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粘菌の行動を研究している北海道大学電子科学研究所 教授の中垣俊之さんと、新概念のコンピューティング技術の開発に取り組む研究開発グループの山岡雅直が対話し、社会課題を数理で解くことについて探る本対談。Vol.2では、それぞれの専門領域から、解くべき課題の仕立て方や、社会課題へのアプローチについて語ります。

[Vol.1]数理モデルには、言葉を超えた奥深さがある
[Vol.2]人間の社会活動を数理モデルで捉え直す
[Vol.3]これからのコンピューターに求められるのは、「ざっくり」と「精密」のバランス

粘菌の行動アルゴリズムが新しい技術をつくる?

――粘菌の研究のなかには、社会課題にアプローチするようなこともあるのでしょうか?

中垣さん:
粘菌がつくるような、ローカルな流量強化則(流れの活発な管は太くなり、そうでない管は細くなる)というルールに従って全体が発展していくネットワークを、僕たちは「適応ネットワークモデル」と呼んでいます。現状は、そういうものを社会課題の解決に直接役立てているわけではないのですが、一例として考えられるのはカーナビゲ―ション・システムでしょうか。いま普及しているカーナビは、まさに全体を俯瞰してルートの組み合わせを効率よく、無駄なく探すという、非常に優れたアルゴリズムが用いられていると思います。そのアルゴリズムの代わりに適応ネットワークモデルを用いると、従来とは違う方式でルートを選び出していくことが可能です。

それがいまの技術を上回るほど良いものかどうかは別として、適応ネットワークモデルは野外の変動環境のなかで生きるためにうまく動いている粘菌の行動をもとにしたものなので、たとえば渋滞の状況など、刻々と変化していく環境条件に応じて、常にリルートし続けることに適しています。そういう特徴をうまく活かせるような社会課題があれば、もしかしたら粘菌方式のアルゴリズムが役立つ局面が出てくるかもしれません。

山岡:
まさにおっしゃる通りで、うまくはまるものが出てくるかもしれませんね。質問なのですが、粘菌の行動に“揺らぎ”のようなものが生じることはあるのでしょうか? というのは、たとえば渋滞しているときに、最短の道を行こうという人もいれば、遠回りでもいいから少しでも空いているほうに行こうという人もいる。いろんなルートを進む人が混ざり合って、結果として全体が流れていくような気がするんです。一定のアルゴリズムだとみんな同じルートをたどってしまいそうですが、粘菌だと考え方に揺らぎはあるのかなと。たとえば時と場所によって異なるなど、多様性が出てくるのでしょうか?

中垣さん:
本物の粘菌を見ている限りは、いろんな揺らぎやばらつきのようなものはたしかにあります。そういうものをアルゴリズムに組み込んでいくと、もっと多様な答えが出てくるのかもしれません。

ただ冒頭で申し上げた通り、ものごとを数理モデル化するときにはかなり単純化します。実際は揺らぎや流量強化のさじ加減みたいなものも、時間や場所によって決して同じ形ではありませんが、そのあたりを全部切り捨ててつくっているのが大元の数理モデルなんです。

山岡さんがおっしゃるように、揺らぎを反映するとさらに興味深い点が出てくると思いますので、それを大元になるモデルに組み込む形でモデルを拡張していくと、より数理モデルがしっかりしていくと考えています。

画像: 「数理モデルに“揺らぎ”を取り入れてみるのもおもしろいですね」と中垣さん

「数理モデルに“揺らぎ”を取り入れてみるのもおもしろいですね」と中垣さん

課題を仕立てるための入口になるもの

――社会課題などの複雑な問題を解くためには、具体的な「課題」を仕立てることが重要だと聞きました。山岡さんが課題を仕立てるときは、どういったことを入口にするのでしょうか?

山岡:
僕の場合は、お客さまがなにに困っているかというところがスタートになります。私たち研究開発グループの大きな特徴は、単に技術を研究するだけではなく、お客さまと一緒になって“協創”すること。国分寺にある研究所の敷地内に協創棟という建物があるのですが、そこにお客さまにお越しいただいて、なにに困っているのかを深い対話を通して見つけていきます。そうすると、技術をどのようなところに使うべきなのかといった研究課題が見えてくる。ときにはお客さま自身も気がついていなかった課題が浮かび上がることもあります。

