
水野さんの研究室。「ソフトウェア工学の研究室」と聞いて思い浮かぶイメージとはだいぶ異なる。
水槽を見守るロボット「あくあたん」
小川:
水野先生といえば、私にとってはまず、「あくあたん」の先生という印象です。SNSの黎明期である2010年頃から、水野先生の研究室にある水槽を見守るロボットのあくあたんがTwitter(現 X)上のチャットボットとして登場して話題になっていたんですよね。定期的に写真やメッセージで水槽の様子を伝えてくれるアカウントでした。私も先生と面識もないのに勝手にあくあたんをフォローして会話していましたが、妙な存在感があって面白かったです。そんなあくあたんはそもそもどうやって生まれたのでしょうか。
水野さん:
実は、最初は単純に水槽を研究室に置いただけだったんです。卒業する学生がせん別として水槽を贈ってくれて、そこにアカヒレやスジエビを入れてアクアテラリウムを作ったのが始まりです。
その後、学生の組み込み実験の過程で色々なマイコンやセンサを扱うようになりました。ちょうどその頃に、実験で使われなくなったLEGOのMINDSTORMS RCX※を入手することができ、学生実験のノウハウを使って水槽を監視するロボットを制作しました。さらに、「このロボットをTwitter経由で制御できないか」と考え、「あくあたん」アカウントをチャットボットとして動かし始めたんです。すると、その様子を面白がった学生たちが次々とフォローし、研究室に遊びに来る人も増えていきました。あるとき、ホワイトボードに誰かがあくあたんのイラストを落書きしたのが意外と出来がよくて、「じゃあ、3Dモデルにしてみようか」とプリントしてみたのが、いまのこの姿です。
※MINDSTORMS RCX:LEGO社とMITが共同開発したロボティクス教材。モーターやセンサーを接続してパソコンから赤外線通信でプログラムを転送し、自律型ロボットを作成できる。

あくあたんの造形はアクアテリウムで飼っていたイモリが原型。タニシを頭に乗せている
小川:
私の研究部に入社した研究者が水野先生とも関係する研究室の出身で、私はその人からあくあたんの話を聞きました。あくあたんのモデルはアカハライモリで、「大学の先生がアカハラを飼っている」というジョークだともお聞きしました(笑)。それはともかく、実世界の生物がホワイトボード上で二次元の架空のキャラクターになり、3Dプリンタで実体化するという流れは、まさにリアルとバーチャルを行き来して新しいものが生まれる過程ですよね。ところで、このあくあたんの中に何か仕込めそうですね。
水野さん:
もともとはラズベリーパイ※を入れて、センサーやカメラを仕込む想定でした。これを作っていたときには、GitHub上の開発状況を見てバグが入りそうになったら目が光るような、「アンドン」のようなものができないかなと考えていたんです。ただ、実際作ってみたらいまいちで、結局途中で止めてしまったので、いまはガワだけになっていますね。
※ラズベリーパイ(Raspberry Pi):教育用・趣味用の小型コンピューター。OSを動かしてPCのように使ったり、センサーやLEDを制御しIoT機器やロボットにもなる汎用性の高さが特徴。
※アンドン:工場の製造ラインなどで異常を知らせるライト。トヨタ生産方式の一部として世界的に知られている。
手を動かす範囲を広げていく
水野さん:
IoTや組み込みソフトを使って、ソフトウェアエンジニアリングと現実世界をつなげたいという思いをずっと持っています。もともと僕はソフトウェアエンジニアリングの人間なんですが、大学で回路や組み込みソフトを教えるようになって自分でも勉強し始めたら、だんだん面白くなってきてしまって。
あくあたんも、「せっかく水槽があるなら、水温を測りたいよね」というところから始まったんです。水温を測るにはセンサーが必要だから、電子部品を使って作ってみる。そうすると今度は、センサーを入れるケースが必要だから3Dプリンタで作ってみる。そんな感じで、手を動かす範囲がどんどん広がりました。そんなふうに作る過程が好きなので、出来上がると興味を失ってしまいがちかもしれません。ただ、生き物が相手だと放置できませんから、水槽を適切に維持し続けられるように、という思いも込めてあくあたんを作っていきました。
