAIの実現をめざしていますが、人間の理解には、身体を通した経験が必要なのでは、ということですね。

長井さん:
ロボットが身体を持って、周囲の環境を見たり、触れたり、動いたりという経験をする。その記録が学習データになって、ロボットの脳であるAIを構成し、次の行動を形作っていく。この経験と学習のループが繰り返されることで初めて、身体を持った知能と言えるのだと思います。

北澤さん:
私も、その意見に賛成です。人とAIで決定的に違うのは、育ち方です。生まれてから、どう発達してきたか。いまのAIは、そこが人と大きく違う。それが、人の心に寄り添うことを妨げていると思います。

小幡:
いまのAIの学び方は、人が言葉を覚えていく順番とは、ずいぶん違いますよね。

北澤さん:
まったく違います。人は、言葉を全く知らない状態で生まれてきて、無垢な目で世界を見て、脳が世界に慣れてきたころに、ようやく言葉が入ってくる。でも、いまのAIは、順番が逆です。いきなり大量の穴埋め問題をさせて、脳に知識を詰め込んでいく。

最近はフィジカルAI、すなわち「身体を持つAI」も出てきていますが、詰め込み教育をしたあとに身体を与えるようなアプローチです。しかし人と順番が逆では、うまくいかないのではないでしょうか。

小幡:
順番が違うだけで、そこまで変わるものでしょうか。

北澤さん:
変わると思いますよ。裏を返せば、学ばせ方を工夫すれば、かなりいい線までいくのではないか。心も持ちうるのではないか。それが、僕の漠然とした考えなんです。

画像: 日立製作所で、人間理解を軸にした「Brain-inspired AI」を研究している小幡亜希子

日立製作所で、人間理解を軸にした「Brain-inspired AI」を研究している小幡亜希子

デカルトが探した「心のありか」

北澤さん:
私がセンター長を務めるCiNet(脳情報通信融合研究センター)では、「見て、聞いて、感じて、人のように思いやることができる心を持ったAIをつくる」ことを目標に掲げています。

小幡:
心はどこに宿るのか、という問題につながりますね。

北澤さん:
17世紀に、デカルトが『人間論』という本を書いています。その中で、人はソウル(魂)とボディ(身体)からできている、と記しています。そしてソウルは、脳の真ん中にある小さな器官、いまの言葉でいうと「松果体(しょうかたい)」に宿ると書いてある。神経科学の教科書では、科学が未熟だった時代の話として、少し不当な扱いを受けているのですが。

長井さん:
その説をどう捉えていますか。

北澤さん:
考え方としては、賛成なんです。ソウルが松果体に宿るかどうかではなくて、なぜデカルトがそこを選んだか、という点が重要です。脳の器官は、たいてい左右に一つずつあります。ところが松果体は、真ん中に一つだけあって、目や耳から入ってくるいろいろな情報を統合する場になっているように見えます。

長井さん:
実際に、そこへ集まっているんですか。

北澤さん:
いえ、松果体には集まりません(笑)。でも、脳の中で情報が一番集まる場所はどこか。それを突き止めれば、心が宿る場所が見えてくるだろうと思っています。

画像: 北澤さんは「機械としての脳に、どのようにして心が宿るのか」というデカルトの問いに触発されて、脳の探究を続けている

北澤さんは「機械としての脳に、どのようにして心が宿るのか」というデカルトの問いに触発されて、脳の探究を続けている

感情は、身体の内側から生まれる

長井さん:
私も最近、感情の研究をしています。ただ感情は揺れやすくて、工学の研究者からすると、測りにくくて、捉えどころがない。そこでまず、身体の内側の感覚から調べ始めました。

小幡:
身体の内側というのは、具体的にいうと、どんな感覚ですか。

長井さん:
心臓の鼓動や、お腹の空き具合ですね。身体の内側の感覚に注目したきっかけは、発達障害の当事者の方々との議論でした。発達障害というと、コミュニケーションが苦手であったり、光や音を強く感じたりといった、周囲との関わりや外からの刺激への過敏性がよく知られています。でも、発達障害を抱えている当事者に聞くと、困っているのはむしろ内臓に対する知覚なんだそうです。

お腹が空いたことに気づけない。自分の鼓動がわからない。逆に敏感すぎて体調を崩す。あるいは崩していることに気づかず、働き続けてしまう。だから内臓が大事なんですよ、と教えられました。