画像: 研究開発グループの課題の仕立て方について説明する山岡

研究開発グループの課題の仕立て方について説明する山岡

中垣さん:
私はビジネスの現場ではなく大学で研究を行っているので、より長期的に物事を捉え、あえて課題から一歩引いて考えるようにしています。そして、そもそもその課題はどうして発生してしまうのか、どういう仕組みなのかを調べることで、社会の在り方を見直すことにつながるようなものを提供するべきなのかなと。

最近、数理地理学という新しい学問を推し進めている青木高明先生(当時は香川大学、現在は滋賀大学 データサイエンス学部 准教授)の研究チームに入れていただいて、粘菌で学んだことを別角度から大きく展開できる共同研究に参加させていただきました。青木先生がリーダーを務め、イタリアの街と交通網の配置を適応ネットワークの考えで再現するという研究プロジェクトです。長年、「どのような場所に街や道が発展するのか?」という問いに対して、山や河川・海などの地形条件は重要であると議論されてきましたが、その定量的な測定はできていませんでした。この数値実験では、イタリアの歴史的経緯も踏まえながら、地形にあわせて粘菌のモデルを大きく拡張。古代ローマ時代から現代までの約1800年間について、そのときどきの地形条件を課し、街と交通網が実際と同じ形に形成されるかどうかを、これまでの青木先生の研究にもとづいて検証しました。

実験の結果、現在のイタリアの大きな街の配置はおおむね再現されました。ただし、大きさがちょっと違っていたりする。用いたモデルに比べると大きくなりすぎてしまった街があったりしました。そんなふうに、交通網と集住地がなんらかの仕組みのもとに発展していく様子を調べ、どこにどうやって集住地ができるのかを捉え直してみようと。これがすぐさまなにかの社会課題の解決に役立つわけではないかもしれませんが、長い時間、大きい空間のスケールで行われている人間の社会活動を、数理モデルによって捉え直すことができることを示す一例です。

画像: 古代ローマ時代から現代までの人口分布をシミュレーション。地形条件を段階的に現実のものに近づけていくと、実際の人口分布と近い状況が再現されるようになった。香川大学青木高明准教授ら提供 (T. Aoki et al., “A model for simulating emergent patterns of cities and roads on real-world landscape”, Scientific Reports, 12:10093, pp.1-12 (2022))

古代ローマ時代から現代までの人口分布をシミュレーション。地形条件を段階的に現実のものに近づけていくと、実際の人口分布と近い状況が再現されるようになった。香川大学青木高明准教授ら提供
(T. Aoki et al., “A model for simulating emergent patterns of cities and roads on real-world landscape”, Scientific Reports, 12:10093, pp.1-12 (2022))

――対談の最終回となる次回は、複雑な社会課題を読み解いていくために重要な視点と、これからのコンピューターの在り方について語り合います。

画像1: [Vol.2]人間の社会活動を数理モデルで捉え直す|社会課題は数理で解けるのか?

中垣俊之
北海道大学電子科学研究所 物理エソロジー研究室 教授

粘菌をはじめとした単細胞生物の知性を研究している。北海道大学薬学研究科修士課程修了後、製薬企業勤務を経て、名古屋大学人間情報学研究科博士課程修了。理化学研究所基礎科学特別研究員、北海道大学電子科学研究所准教授、公立はこだて未来大学システム情報科学部教授を経て、2013年より現職。2017年から2020年まで北海道大学電子科学研究所所長を務める。2008年と2010年の2度、粘菌の研究でイグ・ノーベル賞を受賞。著書に『考える粘菌 生物の知の根源を探る』がある。

画像2: [Vol.2]人間の社会活動を数理モデルで捉え直す|社会課題は数理で解けるのか?

山岡雅直
日立製作所 研究開発グループ デジタルサービス研究統括本部 計測インテグレーションイノベーションセンタ エッジコンピューティング研究部 部長 兼 量子応用推進室 室長

研究開発グループにて、2013年のCMOSアニーリング技術開発開始時より本技術の研究開発を推進。社内のCMOSアニーリングやその他エッジ技術の研究開発を推進するとともに、顧客との協創活動やNEDO委託事業、未踏ターゲットプログラム、北大の客員教授としての人材育成などに関わり、新しいコンピューティング技術の普及に努めている。博士(情報学)、IEEE会員。

[Vol.1]数理モデルには、言葉を超えた奥深さがある
[Vol.2]人間の社会活動を数理モデルで捉え直す
[Vol.3]これからのコンピューターに求められるのは、「ざっくり」と「精密」のバランス

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