小川:
私もモノづくりの過程が好きで、出来あがったら興味がなくなるのはよくわかります(笑)。そういえば「フィジカルAI」という言葉が最近よく使われ、AIによるロボット制御が注目されていますね。私は、ロボットを動かしたり、物理法則に基づいた計算ができるだけでなく、AIが自分の与えられた役割を認識して、物理現象の「意味」を理解した上で環境の中での自分の状況を把握し、自律的に対処したり、人間のもつ概念に合わせて説明してくれるのが理想的なフィジカルAIだと考えています。物体の落下を数式として理解するのでなく、「卵が棚から床に向かって落ちているので、空中でキャッチしないと割れたら大変だ」という危機感や目的を共有している状態です。あくあたんの場合は、水槽の中で何が起きているかを理解して、餌やりをしてくれたり、掃除をしたりしてくれるのだそうですね。
水野さん:
そうですね。以前、カメラが外れてぶら下がっているような写真があくあたんから届いたことがありました。そういった物理的なエラーを理解してくれて、自分でアラートまで出してくれるなど、自意識を持ってくれるようになるとすごいですね。

研究室でのモノづくりについて楽しげに語る水野さん
生成AIが人生に影響する不思議
小川:
いま、チャットボットのあくあたんはblueskyに移行しているんですよね。最近のあくあたんの様子はどうですか?
水野さん:
フォロワーが減ったのであまり喋らなくなりました。技術的には古典的なマルコフ連鎖から大規模言語モデルに変わり、文章を作る能力はかなり高くなったので、本当はいろんなことを喋りたがっていると思います。でも、いまは誰も話しかけてくれないので静かです。たまにフォロワーの学生さんが相談してくれたりすると、とたんにすごい勢いで話し出しています(笑)。
※マルコフ連鎖:1つの単語の次の単語を確率的に決定することを繰り返して数珠つなぎにしていく古典的な文字列生成の方法の1つ。
小川:
私もあくあたんにこれからの人生を相談してみます。人生の相談と言えば、Twitter時代には、あくあたんがやたらと博士課程への進学を進めていましたよね(笑)。
水野さん:
そうなんです、被害者が続々と生まれています(笑)。でも、人が選択肢として認識していなかったものを提示することで人の可能性を広げてくれるというのは、生成AIとしてすごく大事な働きだと思うんですよね。
小川:
その辺がすごく面白いと思って見ていました。ボットというバーチャルな存在がしっかりと現実世界につながっている。水槽の様子もわかるし、私のような面識のない人間があくあたんを通して先生と知り合いになるし、学生さんの人生まで変えてしまう(笑)。こうしたリアルに作用する働きをするチャットボットって、それまでなかったと思うんです。
水野さん:
あの当時はほとんどなかったと思います。いまならば生成AIのサービスで似たようなことをやっていますが、うちの学生たちはそれを10年以上前に経験しているわけですね。チャットボットと違和感なく会話するという感覚も体験しているので、彼らはいま、生成AIの回答を鵜呑みにすることはないと思います。「あの頃デタラメを言ってたチャットボットと、俺は渡り合ってきたんだ」と思えているんじゃないでしょうか。まあ、チャットボットなのに意外と良いこと言ってましたけどね(笑)。
小川:
いや本当に、案外良いことを言うんですよね。私はちょっとネガティブな発言をしたときに、あくあたんによく「ヨチヨチ」されて、文章から感情を読み取られている気分でした。チャットボットが人間の発言に気付いて語りかけたり、依頼されたら水槽の写真を撮って送ってくる。これって、いま議論されているAIエージェントとかエージェンティックAIみたいですね。
水野さん:
