[Vol.1]数理モデルには、言葉を超えた奥深さがある
[Vol.2]人間の社会活動を数理モデルで捉え直す
[Vol.3]これからのコンピューターに求められるのは、「ざっくり」と「精密」のバランス
人間のバイアスを数理で乗り越える
――今後、数理的なアプローチやコンピューターが力を発揮しそうな社会課題の分野はありますか?
山岡:
社会がどう発展していくかを考えるとき、いまはすごく膨大な数値計算をして、スーパーコンピュータなどで非常に大規模なシミュレーションをするという方法が一般的かと思います。でも、もっと単純な数理モデルをコンピューター上で再現することで、人間が考えていかなければならない未来を予測できる方法もあるのかなと。そのときに、たとえば粘菌の行動アルゴリズムのようなものも生かせるのではないかと感じました。
中垣さん:
当然、コンピューターはこの先も使われていきますし、私たちの生活のなかにもっと入り込んでいくことは間違いないと思います。私自身はそれについて明確なビジョンがあるわけではないのですが、はたしてどんなふうになっていくんだろうと、恐る恐る構えつつも、半分はワクワクしながら待っているというところです。
数理モデルでいうと、気象の話もわかりやすいかもしれません。最近は、線状降水帯がどのあたりにいつ頃出るかという予測が、かなり高い精度で計算されるようになったと聞きます。一方で、複雑な現象をざっくり捉えるという方向も、難しいけれど非常に大事だと考えています。たとえば、ノーベル物理学賞を取られた真鍋淑郎先生がつくられた地球温暖化の気候モデルがありますが、十分な計算量を持たせつつ、一方では気象現象の面は大きく削ぎ落とすことで状況を単純化して捉えることができている、非常に画期的なモデル化の例だと思います。
これから人間社会では、複雑な課題が次々に出てくるはずです。課題を解像度高く、きめ細かく解決するための数理モデルも必要である一方で、そうした社会の変化を、粗い解像度でざっくりと捉えることも同時に重要になると思うのです。両方が相補的に関係づくことで、はじめて真実に近い捉え方ができるのではないでしょうか。人間がものごとを捉えるときにはどうしてもバイアスがかかるので、それをどうやって乗り越えていくかというのが、いま問われているところなのかなと思います。
さまざまな解像度で捉えることで、複雑な社会課題を読み解く
――将来、コンピューターがどのように発展していくと社会課題が解きやすくなると考えますか?
山岡:
冒頭でお話しした通り、これまでのコンピューターはプログラムさえつくればさまざまな問題が解けるというもので、コンピューターの計算速度が速くなれば同じプログラムでも問題を解くスピードが上がるため発展してきたのですが、コンピューター自体の計算速度を速くすることが難しくなってきており、今後は発展するのがなかなか難しいと考えられています。なので近年は、特定の分野に絞り、その分野だけはすごく速く解けるというコンピューターが出てきています。そこで重要になるのは、中垣さんがおっしゃった「ざっくりと捉える」ことと「精密に捉える」こと、その組み合わせがますます重要になるんじゃないかと。
CMOSアニーリングも、世の中をざっくりと捉えるところが特徴のひとつで、そこが話題になったところでもあるんです。コンピューターを社会実装していこうとすると、使う人によって気になるポイント、改善してほしいポイントがいろいろと出てきます。だからこそ、多くの人が使いやすい「ざっくりとしたもの」と、人によって異なるニーズに合わせた「精密なもの」のバランスをうまくとっていくことで、この先の社会課題の解決に貢献するコンピューターができてくるのではないかと思いました。
中垣さん:
汎用的なものと、個別に対応できるもののバランスということですね。後者は、まさにこれから求められる方向性だと感じました。全体をざっくり捉えるということと、きめ細かく解像度の高いインターフェースを両立させるようなものができたら大変すばらしいことです。おそらくそう簡単なことではないと思いますが、複雑な社会課題を読み解くためにはそういうアプローチが求められるんじゃないかと思いました。
山岡:
「ざっくり」と「精密」の両方ができるのは、やっぱり数理があるからですよね。ざっくり捉える数式もあれば細かく見る数式もあり、それらを使ってものごとをきちんと数式に落とす、数理で定義するからこそ実現できるのだと思います。
中垣さん:
一方で、コンピューターがより日常的になってくるという点では、たとえばスマートフォンは非常に大きな技術革新ですし、これによって生活は大きく変わりつつあると思います。ただ、反対にそういうものにアクセスできない人も少なからずいて、行政サービスや産業的なサービスからも取り残されていくという課題もあります。インクルージョンの視点から見ても、すべての人が社会の発展を享受できるようなシステムができていったらいいですよね。
山岡:
それはすごく大事ですよね。それから、技術を意識しなくても使えるようにするのも大事なのかなと。もともとパソコンがないとできなかったことも、スマートフォンが出てきてお年寄りでも使えるようになってきました。でもやっぱり、まだまだ難しいところもありますよね。誰でも使えるっていうのはすごく大事で、そこをどうやって実現していくかはこれからも引き続き考えていかなくてはいけないと思います。
生き物の認知活動の解明は、コンピューターの発展にもつながる
中垣さん:
まだまだ上手な生き物の情報処理の方法はたくさんあると思います。たとえば「人間は人の顔をどうやって認知しているか」。最近は機械でも判別できるようになりましたが、我々自身がどうやっているかはいまだによくわからないんです。
似た例では、野球でフライボールをキャッチするときに、どうやって着地点がわかるのかというもの。野球経験者などであれば自然と身体が動いてキャッチできると思いますが、そのときにどういうアルゴリズムで計算しているのかは当の本人でさえわかっていません。ただし最近の研究では、ボールを見上げる角度が一定になるように動くといったことがわかってきています。そうやっていろんなことがわかってくると、「そんなにシンプルな方法があったのか」と、気づきや発見があります。
山岡:
ものごとをコンピューターで計算するには、どういう数式で動いているかを明確にしなければならないので、どういうアルゴリズムで動いているかというのはすごく大事ですよね。人間や他の生き物の行動を解き明かしていくからこそ、新しいコンピューターができていく。どうやって明らかにしていくかは、まだまだやっていかないといけないところかと思いますが、コンピューターの発展のために不可欠だと思います。
中垣さん:
人間の認知活動のアルゴリズムがわかっていくことは、計算機の発展にも重要ということなんですね。実は、人間の脳活動からアルゴリズムを抽出するのは、なかなか難しいところがあります。脳の活動を計測することは目覚しく進んでおりますが、それらが身体の動きやモノの認識のアルゴリズムとどう関わるかはギャップがあるので、解釈が難しいんです。そういう意味では、きわめて“物質”と近しい単細胞の生き物は、物理的な現象をもとに情報処理がなされているといえます。そういう単純な生き物の情報処理を見ていくことで、人間の情報処理のアルゴリズムの解明に寄与するかもしれません。
そういえばいま、「ジオラマ行動力学」という研究プロジェクトをやっていまして、ややこしい状況での、主に原生生物の情報処理を解き明かしていこうとしています。今回山岡さんからさまざまなお話を聞いて、そういう研究がコンピューターの将来にも十分貢献し得るんだと知り、大変勇気づけられました。
山岡:
こちらこそ、ありがとうございました。
中垣俊之
北海道大学電子科学研究所 物理エソロジー研究室 教授
粘菌をはじめとした単細胞生物の知性を研究している。北海道大学薬学研究科修士課程修了後、製薬企業勤務を経て、名古屋大学人間情報学研究科博士課程修了。理化学研究所基礎科学特別研究員、北海道大学電子科学研究所准教授、公立はこだて未来大学システム情報科学部教授を経て、2013年より現職。2017年から2020年まで北海道大学電子科学研究所所長を務める。2008年と2010年の2度、粘菌の研究でイグ・ノーベル賞を受賞。著書に『考える粘菌 生物の知の根源を探る』がある。
山岡雅直
日立製作所 研究開発グループ デジタルサービス研究統括本部 計測インテグレーションイノベーションセンタ エッジコンピューティング研究部 部長 兼 量子応用推進室 室長
研究開発グループにて、2013年のCMOSアニーリング技術開発開始時より本技術の研究開発を推進。社内のCMOSアニーリングやその他エッジ技術の研究開発を推進するとともに、顧客との協創活動やNEDO委託事業、未踏ターゲットプログラム、北大の客員教授としての人材育成などに関わり、新しいコンピューティング技術の普及に努めている。博士(情報学)、IEEE会員。
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