[Vol.1] マーケティングの新たな潮流
[Vol.2]マーケティングを通じたイノベーションの実現
[Vol.3] マーケティングと「共感」
マーケティングの役割とは?
江川:
私たちはいま、事業を通じた社会や顧客の課題解決に関するグローバルな取り組みの中で、顧客や市場のニーズや動向を捉えた技術開発、適切な商品の提案といったことを体系的に実施する必要性を感じています。そんな中、マーケティングとイノベーションをどう結びつけるかという点に研究者としても個人的にも課題意識をもっており、今回は黒岩先生とお話ししながら考えていきたいと思っています。
マーケティングの対象がサービスに広がったり、マーケティングにデザインの要素が入ってきたりと、そもそもマーケティングはさまざまな文脈で使われている、と感じています。現代においてマーケティングはどのような役割を担っているのでしょうか。
黒岩さん:
マーケティングの活動自体は大昔からずっと行われています。ピーター・ドラッカーは越後屋呉服店(三越伊勢丹グループの百貨店三越の前進)がマーケティングの起源だと言いますが、それには疑問があります(笑)。活動自体は昔からあったのですが、それをマーケティングだと言い始めたのが19世紀末から20世紀初期です。この頃は、農産物の物流がマーケティングの役割だとされていて、日本でも、マーケティングの授業を「配給論」と呼んでいた時期がありました。それが戦後になって消費者の数が増えると、需要と供給のバランスの問題が出てきて、顧客と価値の交換をするんだ、という発想になりました。企業が価値をつくり、お金との交換を促進するのがマーケティングだと捉えられるようになったんです。1990年頃から徐々に、交換よりも顧客と関係を作ることが重視されるようになりました。なぜなら、顧客のニーズが潜在化したために、企業が顧客のニーズに合わせて価値を作るのではなく、顧客と対話しながら価値を作るようになってきたのです。いま、マーケティングは「関係」が主になってきています。
マーケティングエクセレンスの変化から見えてくるもの
黒岩さん:
1990年代にはマーケットオリエンテーションという概念がありました。それは、市場の情報を会社の中に取り込むこと、その情報を必要な部署にデリバリーすること、そしてそれを活用することの3つからなっています。マーケティングの優秀さ(エクセレンス)は、マーケットオリエンテーションで評価されていました。ところが、2020年に、マーケティングエクセレンスを調査したら傾向が変わっていた、という論文が出ました(Homburg, Theel and Hohenberg(2020)Marketing Excellence: Nature, Measurement, and Investor Valuation, Journal of Marketing, Vol.84(4))。それによると、アメリカや中国のCMO(最高マーケティング責任者)にマーケティングの優秀な企業について尋ねたところ、いくつかの要素が抽出できたんです。
1つ目は、エンドユーザーに注目しているということです。エンドユーザーを見ていると、中間に誰が入っていても、エンドユーザーの変化に気づきやすい。そのためには、エンドユーザーと直接つながるツールを持っているといいですよね。流通経由で末端の顧客が見えなかった時代と異なり、直接デジタルでつながることができている会社は強い。2つ目は、エコシステムですね。自分たちだけでやるのではなく、他者を巻き込みながら価値をつくっている、ということです。特に異分野の企業と組んでいるところは評価が高い。そして3つ目は、アジリティ(機敏性)です。社会の変化が激しいので、それに応じてすぐに打ち手を変えられることが大切なんです。昔は効率性を重視していたので、組織やオペレーションをしっかり作り込んだサービスが評価されていましたが、いまは効率性をある程度あきらめても、すぐに変えられる方が評価が高い。
その論文によると、こうした点を強調している会社ほど株価も高いんだそうです(笑)。実務家からのアンケートだけでなく、データで検証して自説を強化している点も面白かったですね。
マーケティングアプローチのいま
江川:
お話を伺って、マーケティングの定義も、重視する考え方も変わってきていると感じています。現代のマーケティングにおいて、重視されているプロセスやツールはありますか。
黒岩さん:
関係を重視したプロセスやツールを使いたいところですが、まだ体系化されていないので、伝統的な枠組みを使わざるを得ないところがジレンマですね。STPM※の枠組みを使うにしても、目的は顧客との関係づくりや強化と考えたほうがいい。また、変化に対応するために、ターゲットを決めて考えても実現不可能だったら、最初からやり直した方がいいですね。それを許容できるかが問題ですね。すぐに変えないといけないときにぱっと変えられないというのは、STPMそのものが悪いというよりは、その管理の仕方のほうが問題かなと思います。
※STPM……Segmentation(セグメンテーション)、Targeting(ターゲティング)、Positioning(ポジショニング)の3つの分析に、Marketing mix(マーケティングミックス。製品施策、価格施策、プロモーション施策、流通施策の4つから構成される)を加えたマーケティングの基本的な枠組みを指す。
もうひとつ。STPMを授業で教えて「これを使ってマーケティング戦略を考えてください」と言うと、すぐに「売り上げはどのくらいの規模が必要で……」みたいな話になってしまって、顧客が不在になりがちなんですよね。もちろんセグメンテーションやターゲティングも提示してはいるんですが、それよりも枠組みに当てはめようという気持ちが強くなってくる。「ユーザーをちゃんと見なさい」とかなり強調しないとおろそかになる気がします。
上垣:
世の中のビジネス行動が変化しているいま、セグメントが難しくなっていると感じます。◯◯屋さんだった顧客の扱う事業がいつの間にか変わっていたり、商流に新たなプレイヤーが増えていたりして、市場の変化に合わせてセグメンテーションも新たに切り直しをしないといけないのですが、何をもって、どう切り直すのか、新たなセグメンテーションには意思を込めていかなくてはいけない、とも思っています。