小幡:
外側から受ける感覚ではなく、内臓からの感覚や信号が、感情ともつながっているんですね。

長井さん:
そう考えています。水を見て「水だ」と認識することと、いま悲しいなと感じることは、実は同じ仕組みなのかもしれない。外から入る情報か、身体の中から入る情報かが違うだけで、脳の中で起きていることは似ているのではないか、と。

北澤さん:
身体の内側の感覚に目を向けるのは、心に寄り添うAIを実現するには欠かせない視点ですね。

小幡:
脳と腸がつながっているという話も、ずいぶん前から言われています。AIに身体を持たせようとしたとき、神経系・内分泌系・免疫系活動のような、人間ならではの生体機能の恒常性や揺らぎまで再現できるものでしょうか。

長井さん:
努力はしています。ただ正直にいうと、画像処理や音声認識の研究に比べると、それほど進んでいないのが現状です。

北澤さん:
感情を表す言葉には、よく「腹」が出てきますよね。腹が立つ、腑に落ちる。腑というのは、内臓のことです。

長井さん:
感情と身体の関係を調べた有名な研究があります。約700人という規模で、人の形をした絵を見せて、特定の感情を感じたときに活動が高まる身体の部位を赤で塗ってもらいつつ、活動が低下する部位を青で塗ってもらうんです。

結果が、驚くほど直感と合っていました。怒ったときは上半身が赤くなる。悲しいときは手足が青くなる。嬉しいときは、胸のあたりが赤い。

小幡:
言葉のとおりなんですね。

長井さん:
「腹が立つ」という言葉は、単純な比喩ではないようなんです。言葉が先にあったのではなく、身体の反応が先にあって、それが言語として表現された。「頭に血が上る」「腑に落ちる」という言い方も、同様に捉えられます。

北澤さん:
その腹の感覚が、いまのAIには抜け落ちている。「腑に落ちるとはどういうことか」とAIに聞けば、正確な説明が返ってくるはずです。でも、たぶん本当のところはわかっていないでしょうね。

──AIに欠けているのは「身体」であり、身体を通じた「育ち」だった。では、AIをどう育てれば、人に近い心が宿るのでしょうか。次回は、AIの育て方をめぐる議論へと進みます。

画像: 木製の家具と本に囲まれた、暖かみのある空間で、「人に寄り添うAI」について議論した

木製の家具と本に囲まれた、暖かみのある空間で、「人に寄り添うAI」について議論した

取材協力/KAIDO books & coffee

画像1: [Vol.1] AIに足りない「腹が立つ」感覚|人に寄り添うAIはどう生まれるか

北澤 茂
脳情報通信融合研究センター(CiNet)研究センター長/大阪大学教授

専門は神経科学、認知神経科学。大阪大学大学院生命機能研究科および医学系研究科で教授を務めるかたわら、CiNetのセンター長として、「見て、聞いて、感じて、思いやることができる心」を持ったAIの実現を目標に掲げ、脳と情報通信を融合させた研究を率いる。人の脳の仕組みに学び、大規模な計算資源に頼らない知能のあり方を探究している。博士(医学)

画像2: [Vol.1] AIに足りない「腹が立つ」感覚|人に寄り添うAIはどう生まれるか

長井 志江
東京大学 ニューロインテリジェンス国際研究機構 特任教授

専門は認知発達ロボティクス。赤ちゃんが世界を認識し、知能を発達させていく過程をロボットやAIの上で再現することで、その仕組みを理解する研究に取り組む。近年は、心拍や呼吸といった身体の内側の感覚が、感情や他者との共感をどう立ち上げるかに注目。発達障害の当事者と協働し、一人ひとり異なる認知のあり方を計算モデルで再現する研究も進めている。博士(工学)

画像3: [Vol.1] AIに足りない「腹が立つ」感覚|人に寄り添うAIはどう生まれるか

小幡 亜希子
日立製作所 研究開発グループ Digital Innovation R&D システムイノベーションセンタ ビジネスアーキテクチャ研究部 主任研究員

脳・生体計測技術の研究開発を経て、ヘルスケア分野の研究に従事。2023年5月から2025年6月まで文部科学省研究振興局に出向し、科学技術の動向分析にもとづく事業の設計に携わる。現在は日立製作所で、人間理解を軸にした「Brain-inspired AI」の研究構想を推進している。博士(医学)

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