[Vol.1] Natureが認めた「素材」を探求する仕事
[Vol.2]「見る」「描く」幼少期の情熱が支える挑戦
1日10文字で、3年かかるフォント開発
谷垣:
新しいフォントを作る仕事は大変そうですが、どれくらいの数を作るんでしょうか。
鈴木さん:
日本語の文字、特に漢字は種類が多くて、1つの書体ごとに、だいたい1万文字くらいですね。
谷垣:
すごい規模感ですね。
鈴木さん:
おおよそ1万文字だとすると、1日に10文字ずつ作っていって、3年かかる計算です。さらにフォントのウェイトを変えたりして書体ファミリーを増やしていくと、もっと時間がかかります。
これをチームで作っていくので、いろいろな人が作った文字をちゃんと一貫性のある、ばらつきのないものにしないといけない。そのためには、チームのメンバーが無理をせず、体調を崩さないで、コンスタントに高い品質を維持しながら全員が作っていかないといけない。そこが一つ、難しいところです。

会社員を経て、フォントデザインの会社を立ち上げた鈴木さん
谷垣:
Natureで使われているAXISフォントも、そうやって長い時間をかけて作られたわけですね。
鈴木さん:
毎日、10字、20字という文字を、2、3年かけて、仲間と一緒に作っていくわけですが、仕事の充実度は、1日単位で決まるようなところもあります。その日に作った10字がすごく綺麗にできたら、その日のご飯が美味しいみたいなことがある。谷垣さんも、そういうことがありますか。
谷垣:
めちゃめちゃ、ありますね。実験がうまくいった日は、すごく嬉しいですよ。
鈴木さん:
フォントを作ること自体は、ペースさえしっかり守っていれば、それほど苦ではないんですね。地道にやっていれば、いつかは1万文字のゴールにたどりつけるので。ただ、自分たちが3年かけて作ったフォントが、その後、世の中に受け入れてもらえるかどうかは、発表してみないとわからないところがあります。
AXISフォントは、媒体専用のフォントということもあり、すぐ受け入れてもらえましたが、別の書体では、発表してから10年間、全然使われなかったというものもあります。使われ始めて認められてからは、すごく使われるようになったんですが。だから、フォントを作るよりも、使ってもらうほうが難しいといえるかもしれません。

AXISフォントは長い時間をかけて「書体ファミリー」を増やしていった
谷垣:
私たち研究者も、未来の社会の変化を予想しながら研究テーマを考えますが、社会のニーズを読むのは難しいですね。
電子顕微鏡の「試料」を作る難しさ
鈴木さん:
谷垣さんも、論文がNatureに掲載されるまで、いろいろ壁があったと思うんですが、どうでしょうか。
谷垣:
今回の研究では、観察の対象となる試料を作るというのがひとつの壁でした。電子顕微鏡にポッと入れて、すぐに見られるかというと、意外とそうでもないので。
鈴木さん:
どういうことですか。
谷垣:
我々が使っているのは「電子線ホログラフィー」という技術を使った顕微鏡で、試料に電子を透過させて観察するので、試料をできるだけ薄くして、電子がうまく通り抜けるようにする必要があります。
それに加えて、電子の波の「干渉」という原理を利用するため、試料を透過した電子波と真空を通過した電子波がうまく重なるようにしないといけません。そのような試料の操作を、ナノメートル(10億分の1メートル)という極小のレベルで整えていくのは、なかなか大変なことなんですね。

谷垣の研究には、世界最高レベルの性能を持つ電子顕微鏡が使われている
鈴木さん:
あらかじめ、うまくいくという予測はついているんですか。それとも、うまくいくかわからないけれど、ちょっとやってみようと試すんでしょうか。
谷垣:
ある程度は予測がつくんですけど、最後はやってみなければわからないことが多いですね。なんとか試料を薄くして、電子ビームを当ててみたら、今度は試料が壊れてしまったということもあります。いかに試料を壊さずに、狙った位置に電子ビームを当てられるか。何度も失敗しては、次のアイデアを試すというトライアンドエラーを繰り返しました。
鈴木さん:
失敗が続くと、さすがに心が折れそうになることもありますよね?
谷垣:
もちろん、あります。でも、それがあるからこそ、研究者としての醍醐味も感じられると思っています。
鈴木さん:
実験がうまくいったからといって、すぐに論文がNatureに載るわけではないですよね。
谷垣:
今回の論文は、Natureに原稿を送ってから掲載されるまで4年かかりました。実験のやり直しを求められたり、文章をこうしたほうがいいと言われたり、担当の査読者と何度もメールでやり取りしました。
Natureは科学全般を扱う総合ジャーナルなので、自分の専門分野と違う研究者が査読することもあるんですよね。それぞれの分野ごとに基準が違うので、そういった違いを理解してもらいながら説明するのが大変でした。
鈴木さん:
Natureに載った論文は、その苦労の結晶というわけですね。