江川:
たとえばAmazonは小売事業者と捉えるか、物流事業者とみなすのか。加えてクラウドサービスやコンテンツビジネスを提供する事業者という側面もあります。いったいどう切ればいいのか悩ましいところです。
黒岩さん:
例えばカフェに行くとき、ゆっくり過ごせる時間があるときとないときとでは、選ぶお店が変わりますし、個人でも複数のニーズを持っていますね。だから基本は人ではなく、ニーズです。同じニーズをひとつのセグメントと考えると分かりやすいわけです。
マーケティングの新しい潮流
黒岩さん:
とはいえ、実際には顧客自身が自分のニーズを分かっていない場合が多いので、そのときは上手にコミュニケーションを取りながら一緒に見つけていくのが重要だと思います。そのためにデザインとマーケティングの枠組みを組み合わせればいいと思うんですが、そう簡単ではありません。例えば、新しいアイデアを生み出すときに、合理的な頭で考えてしまったりと、マインドセットの切り替えがうまく行かないんです。意外と組み合わせることは難しいんですよね。
一方で、いまは新たにエフェクチュエーションという考え方が出てきています。成功してきた起業家は従来のマーケティングのマインドセットとはだいぶ違う、と。そういうことを提示している人が出てきていますが、ただ、まだ体系化はできていませんね。もう少し具体的な方法論が出てくれば、もう少しやりやすくなるのかなと思います。
※エフェクチュエーション……成功した起業家に共通する考え方や意思決定のプロセスを体系化した、市場創造のための理論。経営学者のサラス・サラスバシー氏が、著書『エフェクチュエーション:市場創造の実効理論』のなかで提唱した。
江川:
マーケティングそのものが大きく変革したというよりも、どのようにマネジメントやオペレーションをしていくか、というところに新しい概念が入ってきているということでしょうか。日立はさまざまな強みを持っているので、それを生かして私たちに何ができるだろうかと考えます。ただ、そうなると「できること」が中心になってしまい、お客さまのことが置き去りになってしまう場合もあるので、そのバランスを取ることに難しさを感じています。
上垣:
帽子を変えるということでしょうか。「演じる」というわけではありませんが、いまこのA社さんの立場だったら、というふうに考えていかないと難しいですね。
インタラクティブ・マーケティング
黒岩さん:
私の師匠が1997年に出した『柔らかいマーケティングの論理』(嶋口充輝著/ダイヤモンド社)という本があります。
嶋口先生は著書の中で、まずは自分たちの思い、いまで言えばパーパスをしっかりもって、それを顧客へ投げかけるところから始めるんだと言っています。それでフィードバックをもらい、そのやりとりをするとだんだんスイートスポットが見えてくる。そういうインタラクションの中で活動するという発想に変えた方がいい、と言っています。
その中で面白いのが、「誘導される偶発」という概念ですね。例えば、書道でたくさんの墨を筆に含ませると、墨がぼとっと紙に落ちる。その偶然にできた黒い点を使って書くと面白い作品ができる。ただ偶然を待つのではなく、偶然が起きるように誘導していくことが必要だと言っています。それで「あ、こういうふうになるんだな」と分かれば、それが予定外であっても、それに乗っかっていくんだ、と。だから、投げかけとフィードバックの間に偶然が発生するようなことをし、出てきた結果を使っていくと。
ネスレのキットカットのことを九州の人が「きっとかつ(勝つ)と」とダジャレで言ったことがきっかけで受験生への応援というキャンペーンが生まれたように、インタラクションの中で出てきた偶然に即興的に対応していくということが大切だ、ということですね。
顧客や社会とともに価値を創造していくマーケティングの発想は、サービスデザインやイノベーションなど、企業のさまざまな分野にどのような影響を与えているのでしょうか。次回はイノベーションとマーケティングの関係について、引き続き黒岩さんと語り合います。
取材協力/青山学院大学図書館、情報メディアセンター
黒岩健一郎
青山学院大学大学院 国際マネジメント研究科 教授
早稲田大学理工学部建築学科卒業。住友商事入社。慶應義塾大学大学院経営管理研究科修士課程修了(MBA)。同後期博士課程単位取得退学、博士(経営学)。武蔵大学経済学部専任講師、准教授、教授を経て2014年から現職。専門分野はサービスマーケティング。慶應義塾大学ビジネススクール認定ケースメソッドインストラクター。株式会社トビラボ顧問。
上垣映理子
株式会社日立製作所 研究開発グループ ストラテジックデザイン部 部長
2001年日立製作所入社。UI/UXデザイナーとして各種産業分野における業務改革に従事したのち、顧客協創を通じた課題解決手法「Exアプローチ」の確立に貢献。2017年から人の主体的な行動変容をデジタルの力で促す行動変容デザインの手法研究に従事。2022年から営業マーケティング戦略部にてMarketing & Sales Transformation活動に従事。2024年より現職にてステークホルダーの戦略的意思決定を促すデザインの実践と手法研究をリード。
江川陽
株式会社日立製作所 研究開発グループ ストラテジックデザイン部 主任研究員
東京大学大学院 工学系研究科 システム創成学専攻 博士後期課程修了。博士(工学)。2013年日立製作所入社。サービス工学、デザイン思考に基づく社内外のステークホルダーとの協創を通じた新事業創生・拡大に関する方法論の開発と実践に従事。特にデジタル事業のビジネスモデル設計に興味を持つ。2022年Stanford大学Visiting Scholar。2023年よりMarketing & Sales Transformation活動に参画、組織間連携によるマーケティング強化を通じた価値創生に挑戦中。
[Vol.1] マーケティングの新たな潮流
[Vol.2]マーケティングを通じたイノベーションの実現
[Vol.3] マーケティングと「共感」