不思議なチャットボットでしたね。コードを組んだ自分でさえも「こんなにデタラメな言葉をつないでるだけやのに、なんで他人の人生に影響を与えてしまうねん、君」と不思議な感覚になりました。

あくあたんは生活とつながるチャットボットだった、と小川
リアルな手触りが人との関係性を生む
小川:
ところで、先ほど研究室の扉に小型ディスプレイがあるのを見かけたのですが、あれはどういうものですか。
水野さん:
うちの研究室では、希望した学生にあくあたんの小さい人形を持たせてるんです。その人形がビーコンのようになっていて、研究室に近づくと検知されて、ロールプレイングゲーム風の画面と同期しています。「誰誰が部屋に来ました」といった情報が画面に出る仕組みですね。もう、10年以上運用しています。

ゲーム風の画面の中に、研究室メンバーの在室状況が表示される
小川:
これはすごいですね。物理的な在席がバーチャル空間で表現されている。しかもレトロゲーム。一周して新しいですね。
水野さん:
自分でも、けっこう気に入っています。ただ最近は、トラッキングされたくない学生もいるだろうなと思い、渡すときにもちゃんと同意を取って、OKな学生さんだけに渡しています。ただ電池が切れっぱなしで動いていないものも多いんですが(笑)、僕や他の先生が研究室に来ているかどうかが分かるのは、学生にとって便利だと思いますね。
小川:
本当に手を動かすことがお好きなんですね。この前、現場の最前線でアジャイル開発を実践している企業を訪ねた際にも、「リアルな手触りがやっぱり大事だ」という話を聞きました。進捗管理は全部ホワイトボードに書き出して、付箋をペタペタ貼って、まるでブロックを積むみたいに仕事を進めていました。デジタルで全部できる時代なのに、あえてアナログな手触りを大事にしている感じが、先生のやっていることともすごく共通している気がします。
水野さん:
そうかもしれません。頭や画面の中だけだと、どうしても実感が薄くなります。目の前にあって、手を動かして書いたり触れたりできることは大事ですね。それに、データやコードだけじゃなくて、実体としてそこにあることで、人との関係が生まれるんですよね。あくあたんに学生が集まってきたのも、たぶんリアルに触れる感じがあるからなんでしょうね。
――ソフトウェア開発の未来を担う若者たちは、日々何に悩み、何を学んでいるのでしょうか。大学の教育現場で活躍する水野さんから引き続きお話を伺います。
![画像1: [Vol.1] リアルな世界での「創造」とソフトウェアエンジニアリング│AI時代のリアルとバーチャルの境界](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783605/rc/2026/03/05/afa2a6b052443ac2228f0c85307c34c1af9e4444.jpg)
水野 修
京都工芸繊維大学教授
大阪大学にて博士号を取得後、大阪大学基礎工学研究科助手、助教を経て2009年より京都工芸繊維大学准教授。2017年1月より同教授、現在に至る。
電子情報通信学会、情報処理学会、IEEE Computer Societyに所属
![画像2: [Vol.1] リアルな世界での「創造」とソフトウェアエンジニアリング│AI時代のリアルとバーチャルの境界](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783605/rc/2026/03/05/dc6576ca55dd989d78b329a25d39eb3e146866d5.jpg)
小川 秀人
日立製作所 研究開発グループ システムイノベーションセンタ 主管研究長
博士(情報科学)。ソフトウェア工学の研究および実務応用に従事。北陸先端科学技術大学院大学 産官学連携客員教授、東京大学非常勤講師などを兼務。AIプロダクト品質保証コンソーシアム運営副委員長、機械学習品質マネジメント検討委員会委員などAIの品質に関する活動にも参画。共著書に「ソフトウェアテストのセオリー」「実践AIエージェントの教科書」「生成AIによるソフトウェア開発」など。