ひとつの専門分野を極めていく難しさと楽しさについて語る鈴木さんと谷垣
子どものころから「見る」のが好きだった
鈴木さん:
今の仕事は、自分が小さいころに興味があったことややりたかったことと結びついていますか?
谷垣:
そうですね。明確に顕微鏡という形ではなかったですが、探求心というか、なにかわからないことがあるとそれを詳しく調べてみたりすることは、幼少期からの共通点としてずっとありますね。
鈴木さん:
それはやっぱり観察ですよね。「見る」ということですよね。
谷垣:
「見る」「調べる」みたいな。
鈴木さん:
調べるというのは、それはやっぱり、子どもなりに実験をするのか、本を読んで知識を深めていくというか、謎を追究していくのか。子どものときはどんな形でしたか。
谷垣:
どちらもですね。星とかだと、望遠鏡を覗いて星座の図鑑と照らしあわせて「おお、確かにそうなってるな」みたいな。答え合わせじゃないですけど。
鈴木さん:
望遠鏡は、すぐ買ってもらえたんですか。
谷垣:
たまたま親が優しくて、買ってくれました。あと、光学顕微鏡も父親が持っていたので、玉ねぎの皮をはいで観察したり、水を汲んでボウフラを見たりして。そういうのも楽しかったんですよ。田舎なので、サンプルは山にいけば取り放題で、非常に楽しかったですね。そこに見たことがない世界があるので、なんだかわからないけど見てみようと。それは今の仕事にも通じていて、自分の中にある探究心のようなものは、そのころに育っていたのかもしれないですね。
漫画を描いて、学校の友達に見せていた
鈴木さん:
僕も子供のころ、観察したり見たりするのが好きでした。それに加えて、手を動かして何かを描くのも大好きでした。人の似顔絵を描くとか、漫画を描くとか。小学校では、ノートに漫画を描いて、クラスの友達に読んでもらっていました。
谷垣:
それはすごいですね。僕の周りには、そんな子はいなかったですよ。
鈴木さん:
漫画をクラスで回して読んでもらうと、面白がってもらえるんですよね。喜んでもらえるので、「もしかしたら、これでご飯を食べていけるんじゃないかな」と思っていたほどです。
その後、描くのは漫画ではなく、文字に変わりましたけど、子どものころに好きだったり得意だったりしたことが、今につながっています。好きなことを仕事にするのは、大変な人生かもしれないですけど、たぶん幸せじゃないかなと思いますね。

フォントと電子顕微鏡という異なる分野のプロフェッショナルが語り合った
――フォントデザインと電子顕微鏡。それぞれの分野で試行錯誤を重ねながら歩んできた二人は、どのように仕事を継続してきたのでしょうか。そして、未来に向けてどんなビジョンを描いているのでしょうか。次回は、仕事を「やりぬく」ための知恵や意外な未来の夢について語り合います。
取材協力/松庵文庫
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鈴木功
タイププロジェクト株式会社 代表/タイプディレクター
1967年名古屋生まれ。愛知県立芸術大学デザイン科卒業。1993年から2000年までタイプデザイナーとしてアドビシステムズに勤務。2001年にタイププロジェクトを設立し、2003年にAXISフォントをリリース。その後、AXISフォントのコンデンスシリーズや、コントラストの概念を導入したTP明朝やTPスカイなど、日本語書体の体系を拡張する次世代フォントの開発にあたっている。2009年に都市フォント構想を発表し、2019年に「金シャチフォント 姫」をリリース。そのほか国内外のコーポレートフォントを数多く手がける。AXISフォントは国際科学誌「Nature」日本版にも採用されている。
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谷垣俊明
日立製作所 研究開発グループ
Sustainability Innovation R&D
計測インテグレーションイノベーションセンタ
ナノプロセス研究部 主管研究員(理学博士)
1978年京都市生まれ、小学6年間を滋賀県大津市で過ごす。立命館大学大学院 理工学研究科 フロンティア理工学専攻 一貫性博士課程を修了して、日立ハイテクに入社。理化学研究所勤務などを経て、日立製作所の研究開発グループへ。物質を原子レベルで観察できる世界最高性能の「電子線ホログラフィー電子顕微鏡」で、超ミクロの世界の物質構造の精密解析の研究に携わっている。2017年、世界最高分解能0.67ナノメートル(1ナノメートル=10億分の1メートル)での磁場の観察に成功。2024年7月には、原子が規則的に並んだ「格子面」の磁場観察に関する研究論文が、国際科学誌「Nature」に掲載された。
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